日本の子どもに増えている「うつ病」は母親と父親が原因をつくっている |
平成20年8月8日の日経の報道によれば、日本の小中学生の「不登校」が2年連続で増えているということです。文部科学省の「2008年度・学校基本調査速報」の発表によります。「2008年度中に不登校の小中学生は、12万9千254人」で、前年度に比べて1・9%増加した、と説明されています。
小中学校の子どもが「不登校になった理由」は、次のようなものです。
「なんとなく登校できない、集団の中に入れない、など本人の性格にかかわる問題」(38・8%)、「いじめを除く友人関係」(18・4%)、「いじめ」(3・5%)の順となっています。
では、「不登校」の最多の理由となっている「なんとなく登校できない、集団の中に入れない」とは、どういうことが考えられているのでしょうか。
子どもが「学校に行く目的」は、次のようなものです。
第一位…学力の向上
第二位…クラスの運営に参加する
第三位…学校の教育方針に参加する
第四位…学校の先生と、教科書の勉強を橋渡し(媒介)にして、自分から仲良くする
第五位…クラスの友人と、男女に共通する人間関係の法則のとおりに仲良くする
子どもが「学校に行く目的」を価値の高い順から並べてみると、このような順位になります。
すると、「小中学生」に増えつづけている「不登校」の理由の「なんとなく登校できない」というのは、「学力の向上」や「学校の教科書の勉強を橋渡しにして、教師やクラスの友人と、自分からすすんで積極的に仲良くできない」という「社会性の能力」の欠如にあるのではないか、と推察されます。
平成20年7月19日に「埼玉県川口市・父親刺殺事件」が起こりました。長女(中学3年生・15歳)が容疑者でした。
長女は、父親を刺殺した動機として、次のように供述しています。
「もともと、勉強が好きではなかった。3年生になって成績が下がり始めた。両親から怒られて、イライラするようになった。
保護者会で、成績が下がったことが親に知られると、お父さんも、お母さんも嫌な気持ちで死ぬことになると思った。その前に、全員を殺して自分も自殺しようと思った」。(平成20年8月8日。日経による)。
この長女の「母親」は、「勉強しろときつく言ったのは、父親ではなく、私かもしれない」と話しています。 |
日本人の母親と父親は子どもに「勉強しろ」と言う |
すると、小中学生の子どもが「なんとなく学校に行けない」と考えるに至った直接の原因は、「親が勉強しろと、叱ったこと」にあるように思われます。「父親」と「母親」が「勉強しなさい」と「叱る」(きつく言う。厳しく責める)と、子どもは「学校」にたいして不適応に陥るのでしょうか?もしそうだとすると、その理由はどのようなものでしょうか? |
『プレジデントFamily』(プレジデント社・刊。2008・10)では、「母の叱り方、父の叱り方」を特集しています。明石要一(千葉大学教授、教育社会学専攻)が解説しているところの要点をご紹介します。
(プレジデントFamily、2008・10よりリライト・再構成) |
日本人の子どもの勉強とは「暗記」のこと |
- 首都圏の学習塾に通う「小学6年生」の生徒と親へのアンケートの回答をもとに、成績上位層(優)と普通層(普)の子どもの親の叱り方のアンケートの結果はこうだ。
- 成績上位層の親は、強く注意して叱るときの時間がスパッと短い。
軽く「叱ること」を毎日、3回以上おこなっている。
- 成績上位層の子どもの親は、テストが「90点」のとき、残りの「10点」にたいして「ダメ出しをする」(72%)。
成績が普通層の子どもの親の「ダメ出し」は56%だ。
また、成績上位層の親は子どもをホメる(18%)と少なく、「成績普通層」の親は「41%」がホメる。
- 「成績上位層」の親は、叱るときは「問答無用型の叱り方」で、「叱る理由」を説明する親は30%にも満たない。
子どもは、「叱られる理由」に納得しているか?
「成績上位層」の子どもは55%が納得していない。
「成績普通層」の子どもは、48%が納得していない。
- 中学生の子どもへの質問。「テスト前にどんな勉強をしているか?」。
Aタイプ…テスト前の一週間前から勉強する。ノートを整理する、単語帳を覚える、マーカーを塗る、などだ。
Bタイプ…一夜漬け、半分徹夜で、ガーッと詰め込む暗記型。
Cタイプ…ヤマを張る。物理はあのあたりが出そうだとか、先輩に去年の問題を聞くとこんなところが出そうだとかと、強化ポイントをしぼって暗記する。
Dタイプ…「勉強だけが人生じゃない」といって全く勉強しない。
「成績上位層」の親の子どもは、「Aタイプ」と「Cタイプ」に近い特性をもっている。
子どもの成績が上がらないと、親は「親の努力が足りない」と考えて、「子どもを叱る時間」が増えていく。
- 親が、子どもを叱る時に「叩くことがあるか?」についての回答は、次のとおりである。
「成績上位層」の子どもの親は「40%」が「叩く」。
「成績普通層」の子どもの親は「46%」が「叩く」、と回答している。
「叩くこと」は、成績には影響していない。しかし、子どもの「親」にたいしての感情は、「叩く親を好き」(53%)、「叩かない親を好き」(79%)という違いがある。
|
「脳学者」の「篠原菊紀」(きくのり)は、
「子どもの叱り方」について「助言」として次のようにのべます。 |
脳科学者は「叱ること」を有効と考える |
- 思春期にさしかかる小学高学年の子どもへの叱り方は「じっくり考えさせる」ことが目的になる。ナットクして理解させるという叱り方になる。すると「叱る時間と場所」を選ぶ必要がある。
脳の自己反省の部位は「前頭葉外側部」である。ここは「知」の中枢である。もう一つは「眼か前皮質」だ。他者の気持ちや雰囲気を読む、など「情」の中枢だ。もう一つが、「内側前頭皮質」。内省をうながす。
- 「叱る」ときには有効な「時間帯」がある。「入浴前」「寝る前」だ。人間は、睡眠中も脳を働かせている。この時、脳の扁桃体のもつ「快い記憶」を利用する。
「お前はダメだ」という否定形ではなく「お前なら出来るはず」という肯定形で話を終わらせるというものだ。
- 思春期には、「脳の前頭葉」が再構築される。叱り方のニュアンスは、声の強弱を少し強める、少し長めにする、顔の表情もややオーバーにするなど、分かりやすくする。脳の機能の「表情読み」のスピードが鈍くなるからだ。
|
「心理学者」の「星一郎」(アドラー派の心理療法士)は、
「子どもの叱り方」について次のような「助言」をのべます。 |
心理療法士は「叱ること」には必然性があると考える |
- 「第一子」は、初めての子どもである。不安が多い。そういう親に育てられた子どもは、マジメで慎重な性格になる。親も経験不足のまま育てる。
すると、「第一子」は「失敗作」だ。「失敗作」だから「叱られる」ようなことをする。
親が叱るときは、「失敗作」であることを前提にしなければならない。
- 「第二子」は、「生まれたときから自分はつねに二番目」という避けがたい運命のもとに生まれる。
何をしても「第一子」にはかなわないと思っている。親の期待も自分より上の子に向いていると思っている。しかし「親の期待に応じなければならない」というプレッシャーはなく、大らかで個性的な性格になる。
そして上の子を見て、「ああやれば怒られるんだな」「こうやればいいんだな」など、実験材料にして育つ。すると、「第一子」と違って、正反対の性格になる。
社交的で、世渡りがうまい性格になる。セールスマンとか、人と交渉する仕事で力を発揮する。
- 「第一子」は、「自分ばかりが叱られて損だった」という記憶をもつ人が多い。
だから、「叱るとき」は「人格」ではなく、「行動」を対象にすることが大事になる。
親の役割りは、子どもが「良い行動」ができるように教え、導くことだ。「第一子」は親の経験不足で正しい行動ができないのだから「どうしてできないの!!」ではなくて「次は、こうしましょうね」と伝えることが大事である
|
日本人の子どもの「勉強」とは、暗記が全てである |
■日本人の「一般的な親」による「子育ての仕方」というものがよく分かる内容になっています。
『プレジデントFamily』誌で特集されている「親の子育て」「親による子どもの成長のさせ方」の特徴をまとめると次のとおりです。
- 「勉強をしろ」とは言うが「このように学習する」ということは、教えない。
- 「学校の成績」の結果が良くなるように叱ったり、行動をうながすが、「勉強の仕方や方法」については放置する。
- 「学校に行くこと」の目的は、「テスト」のための勉強に象徴されるように、「暗記すること」が目的になっている。その一例が「中学生」への質問に見られる「テスト前の勉強の行動パターン」である。
Aタイプ「ノートを整理する。単語帳を憶える。マーカーを塗る」、
Bタイプ「一夜漬けでガーッと詰め込む。暗記する」、
Cタイプ「出題されそうな問題を予想して、ヤマを張る」、
Dタイプ「勉強しない」、などだ。
「親」が「勉強しろ」と叱って、子どもに取り組ませるのは「Aタイプ」か「Cタイプ」の「行動」である。
|
日本人の子どもの「うつ病」は、「勉強しろ」の言葉に原因がある |
■見方を変えると、初めにご紹介した「小中学生の子どもの不登校」は、このような「親」の「子育ての仕方」に原因があることになります。親もまたこのことを承知しています。「子ども」が「学校に行きたくない」と言い出せば、「ムリに行かなくてもよい」と許容しているからです。
「人間関係をうまく構築できない子どもが増えている。また、欠席を、安易に容認したり、嫌がるのを無理に行かせることはない、と親の意識が変化している」(都道府県教育委員の回答。65%)。
「登校を強くうながすことが自殺につながるケースもあり、登校を無理強いしないという親の意識が広まっている」(文科省・児童生徒課の話)。(平成20年8月8日、日経より)。
「埼玉県川口市、父親刺殺事件」は、『プレジデントFamily』誌の中で「助言」としてのべている「脳科学者の篠原菊紀(きくのり)」や「心理学者の星一郎」らが許容している「叱り方」のとおりに「親」が「叱った」結果、発生した「うつ病」の現象であることはまちがいありません。
すると、小中学生に増えている「子どものうつ病」は、なぜ、発生するのか?が問われなければなりません。子どもに「勉強しろ」と言う、ということの中に「うつ病」の発生の原因があります。「成績の上位層の子ども」ほど、ほとんど毎日、短い言葉で「叱られる」という子育ての状況の中に「子どものうつ病の原因がある」と理解しなければなりません。 |
子どもの教育の原点は「愛着」である |
『カウンセラー養成ゼミ』の中でケーススタディとして一年以上もご紹介しつづけている『赤ん坊から見た世界・言語以前の光景』(無藤隆、講談社現代新書)の中に、「子育て」のモデルがあります。
「子育てのモデル」とは「愛着」(あいちゃく)のことです。
前々回の本ゼミでのご紹介に引きつづいて、もういちど要点をご紹介します。
- 乳児期に成立する最も重要な「対人関係」のあり方が「愛着」である。
- 乳児は、親密で情緒的な関係を形成した対象にたいして、それへの接近を維持しようとする。
- 乳児は、愛着の対象に接近して、その接近を維持することで「安心」を確保する。
その対象を「安全基地」として「まわりの環境」の「探索活動」をおこなう。この中で、「恐れ」「不安」がもたらされると、また「愛着」の対象との接近と接触を求める。
- 乳児は、歩けるようになると「母親」から離れてまわりを探索する。しかしたえず母親の様子をチェックして、また定期的に母親のもとに戻っては、また探索におもむく。
- 一般的に、親密な人間関係は、「心理・生物学的な同調」をとおして発展する。そして維持される。
- 「同調」とは、相互作用のパートナーが互いに、「行動」「生理学的に協調」するときにあらわれる相互作用の現象のことだ。
「行動的メッシング」「感情的マッチング」「同期性」「シンクロニー」「エントレインメント」などと呼ばれる。相手の動きに合わせて、思わず知らず、同じように「動くこと」をいう。
- 母親と小さい子どもの中の相互作用の中の「同調」、「同期」とは次のようなものだ。
-
親が、「自分の行動のリズム」を子どもに合わせる。子どもが親を見つめる、目をそらす、ことに応じて刺激を増やす。
- 乳児のリズムに応じることなく、自分自身の「乳児」に対する刺激を増やす。このことで乳児が「目をそらす時間」を増やす。
- 親は、自分自身のリズムに固執する。乳児のリズムを「母親自身のリズム」に合わせるように、乳児を変えていく、というものだ。
この???のパターンでは、?のパターンが「子ども」にとって望ましい。子どもの成長の度合いに応じて?のパターンが発生していく。?のパターンは、「母親がうつ状態」にある場合のケースである。(アメリカ・マイアミ大学のフィールドの研究による)。
- フィールドの実験と観察によれば、乳児期に体験した「愛着」が、「安定」か?「不安定」か?は、成人した「大人」になってもそのままあらわされる。友人関係、恋人関係、夫婦関係、そして「親子関係」などだ。
「安定した愛着」とは、[7]の?のパターンのことである。
「不安定な愛着」とは、[7]の?のパターンのことだ。
- 「不安定な愛着」を記憶している人は、「否定的な方向での同調」をあらわすことが観察されている。「相手にたいして不適応の関係」をあらわすのだ。
互いに、「親しくない関係」を行動であらわす。相手が険悪になると自分もまた険悪になる、という関係である。
- 「安定的な愛着」を記憶している人は、適度な「同調」の関係が見られる。「否定的な方向」に同調が片寄っていない。互いの関係の適応が良く、故に「親しさ」の方向へ向かう。ここでは、相手の「肯定的な気持ち」には「肯定的に応じる」、そして「相手の否定的な気持ち」には、修復する働きかけがおこなわれる。
|
日本人の「愛着」には「言葉」が無い。子どもは「言葉」に孤立する |
■「愛着」(あいちゃく)という概念を見つけ出して発展させたのは「ボールビー」(イギリス。精神医学者)、「エインズワース」(アメリカ。発達心理学者)、「フィールド」(アメリカ。マイアミ大学)です。
「愛着」(あいちゃく)という母親と乳児(0歳3ヵ月よりスタートします)の関係は、二通りの意味をもっています。
一つは、文字どおり、母親と子どもの間の「対人意識」です。
日本人は、眼で相手を「見る」、相手が「自分を見る」(自分は、相手から見られる)という「対人意識」を記憶する原型になります。
欧米人の場合は、「同調」にも「同期」にも、『言葉』(話し言葉)が介在する、という違いがあります。
日本人の子どもは、母親の「目の色」「顔色」だけを「同調」の中の「安定」か、「不安定」として記憶します。
欧米人の場合は、「目の色」「顔色」は「安定」か「不安定」の根拠としてあらわされます。『言葉』によって「安定」か「不安定」が伝えられます。子どもは、『言葉』をとおして「安定」の能力を発達させていくのです。
二つめは、「愛着」(あいちゃく)という行動(手足の動き、話し言葉も行動です)は、「同調」と「同期」の二つで構成されていることです。
「同調」とは、相手の気分や感情に合わせるということです。
「同期」とは、相手の動きや相手の置かれている状況に自分の動き、行動を合わせる、ということです。このことは、「子ども」の立場に立ってみると、『探索すること』(まわりの環境に関わりをもって、「認知」したり、「認識」すること)の「記憶」を促進する、という意味をもつことになるのです。このように、「ある行動」が「別の意味」にも通じることを『メタファー』といいます。
『メタファー』とは、「見立て」ということです。「月見うどん」「目玉焼き」「キツネうどん」が『メタファー』の好例です。あるいは、「人生の道」「この道こそが王道である」といった表現も『メタファー』です。
「子ども」にとって「愛着」(あいちゃく)の中の「同調」は、「この自分の行動は良いか?正しいか?」を記憶する『メタファー』になるのです。すなわち、『言葉』を憶えるということの『メタファー』です。さらに、『言葉』の『意味』を記憶する『メタファー』が「同調」です。 |
人間は「言葉の意味」で行動する |
なぜでしょうか?すでにみなさまにはお伝えしているとおり、人間は「言葉」によって行動します。さらに、『言葉』の『意味』によって「行動」を可能にするのです。このことはたいへん重要なことです。
日本人は、「見る」「見られる」という「眼」の視覚を中心にして「行動」するでしょう。「相手の表情」を「読む」といいます。「空気を読む」ともいいます。その場の状況のムードや気分の気配を察知して、自分の「行動」を決めよ、という主旨です。ここには「こうしましょう」「次は、このように動きませんか?」といった明確な言葉による表現はありません。「空気が読めない人」は、「天気予報」の大気の動きが分からないので「雨の日」もカサを持たないで外出することに等しいトラブルにぶつかります。このことは、日本人にとって「母親の顔色」「母親の目の表情」は、『言葉』の「意味」に相当することの証明になるのです。
「同期」は、何の『メタファー』になるのでしょうか?『愛着』(あいちゃく)の中の「乳児の行動」を思い出してみましょう。「探索」(たんさく)に出かけて動くときの「行動」のことです。子どもにとっては「未知の環境」の中に自分ひとりの力で出かけていくことを意味します。ここで「母親」は、子どもの「探索の行動」を見ています。たいていの子どもは、立ち上がり、自分の足だけで歩くための「空間認知」を記憶していることになるのです。少しずつ移動の距離を伸ばします。また、部屋はカベやドアで仕切られているので、「右に行けば行き止まり」「左に行けばドアがあって、別の空間に通じている」ということを分かるのが「空間認知」です。これは、やがて、「家の外」という「空間認知」につながり、「社会性の世界」の認知へと拡大されます。「母親」は、子どものこのような「行動」を目で見ていてその中での「行動」に「同調する」ということをおこなうのです。この「子ども」の「行動」の拡大を分かる、ということが「同期」です。子どもの「社会性の能力」の発達を支えるのが「同期」です。
すると、「同期」とは、「子どもの自立」「子どもの社会参加」「子どもの自我の発達」などの『メタファー』であることがよくお分りでしょう。 |
日本人は、子どもの欠陥を見つけて「叱る」が、子育ての仕方 |
■「愛着」(あいちゃく)という概念は、「ボールビー」や「エインズワース」、「フィールド」らが長年にわたって観察したり、実験をとおして確かめているように、「成人して大人」になったときも、「対人関係」の中の「親密さのための行動や維持」の能力として記憶されます。「母親」によって「安定した愛着を記憶している人」は、友人、恋人、夫婦、そして「自分の子ども」が「不安定な気持ちの状態」にあるとき、「安定した状態」になるように働きかけます。しかし、「不安定な愛着」しか記憶していない人は、「相手が肯定的な行動」をとるときは「否定的な同調」をあらわします。また、相手が「否定的な行動」をあらわすと自分もまた「否定的な同調」をあらわします。このことは、マイアミ大学のフィールドが追跡調査によって確かめています。
「愛着」(あいちゃく)の概念は、欧米人によって提唱されていますが、この「愛着」(あいちゃく)の本質は、日本人にも適用されます。なぜかといえば、「人間は、誰でも気持ちが安心しないと、正しくものを考えることはできない」という本質は共通するからです。
この「愛着」(あいちゃく)についての考え方は、そのまま日本人の「子育て」の基準として適用されます。「子育て」とは、「幼児教育」のことです。
「幼児教育」という「教育」から「愛着」(あいちゃく)という概念が創出されているのです。
日本人には、「子どもを産んで育てる」という意識はあっても、「幼児教育」という観念がないということの言い方が「子育て」という言葉の意味するところです。
『プレジデントFamily』誌が特集している「母の叱り方、父の叱り方」(特集テーマ)について考えてみましょう。
ここでは、「子どもは叱るものである」ことが前提になっています。アンケートによれば、「母親」と「父親」の「叱り方」とは次のとおりであるとされています。 |
日本人の親は、「言葉の意味」が分からない子どもに育てている |
[父親が叱るとき]
- 軽く注意するとき
成績がいい子どもの場合…16%
成績が普通の子どもの場合…12%
- 怒鳴るなど、強く注意するとき
成績のいい子どもの父親…22%
成績が普通の子どもの父親…9%
- 諭すように話をするとき
成績のいい子どもの父親…20%
成績が普通の子どもの父親…17%
[子どもは、何について叱られたと思っているか]
- 成績が上位層の子ども
勉強について…44%
生活態度について…28%
- 成績が普通層の子ども
勉強について…54%
生活態度について…28%
■日本人の「愛着」は「距離が無い」という「同調」の仕方です。「見る」「見られる」という視覚を中心にした関わり方は「親」と「子ども」の双方に「クローズ・アップ」という視覚のイメージを記憶させます。これは、「手で触って覚える」ことと同じ「触覚の認知」の脳の働かせ方をつくります。「同調」とは、『言葉』の「意味」を憶えることの「メタファー」でした。
すると、日本人の子どもは「勉強をしろ」と「叱る」ということによって、「勉強すること」の対象の「学校の授業」と「教科書に書かれている言葉」を「手で触る」「自分の身体の皮ふにベッタリとくっつける」ことと同じような仕方で「丸暗記」することしかおこなわないことになるのです。「叱る」ということがひんぱんにくりかえされることで、「一夜漬け」や「ヤマを張る」「マーカーを塗る」「ノートを整理する」「単語帳を暗記する」などが推進されます。 |
日本人の親は、「馬をムチで打つ」ように暗記に走らせている |
「叱る」ということがなければ「母親」や「父親」との距離が離れるので、「暗記する」という行動の「意味」も消滅します。
「勉強だけが人生じゃない」と考えて「テスト前」でも、「全く勉強しない」という「負の行動の意味」をあらわすようになるのです。
ここでは、一体、何が問題になるのでしょうか。
欧米人の親の「愛着」の関係を考えてみましょう。欧米人の「愛着」の「同調」とは「話し言葉」によって「子どもの行動」に共感することでした。
「学校に行っている子ども」の「同調」ならば、「勉強をする」という「現象的な行動」についてではなくて、「国語」なら「国語」の内容について学習したことの中身について、「その理解でいいと思う」「その理解は、なぜそう思うのかな?」「なるほど、そういう分かり方はたいへんすばらしいと思います」などと「同調」するのです。「同調」とは、「行動することの意味」の「メタファー」でした。だから、「国語の勉強をした」とは、「国語の授業と教科書にのべられている言葉がこのように分かった」の「このように」について「同調」が差し出されるのです。
「算数」の場合なら、「1,2,3,4」と数えることと「ゾウさんの1と、ヒヨコの1はなぜ同じなのか?」といった、「順序数」と「量としての数」について正しく「分かったこと」に「同調」が差し出されるのです。
「同調」とは、肯定的に対応することをいいます。子どもが学習につまづいても、「肯定的に関わる」ことで、「行動すること」とは、イコール『言葉の意味』を学習する行動の「記憶」になるのです。
「学校に行く」とは、「学力の向上」が唯一の目的でした。この「学力」とは、「言葉の意味」を学習することです。「学習」とは、脳の働き方にもとづくと「長期記憶」として「左脳系の海馬」に記憶することをいいます。
「言葉の意味」は「子どもが一人の力で行動する」ための根拠になります。『言葉』の「意味」とは、「社会性の能力」のメタファーであるのです。 |
親が「叱る」ことでつくられる子どもの心の病気の内容 |
日本人の子どもは、「叱る」か、「学校に行きたくなければムリに行かなくてもいい」と放置され
ることで言葉の「意味」の学習に「否定的な同調」しか与えられず、「勉強すること」にたいして「孤立」しています。「うつ病」に陥らせているのです。
これが「小中学生に増えている不登校」という「うつ」の病いの実体です。
「脳の働き方のソフトウェアのメカニズム」から見た「母親の叱り、父親の叱り」による子どもの心の病気の起こり方は次のとおりです。
- 母親が叱れば、子どもは、「暗記すること」もできなくなる。
- 父親が叱れば、子どもは、学校に行くという「同期」をなくして、社会参加ができなくなり「不登校」になる。
- 母親が、「同調」しなくなると、子どもは「勉強だけが人生じゃない」と言葉を憶える能力をなくす。
- 父親が「同調」しなくなると、子どもは、学校に行くこと、勉強することに「恐怖」を覚えて、逃避のための妄想をつくって、妄想のイメージが鮮明なときだけは「勉強」に関われる。
|