●知らなきゃ損!日本人の病気は「ル・ラル」「ス・サス」の二分法がつくり出すと分かれば病気は一気に解消!
国語学者・大野晋の『日本語の文法を考える』(岩波新書)を読んだ人は多いでしょう。
誰にも分かっていることは次のことです。
◎日本語は動詞文である。
(日本語には、概念としての名詞、抽象名詞は存在しない。動詞の言葉をアメ細工のように加工して名詞などの品詞を作為的に作っている。)
◎日本語の動詞は、「ル・ラル」と「ス・サス」の二通りの使い方をして言いあらわしている。
(「ル・ラル」とは「隠る」、「流る」のように「ル・ラル」のつく言葉のことだ。自然成立といい、価値が高く、尊敬を言い表す。敬意を現す。
「ス・サス」とは、「隠す」「流す」のように「ス・サス」のつく言葉のことだ。作為性といい、否定の価値をあらわす。貴様、お前(テメエ)のように、否定して壊す作り方を現す。)
ちょっと読んだだけではピンとこない人も多いでしょう。
例をあげて解説します。
《例》
「わたしは人が恐い」
この言葉は二分法でつくられています。
言うのは発音、発声であらわされます。この発声・発音は「自然成立」だから「ル・ラル」による表現です。「ル・ラル」は価値有りの判断でおこなわれます。すると、「わたしは人が恐い」という発音・発声は非常に価値が高い、しかも尊敬されるべきことだと、自分で、高く評価します。
次に「人が恐い」という内容は「ス・サス」の作為性でつくられます。人の理解、人についての知識は作為性によるものだから、どんなに正しくても、哲学的にみて正当でもそれは「作為性である」、だから、デタラメをしゃべるべし、と判断されます。
したがって、「恐い」の証拠も原因の事実もないのに、「ウソ」が語られます。「ス・サス」は、ひとりの人間の脳の働きの中で、「必ず、デタラメをしゃべらなければならない」という判断にもとづいて語られる「嘘」です。
さらに、「人が恐い」と話したり、言いあらわすのは発音・発声をおこなう「自己」という主体です。発音・発声と自己は、欲をもつ、また欲を実現することをあたりまえにしています。自己とは「自然成立」(ル・ラル」の対象です。
このような自分が「人が恐い」と言えば、「ル・ラル」によって価値有り、とみなされます。そして自分を「尊敬」扱いします。
だから「人が恐い」というデタラメの内容はデタラメであるが故に、高く評価されるものとみなされて、嘘を正当のことだと価値づけるのです。
この「ル・ラル」と「ス・サス」の思考の二分法は、社会、他者に向けられるときは、「近づかない」「どんなに知的なアドバイスでも、それはス・サスの作為性だから、破壊する」というように判断します。
これが、日本人の認知症に至るうつ病、分裂病をつくりつづけている脳の働き方というものです。
対策は、「5W1H」「時制」を言うことであると、ポルソナーレのカウンセリング・ゼミは明らかにしています。
「病気はひとえにお金がかかることだ」というデメリットに心が動く人は、ぜひとも実行してみましょう。