■「認知」とは何か?「認識」とは何か?についてご一緒に確認しています。「ものごとを分かる」というときの「分かり方」の深まりと進み方が、「認知」と「認識」です。
人間がものごとを分かるのは何のためか?ということから考える必要があります。
それは二つあります。一つは、食べること、呑むこと、休むこと、排せつをすることなどです。生理的身体を維持するために行動するので、そのために必要な食物、水、入浴、ベッドなどを「分かる」のです。
ここまでは、動物一般も基本的に同じ分かり方をします。
同じ分かり方とは、目、耳、手、舌、皮ふ、鼻などの五官覚によって知覚して「長期記憶」をおこなうということです。五官覚による「知覚」の記憶は、「行動を可能にする」ということを内容にします。ポルソナーレは、このような行動を「無意識の観念の運動」と定義しています。「無意識」とは、欲求や感情の必要にうながされて思い浮べられる「イメージ」のことです。このようなイメージを「表象」(ひょうしょう)といいます。この「表象」(ひょうしょう)というものの特徴は、「食べたい」「寝たい」「生殖行為をしたい」などの「中枢神経」が自然な恒常性によって内発的にひきおこす「欲求」によって「思い浮ぶ」ということにあります。
したがって、動物一般は、欲求の中枢神経が働いている時だけ、その「欲求のイメージ」を「表象している」と理解することができます。
人間が、夜、「夢を見る」ときのイメージも「表象」(ひょうしょう)です。しかし、人間が見る「夢」は、いつも同じ内容ではありません。必ずしも「食べ物のこと」とか「水のこと」の夢を見るのではありません。
それは、「認識」ということが介在しているからです。人間には、動物一般と違って「大脳新皮質」という薄い膜のような「脳」を発達させています。この「大脳新皮質」が「認識」という働きをおこないます。どのようにおこなうのか?というと、それはちょうど、「手作業のアニメの漫画づくり」「パラパラマンガ」と同じ原理です。
物や生きものの形の線や面が、少しずつ変化することと、そのパターンを五官覚の一つの、目の視覚が「知覚」します。これは、右脳系の「Y経路」(視覚の知覚神経)による「パターン認知」です。「パターン認知」とは、ものごとを統一して構成するという認知をおこないます。この「パターン認知」が右脳系の前頭葉に表象します。自律神経の恒常性は、「短期記憶」(短期の行動)にも「長期記憶」(長期の行動)にも働きます。
長期記憶(長期行動)の場合は、くりかえし同じ行動をするときの対象を「見る」などで知覚すると、オペラント条件反射が働いて「記憶のソース・モニタリング」として、その対象の記憶を表象させるでしょう。「以前の記憶と同じものだ」とパターンの特質を「記憶する」というのが「認識」です。これは、「認知したイメージ」をさらに対象化してその「イメージ」そのものを記憶する、という原理です。
「認識」とは、現実の物事を「直接に分かる」ということではなく、頭(右脳系の前頭葉)に表象(ひょうしょう)されるイメージを記憶の対象にすることだ、と理解しましょう。
ピアジェの観察した乳・幼児の「行動」の発達は乳・幼児自身の生理的身体の「運動機能」の発達に正比例しています。まず「聴覚」と「舌・口を中心とする触覚」、次に「視覚」と「手、指を中心とする触覚」、というように、つねに、「ウェルニッケ言語野の触覚の認知」を記憶の裏付けにして発達します。乳・幼児自身の行動の能力が「長期記憶」(長期行動)を可能にするにつれて、そして、その「行動の対象」が空間性のカテゴリーを拡大するにつれて、「カテゴリー」というものの「パターン認知」を「認識」の対象にします。
「猫は部屋の中を動く」「犬は、庭の中を動く」「鳥は、空という空間を動く」というときの「部屋」「庭」「空」などが「カテゴリー」です。「猫は、自分が動いていくと触れる」「犬は、自分が庭に行かなければ、触れない」「鳥は、自分が動いて行けない空間に飛び立つので触れない」というのが「カテゴリー」の中のパターン認知です。これらのイメージが表象されて認識されるとき、「部屋の中にあるもの」「庭にあるもの」「空にあるもの」というカテゴリー別の「認識」が可能になるでしょう。 |