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全日本カウンセラー協会・ポルソナーレのマスターカウンセリング
読むだけで幸せになる手紙
「認知症(痴呆症)の人が、徘徊中に事故を起こしても、
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クマ江さん |
●《事例・ケーススタディ》(平成28年3月2日、日本経済新聞より) 2007年12月7日に、認知症(痴呆症)の男性が外出してJR東海の電車踏切りに入り、はねられて死亡した。 男性は91歳で、ふだんから認知症(痴呆症)の周辺症状があった。 玄関で排尿する、食事はまだか?と言う、突然に怒鳴る、などだ。 散歩が好きで、外出しないと暴れた。 だから、玄関にカギをかけて外出を制限した。 自分の場所が分からないので、徘徊になり、行方不明になるとどこにいるか分からなくなる。 妻(当時85歳)と長男の妻が介護した。 「列車の運行に支障が生じた。振り替え輸送の費用が発生した。だから妻と長男に720万円の損害賠償を請求した」(JR東海の話) 初めの認知症(痴呆症)の症状は「食事はまだか?」だった。食事を摂ったばかりだった。 「施設に入れることも考えたが、環境の変化で悪化するかもしれない」と、在宅介護で世話をした。症状はどんどんひどくなる。長男の妻、妹らがみんなで介護した。 2007年12月7日、男性の妻が疲れてうとうとしているときに、男性は自宅から出てとめどもなく歩いた。徘徊した。 いなくなったのは、6分か7分くらいの時間だった。 男性は、愛知県大府市の線路の踏切りに入った。 疾走してきた電車にはねられて死亡した。 「家族が監督義務に違反していた」(JR東海の賠償提訴の主旨)。 最高裁の判決の結論。 「妻は、当時85歳だった。 要介護1と診断されていた。長男も同居していなかった。横浜に住んでいて、月に一回か二回、週末に自宅に通うという程度だった。 いずれも、介護はしていたが、監督が可能な状態にあったとはいえない。 だから、賠償責任はない。」 |
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《ポルソナーレのカウンセリング》 日本人の認知症(痴呆症)とは、「行動が止まること」が定義です。「行動が完全に止まる」というのが「中核症状」です。「ベッドの上で寝たきりで過す」「トイレにも一人で行けない」「入浴も一人では入れない」「食事も一人では摂れない」というのが行動の止まりです。 事例の男性の「外出が好き」「徘徊する」「自分のいる場所が分からない」「食事を摂ったことを忘れる」というのは「周辺症状」です。 「行動の部分的、限定的な止まり」という症状です。 周辺症状を「行動が部分的、限定的に止まることである」と定義すると、周辺症状は、必ずしも高齢者に限ったものではないことが分かります。 「学校に行かない」「仕事に行かない」「外出したくない」「家の外に出て行きたくない」なども、「行動の部分的、限定的な止まり」です。したがって周辺症状です。 日本人の「行動の止まり」は、なぜ起こるのか?の理由と原因は、脳の働き方から明らかになります。 日本人の使う日本語は、已然(いぜん)と未然(みぜん)が使い方の基本型です。「自分自身にとって」という判断の仕方が「已然」と「未然」です。 山下秀雄の『日本のことばとこころ』(講談社)の中の説明を参考にすると、已然と未然の違いは次のとおりです。 A「もう来るよ。まだ来ないね。すぐ来る」(未然) B「あ、来た。あそこに来たのでは?ほら来た」(已然) Aは、「自分自身にとって」という判断の基準から見て、「待っている人物が来ていない」ことを言い表しているので「未然」です。 Bは、「自分自身にとって」の判断の基準に照らすと「待っている人物が来た」ことを言い表しているので「已然」です。 「已然」も「未然」も「自分の行動」だけを言い表します。AにもBにも、「5W1H」とか「場所」「時間」「状況」などの「名詞」や「抽象名詞」が無く、否定されていることが分かります。 「名詞」や「抽象名詞」や「形容詞」は「自分自身にとって」ではなく「相手にとって」(複数の人間、大勢の人間にとって)を言い表します。 日本人の「已然」と「未然」は、「自分の行動だけ」を言い表すというものの考え方のことです。「名詞」「抽象名詞」「形容詞」というルール、きまり、約束を「否定」するという脳の働き方のことです。これが日本人の「内扱い」の実体です。 日本人が「仕事に行く」「学校に行く」などの「行動」を可能にするのは「仕事」「学校」という行動の目的、行動して関わる対象の「名詞」や「形容詞」の言葉を憶えている時に可能です。 しかし学校に行っても教科書の言葉が分からない、授業を教える教師の話す言葉が分からないという時、学校に行くのが苦痛、学校での人間関係も嫌でしょうがない、ということが起こります。 これが認知症(痴呆症)です。 「母親」が子どもの乳幼児の頃から小学校の低学年まで、「子どもの顔、目を見ない」「子どもの話をおしまいまで聞かない」ことが原因と理由です。 目や耳の自律神経の交感神経が止まり、副交感神経が優位に働くために「言葉」(名詞、抽象名詞、形容詞)を「憶えない」(憶えられない)という「已然」と「未然」の脳の働き方になります。 「学校に行く」「仕事に行く」という「已然」と「未然」の行動が続いていれば、他者の「行動」をマネして、何度かくりかえすと「自分自身にとっての行動」がつくらえます。 しかし、ここで「自分」も「母親」と同じように「自分も相手の顔、目を見ない」ということをおこなうと、勉強のことも、人間関係のことも、この中の「名詞」や「抽象名詞」「形容詞」をいっさいがっさい否定して、そのための敵対的なイメージが思い浮びます。これが周辺症状の「幻覚」です。 事例・ケーススタディの認知症(痴呆症)の男性は、「母親」が「子どもの顔、目を見なかった」「子どもの話をおしまいまで聞かなかった」という生育歴と家庭環境の中で育った人です。 「自分自身にとって」という「已然」と「未然」の「行動」は、「食事はまだか?」「外出を止めると怒鳴って怒り出す」というように、「5W1H」に代表的な「行動の秩序」を壊して、壊した結果の快感のドーパミンの分泌を「行動の目的」にしてきました。 「自分も相手の顔、目を見ない」「ソッポを向いて相手の話を聞く」と、血管を流れる血液の中に、血管を拡張する生化学物質が滞留します。ヒスタミン、セロトニン、アセチルコリン、プロスタグランジン、ロイコトリエン、コレチストキニンなど、です。 不快、イバリ、痛み、苦痛、不愉快などの感覚をつくり出します。 目、耳の働きが副交感神経優位になると、セントラルドグマ(生体防御システム)が止まり、自己免疫疾患が起こり、不快と、イバリと痛みの日々になるのです。 事例の男性のように、生活の中の秩序や社会の中のルールを否定する(名詞、抽象名詞の否定)イメージは、生化学物質が作用する「イバリ」や「不快」などが内容をつくります。これが「徘徊」とその内容の幻覚です。この幻覚のイメージは「顔を見ない、目を見ない」という時の相手がいなくなると、「行動の目的」が消えたも同然となるので止まり、中核症状に陥るのです。 改善、および、予防の対策は、「自分の顔を見せる」(世話をする人)、「相手の顔、目を見る」(相手とは認知症の人、当然、若い人にもあてはまります)、「おこなってほしいことをブルガリア方式で話し、認知的不協和を脳の中に発生させる」ことです。 興味のある人は、ぜひ試してみてください。 |
谷川うさ子さん |
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関連ページ:日本人の已然と未然の動詞中心の言葉は、ルール、きまり、約束にかんする言葉は「聞かない」「話さない」(省略する、無視する、忘れるということです)ということを本質にしています。 関連ページ:第17期の成果と、第18期の教育の方針と狙いをお伝えいたします。 関連ページ:ポルソナーレのカウンセリング・ゼミが明らかにした 日本人の要介護と認知症(痴呆症)の予防、改善 のためのマニュアルをお伝えします。 関連ページ:予防と改善の決定版 「日本人の認知症(痴呆症)、および要介護状態」の引き起こされ方と増加のしくみ。 関連ページ:「予防と改善の対策」 日本人の認知症(痴呆症)は、日本人の多くの人がおこなっている学校の勉強や仕事の憶え方の「丸暗記」が直接の原因である。 関連ページ:脳を発達させる日本語トレーニングペーパー パートIV、第9ヵ月め学習テーマ 認知症(痴呆症)の改善の仕方への真実の愛のメッセージ ◎この「読むだけで幸せになる手紙」は、メルマガでも配信しています。 メルマガ申込みはこちら。 メルマガバックナンバーはこちら。 | 谷川うさ子さん |
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