「肯定バイアス」とは、心理学の用語です。どういうことをさして「肯定バイアス」というのかについて、次のように説明されています。
- 人は、ものごとの事実を確かめ るとき、自分なりの仮説を立てる。
そして、それが正しいかどうか?を確認する。
- しかし、仮説に合う事例を探すことはあっても「仮説が正しければ、このような答えは出ない」という反証例を出すことはしない。ここでしばしば、誤りを犯す。このような思考の傾向のことを「肯定性バイアス」(確証バイアス)と呼ぶ。
- 一般的な例をあげると「予知夢」というものがある。「不吉な夢を見た……すると不幸が起こった」というものだ。ここでは「不吉な夢」と「不幸なことが起こった」を結びつけることがある。しかし、「不吉な夢を見た……不幸は起こらなかった」ことは不問にされる。
- 本当は、後者のケースが圧倒的に多いのが現実だ。不問にしているために、このことは意識にものぼらない。
多くは無視されてしまうのだ。
■これが「肯定性バイアス」(肯定バイアス、もしくは確認バイアスともいいます)の内容です。
ここでは、「ものごとの事実を確かめる場合」という状況で「肯定性バイアス」が起こる、と説明されています。
「仮説」に見合う事実だけが注目されていて、正反対の「不成立の事実」は無視されることが「肯定性バイアス」です。「肯定性バイアス」がおこなわれるところでは、「仮説を成立させない事実の方が圧倒的に多い」と説明されています。
五木寛之の「鬱」(うつ)の概念の解釈は、「鬱(うつ)」は現実と適合していく生命のエネルギーのことだという『意味』でした。「うつというものはむしろ良いことだ」という評価が与えられています。香山リカも、この点に同調して、「ちょっとくらいの鬱(うつ)は、治療の対象ではない、カラオケにでも行ったり、五木寛之のように鬱(うつ)もいいものだと発想することが望ましい」とのべています。
すると、どうなるのでしょうか。
鬱(うつ)の正しい『意味』の「現実と不適合に陥る」ことが肯定されることになるのです。
五木寛之の「鬱」(うつ)の概念(がいねん)にたいする『意味』の理解の仕方はきわめて特異的です。「鬱蒼(うっそう)たる樹木」という文の言葉を見て、「この中には人間の生活は入り込めない」という「メタファー」の了解が回避されています。
「メタファー」とは、「鬱(うつ)」という概念がつくどのような合成語にも共通する『意味』のことです。言葉の『意味』を正当に検証する、ということが回避されています。
人間は、言葉の『意味』によって「行動する」ということを、すでに皆さまはよくご存知のとおりです。
「言葉」の『意味』を作り変えて、「誰でも喜びそうな言葉で『意味』を語る」ことを「バーナム効果」といいます。「バーナム効果」の言葉を『意味』に立てるとは、何のことでしょうか。
「行動することは、即、快感でなければならない」という思考パターンのことです。これは「うつ病」の思考のパターンのことです。「鬱(うつ)は、むしろいいことだ」と肯定されています。現実と不適合に陥って孤立することは良いことだ、と肯定されています。これは「本格的なうつ病のすすめ」というものです。五木寛之の「鬱(うつ)は、肯定的な意味をもつ」という主張に同調して「なるほどー」と共鳴している香山リカも「現実と不適合に陥って孤立する」という立場に立っています。
問題は、「言葉」の『意味』を学習して憶えるときに、「肯定性バイアス」の仮説の立て方をおこない、ここからさらに「バーナム効果」をもつ「言葉」の『意味』を作り出していることにあります。五木寛之は、自分自身の「鬱(うつ)病」(30歳代に一回、40歳代に一回のうつ病の体験)を例にあげています。
「夏目漱石」「芥川龍之介」「宮沢賢治」などの日本の文学者もことごとく「鬱(うつ)」の系譜につらなる、と指摘しています。日本の文学者は、「言葉」の『意味』を、「肯定性バイアス」の仮説のもとに「バーナム効果」をもつ「メタファー」を『意味』として作り出してきている、と証言していることになるのです。日本文学者の「バーナム効果」とは、どういうものでしょうか。五木寛之が「鬱(うつ)」は良いことだと肯定しているように、現実と関わる「行動」は、現実から孤立して、どこまでも孤立しつづけて生きられ難くなることを喜ぶ、という効果のことです。五木は、次のようにのべています。
五木「戦後の日本は、プラス思考一辺倒でやってきた。それがここへきて転んだ。それが今の状況だ。笑いは、批評であり文化であるといわれた。
涙は歌謡曲や演歌の世界だ。
マイナスの世界である、と。だが、この考えに反対だ。喜納昌吉(きなしょうきち)の『花』は、1980年にリリースされたとき全くヒットしなかった。当時は、泣きなさい、笑いなさい、という歌詞でみんな笑っていた。それが、90年代に入ってみんなこの歌を歌うようになった。
ある有名な版画家がバンドをつくった。老人ホームに慰安に行く。
老人は、悲しい生活をしている。明るく励まそうとマーチなどの景気のいい曲をやった。もう止めてくれ、と言われた。
毎日、悲しい気持ちで生きている。
悲しいときは悲しい歌を聴きたい。
バンドの人は絶句した。そこで悲しい歌を演奏したところ、涙してまた来てくれと言われた。悲しいとき、人は悲しい歌を聴きたいもんだと、しみじみ思ったという」。 |