人は、なぜ、「想い」さえすれば「願いごと」が叶うと思い込むのか? |
佐藤富雄(医学博士、理学博士、農学博士)が、『愛されてお金持ちになる魔法の言葉』につづいて、「ベストセラー第二弾」として、『愛されてお金持ちになる魔法のカラダ』(全日出版・刊)を書いています。
要旨をまとめて、佐藤富雄がアピールしているところをご紹介いたします。
- 「ウォーキングで脳から成功ホルモンが出て、生き方を変える」「なりたい自分が見える」、「ヒップが上がると、運まで上がる」、それが「魔法のカラダ」だ。
- 「キレイになるだけじゃない」、「カラダが変わると、脳が変わる、すると生き方が変わる」
この本にある三つのことを始めると、あなたは、自分も知らない本当にやりたいこと、なりたい自分が見えてくる」そして「毎日が楽しくてしょうがない!」という方向の人生が動き出すのです。
- 呼び込むカラダ」と「不運を呼び込むカラダ」という事実だ。
「不運体質」から「幸運体質」に切り換えようと決心すると女の人生に奇跡が起きる。
- 痩(や)せる、キレイになる、健康になる、なんて当りまえ!!
落ちこまない、ウツが治る、願いが叶う、恋も結婚も仕事やお金の面でも成功する!!
- 「お尻が上がると、運まで上がる」と、このように念じると幸運を呼びこもうカラダ革命を始めよう。
- 「幸運を呼び込む魔法のカラダ」をつくるために必要な三つの方法。
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成功ウォーキング(運動)
- 一日二食プラス、サプリメント(食事)
- 想像すること(自分がなりたいと願う自分をイメージする)(脳)
効き目は確実でスピーディ。早い人は14日間で違いを実感できる。ほとんどの人が、完全に新しいカラダが完成する90日前後で、素晴らしい結果を出すことができる。
- 実現できるすごいことの例。
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「痩(や)せる、キレイになる、健康になる、ストレスから解放される」
- 「自分が抱いている願望がすべて叶っていく」
- 「とびっきりいい男との出会いがある」
- 「あげまんとなって、大好きな男をもっといい男にしていける」
- 「思いっきり能力を発揮して、たくさんの人に喜んでもらえる仕事に恵まれる」
- 「お金がたくさん入ってきてリッチな人生が開ける」
- 「成功ウォーキング」の方法。
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正しい姿勢で歩く。
- 一秒間に二歩の速さで進む。
- 一日、60分以上歩く。最低でも15分以上、続ける。
この結果「ベストシルエット」のカラダになる。脳の働きも活発になる。
恋も仕事もうまくいく「成功ホルモン」が出る。「成功ウォーキング」をつづけると素晴らしい脳とカラダになって、いやでも男がわんさかと集まってくる。
- 「魔法のカラダ」をつくる「超高栄養の食事」。
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カロリーを抑えて脳とカラダに必要な食事をする。
- 必要とされている所要量をはるかに上回る量を摂る。
ビタミンCなら一日の所要量は100ミリグラムだが、その10倍から20倍(一日1000ミリグラムから2000ミリグラム)を摂る。
「ビタミンE」「ベーターカロチン」「各種ミネラル」などその他の栄養素も同じ。野菜では摂れないので「サプリメント」で摂る。
- 現代の成人女性に一日に必要な「摂取カロリー」は「約2000カロリー」だ。ヤセるために「一日二食にしてカロリーの摂取量を減らす」
- 「想像力」とは「目に見えないもの、まだ見たことのないものを頭の中で思い描く力のこと、夢を描く力のこと」だ。いつもウキウキする楽しいことばかりを想像する脳は、はずむようなカラダの反応を引き出す。酸っぱい梅干しやレモンのことを考えると口の中に唾液がどっと出てくる。これと同じことをカラダの反応がつくり出す。起こってもいないことを心配したり、過去のことを思い出してクヨクヨすると、カラダもクヨクヨと落ち込む。これが「不運を呼び込むカラダ」だ。想像することの脳に原因がある。この法則は人生にもあてはまる。
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「誰かを愛し、愛されたい」「幸せな結婚をしたい」「仕事で成功したい」「お金持ちになりたい」と想像する。
- 現実の行動と一致するとこれらの望みのとおりの自分になれる。
- カラダが変わると、想像力も豊かになる。
- 頭の中が欲望でいっぱいになって、映画の一場面のように自分の未来の姿が思い描けたとき、人間の大脳は驚くべき力を発揮する。自分でも気がつかないところで脳が指令を送っている。やることなすこと、全て脳がコントロールしている。だから、頭で思い描いたとおりに現実がそのとおりになる。
- 人間の脳には、自分に必要なものを引き寄せて、願いを叶える能力が備わっている。
その能力を全開にして引き金になっているのが「言葉に宿る力」である。「私は美人」「私は愛されている」「私はお金持ち」と「口ぐせ」のように言いつづけると、本当に、その言葉どおりの人生を手に入れていく。
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いつの時代でも生まれてく「エセ科学」はこんなふうに批判されています
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■佐藤富雄がのべているところをほぼ順序立ててまとめてご紹介しました。次に、このような「エセ科学」「エセ脳科学」については、一般的にどのように批判されているのか?についてご紹介いたします。 |
『フロイト先生のウソ』
(ロルフ・デーゲン、文春文庫より) |
- 脳は10パーセントしか使われていない。
もしくは、使われていない脳細胞があるという「神話」を覆すデータは枚挙にいとまがない、とバイアースタイン(心理学教授)は言う。仮にこの話が事実ならば、どんな条件下でも活動しない膨大な数の脳細胞が存在することになる。しかし、体中の筋肉を一度に緊張させることができないのと同じで、脳の中のシナプスが一度につながることは絶対にない。脳は、どんなときに、どの部分が使われるかは明らかになっている。食事をしていても、テレビを見ていても、本を読んでいるときも、一日のうちに、脳は、どこかが一度は使われている。
- 「使わなければ筋肉は衰える」。
この身体の筋肉と同じ見方が、脳にもあてはめられている。使わない脳細胞は退化して急激に減少しているだろうというものだ。だとすると、脳細胞の90%が使われていないとすると、その90%は死滅して消滅しているはずである。成人の脳は、いちじるしい病的変質の徴候を見せるはずだ。(ところが、ふつうの成人の脳を解剖しても、そんな徴候は発見されたためしはないのである)
(バイアースタインの証言)。
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『人はなぜエセ科学に騙されるのか』
(カール・セーガン、下巻。新潮文庫より) |
- ベンジャミン・フランクリンは、1784年にこう書いた。
「勝手に治ってしまう病気もあれば、自分自身や他人を騙す性癖もある。
私は、ずいぶん長生きしたので、この治療で何でも治せると宣伝(せんでん)されながら、まるで役に立たないことがじきに分かった例をたくさん目にしてきた。そこで私は、こんな懸念(けねん)を抱かざるをえないのである。つまり、新しい治療法とやらに多大な期待をするのは、単なる思い違いではないか、ということだ。とはいえ、この思い違いもそれが続いているうちは、役に立つこともあるかもしれない」。
フランクリンが例にあげたのは「メスメリズム」(催眠術のこと)のことだが、「どの時代にも、その時代に固有の狂気がある」とのべる。
- こういう商売の犠牲になるのは、いつも決まって弱い立場の人たちだ。自分を守る力が弱く、思いやりを必要とし、希望がもてないでいる人たち、だ。
また、政治が腐敗しているのに打つ手も打てないでいるような社会では、こと思うにまかせずいら立っている人や、心に隙(すき)のある軽率な人、無防備な人たちもいいカモになる。
集会、ラジオ、テレビ、印刷物、電子メディアによるマーケティングなどが、「トンデモ話」を、国民に吹き込むお先棒をかついでしまうこともある。
- しかし、懐疑的な吟味(ぎんみ)をしていれば、そんな事態にいち早く気づくことができるだろう。
「トンデモ話」や詐欺やペテン、軽率な考え、そして願望などが「事実」という仮面をかぶって登場するのは、心をめぐる曖昧な助言や奇術のたぐいだけではない。不幸なことに、政治、社会、宗教、経済の分野にも、これらは、さざ波のように行き渡っているのだ。しかもその事情は、どこの国でも同じなのである。
- 科学には、ほかの多くの企てとは違う面がある。もちろん、科学者だって周囲の文化に影響を受けるし、ときにはまちがいを犯す。
それに関しては、人間のやることならどれも同じである。
科学が、それ以外のものと違うのは、まず第一に、検証可能な仮説を立てようとひたむきに努力するところだ。第二に、アイディアを確認、あるいは否定する決定的な実験を見つけ出そうとすることだ。
第三に、中身のある議論をしようという活力をもつことだ。そして第四に、不満のあるアイディアは、喜んで捨てようとする態度である。
もちろん、人間には、限界がつきものだということを忘れてはならないし、さらなるデータを探す手を休めたり、対照実験を嫌がったり、証明や証拠を軽んじたりしないように肝に銘じなくてはならない。
さもなければ、真実を探すための手段は失われてしまうだろう。そしてわれわれは、日和見主義(ひよりみしゅぎ)と臆病(おくびょう)さとに冒されて、拠り所にすべき長続きする価値など何も無いまま、ほんのかすかなイデオロギーの風にも流されてしまうことだろう。
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もともとの原因は脳の働き方が「多元的無知」をつくるメカニズムになっていることにあります |
■『愛されてお金持ちになる魔法のカラダ』(佐藤富雄)のような「本」を読むときの良質な批判のモデルをご紹介しました。
しかし、佐藤富雄のアピールするような「トンデモ話の本」(C・セーガン)が現代においてもなお「50万部売れた」とか「250万部も売れた」という「ベストセラー」になって支持されていることには、それなりの理由があると考えなければなりません。それは、「C・セーガン」がいうように、「自分を守る力が弱い」とか「思いやりを必要とし、希望がもてない」といったことに理由があるのでしょうか。
倫理的にとらえればそうであるのかもしれません。そうであるとして、では、なぜ、「自分を守る力が弱いのか?」「思いやりをつねに必要とするのか?」、そしてなぜ「生きていく現実の未来に希望をもてないままでいるのか?」が問われなければなりません。このように吟味(ぎんみ)して問いかけていくことがC・セーガンのいう「科学的な思考」というものです。
まず「多元的無知」というものがあります。「多元的無知」とは、「エライ人が言っているから本当のことだろう」「たくさんの人、みんな、自分の親しいおトモダチとか恋人が言ったから信用する」といったふうに受け容れる無知です。「社会心理学」の用語です。
もともとは、童話の『裸の王様』のエピソードに由来があります。「知らないのは自分だけだ」と思い、そして「自分だけが知らないことを隠す」、さらに「知っているフリをして、他者に損害や損失をもたらす」というのが「多元的無知」の正しい意味でした。佐藤富雄は、「医学博士」で「理学博士」で、「農学博士」という立場をもっています。本も何冊か書いています。社会的な信用がある、というイメージです。
「こういう人が言っているから本当のことを言っている。まちがいない」と考えて、書かれていることを実行するという「思考パターン」が「多元的無知」です。「多元的無知」のメカニズムとは、どのようなものでしょうか。「ナイスバディになると、男がわんさとやってきて、モテモテになる」(佐藤富雄)の言い分を、その言葉のとおりに「吟味(ぎんみ)してみる」ということをおこなってみます。
「吟味」とは、もともとは、詩歌を吟(ぎん)じて、そのおもむきを味わうという意味です。吟(ぎん)とは、「節をつけてものを言うこと」です。歌うようにしゃべること、です。「谷川うさ子さんって、バラの花によく似合って、かわいいねー」という言葉を、楽しげに、幸せなリズムをつけて口に出して言ってみましょう。すると、幸せそうな「谷川うさ子さんの光景」が思い浮びます。これが「吟」(ぎん)じる、です。すると「吟味」とは、「くわしく調べて確かめること」、「その対象となるものの中身がリアルに思い浮ぶようにイメージすること」という意味になるでしょう。 |
女性が歴史的に抱えている多元的無知をつくっている実体とはこういうものです |
佐藤富雄は、「女性はお尻が上に上がることがナイスシルエットになる。男は、そういう女が好きなのだ。胸が大きいことと、お尻が高く上がっている女になれます」と書いています。この佐藤の発言を信用する人は多いでしょう。なぜかというと「あなた、私のカラダだけが目当てだったのね!!と一度は言ってみたい、そういう女になりたい」と考えている女性が多くいることは、まぎれもない現実のことだからです。このような「女性の身体についての価値づけ」もまた「多元的無知」です。男性の「性的欲求をつくるホルモン」の「GnRH」がつくり出したファンタジックなイメージが「女性の身体」こそが「女性の魅力と価値」という「言葉」を生み出しました。男性の視床下部の「背内側核」(せないがわかく)が分泌するGnRHが「性の対象としての女性」についての「女性像」をつくり出したのです。これが歴史的にサブ・カルチュアの領域でアピールされてきました。「恋愛小説」「恋愛映画」「恋愛のテレビドラマ」などによって流通させられてきたのです。日本はもちろん、世界の多くの「女性」は、男性の「GnRH」が生み出した「性」にまつわるファンタジックなイメージを学習してきています。佐藤富雄は、このような「女性の価値とは、性的にアピールする身体にある」という「多元的無知」をことさらに強調してみせています。
では、なぜ、「あげまん」や「胸が大きいこと」「お尻が高いこと」が「多元的無知」なのでしょうか。フランクリンふうにいうと、「恋愛関係に入る」とか「結婚生活の過程に入る」という事実の中で「全く効果がなかった」ということに気づくのかもしれません。日本の現実に照らしていうと「セックスレス」「DV」「子どもの虐待」「離婚」「自殺」「うつ病」などのことが「全く効果がない」(フランクリン)の証明になるでしょう。それでも「佐藤富雄」の書く『愛されてお金持ちになる魔法のカラダ』のような「本」が人気を呼んで支持されているのには、もっと根本の原因がなければなりません。
「ダイエットにいそしむ」「胸を大きくするというふれこみの薬を売っていた会社が詐欺の容疑で摘発された。数年間の売り上げは百五○億円以上だった」というように、背景の広がりが大きくて、しかも根強いというのが「多元的無知」の世界だからです。その根拠とはこういうものです。
もともと、女性と男性の「性の関係」は、男性の視床下部の「背内側核」(せないがわかく)の分泌するGnRH(欲望のホルモン)に「主体」があるのではありません。 |
性の関係とは、「女性」と「男性」の脳の働き方の交流のことです |
「性」とは、狭くても、広くてもその本質は、「言葉をつくり出すこと」と「人間関係をつくり出すこと」にあります。男性の「背内側核」(せないがわかく)は、「空間認知」の能力の中枢です。「食べ物を探す」「性の対象の女性を探す」、そのために歩いていく、走っていく、という能力が象徴的です。ここには「人間関係をつくる」とか「言葉をつくる」という能力はありません。男性が、首尾よく「魅力的な女性」を見つけて、近づいていったと想定しましょう。「食べ物」の場合と同じように、「自分が手に入れる」(所有する)ためには、なんらかの働きかけが必要です。働きかけとは「言葉でしゃべる」ということです。
会話をし、お互いに意思の疎通をおこなわなければ、関係そのものが成り立ちませんし、関係そのものを永続的に持続させることもできません。
男性は、この「会話の能力」と「女性との関係を成立させて、維持する能力」を「女性」から学び、学習して身につけるのです。その「女性」はおよそ「三つのパターンの女性」です。「一人めのパターンの女性は母親」、「二人めのパターンの女性は学校生活の中のクラスメートの同年齢の女性」「三人めのパターンの女性は恋人」です。 |
女性に主体がある「性の脳の働き方」のメカニズムとはこういうものです |
女性は、視床下部の「視索前野(しさくぜんや)」からTRHという女性ホルモンを分泌します。このTRHは、「卵胞ホルモン」や「黄体ホルモン」を分泌させて循環させるホルモンです。「甲状腺刺激ホルモン放出ホルモン」といいます。
このTRHが「人間関係の能力」と「言葉の能力」を生み出す中枢のメカニズムをになっています。
「言葉の能力の生成」をになっているといっても、視床下部の「視索前野」(しさくぜんや)が「言葉」を生成するのではありません。「視索前野」(しさくぜんや)は、視床下部の中で自律神経の「副交感神経」の中枢です。男性の「背内側核」(せないがわかく)は、自律神経の「交感神経」の中枢であることは、みなさまはすでによくご存知のとおりです。
このことは、何を意味するのでしょうか。「言葉」を生成するのは、大脳の「右脳」と「左脳」です。「新皮質」といわれています。女性の「視索前野」(しさくぜんや)は、脳幹(のうかん)の「A6神経」とダイレクトにつながっているのです。
「A6神経」は、自律神経の「副交感神経」のことでもあります。
脳の「言葉の生成」のおおよそのメカニズムとは、まず、目、耳、手、舌、鼻、皮ふなどの「五官覚」のどれかの知覚がスタートになっています。この五官覚の「知覚」は、「右脳」につながっています。なぜ、「右脳」につながっているのかというと、人間は、夜、寝ているときも「トイレ」に起きるとか、風邪をひいて熱があるときに「もっと暖かくしよう」と「考え」て毛布を一枚かけるということをおこなうからです。「右脳系」の「線状体」が「心配だ」とか「不安だ」といった「記憶のイメージ」を表象(ひょうしょう)させます。
この「右脳」の「ブローカー言語野」(3分の1のゾーン)に表象(ひょうしょう)されるイメージにしたがって、身体の中のいろいろな「器官」が動き出すのです。この「右脳」にほとんど自然に思い浮ぶイメージのことを「無意識」といいます。「無意識」とは「左脳」が働いていない時に「右脳」に思い浮ぶイメージのことをいうのです。したがって、「無意識に考える」という言い方がありますが、これは、「左脳が働いていない状態」の時の「右脳・ブローカー言語野」に表象(ひょうしょう)されるイメージのことをいいます。そのイメージは、たいてい「不安」か「恐怖」か「因果のハッキリしない奇妙な飛躍のイメージ」に決まっています。
「言葉の生成」は、この「右脳のブローカー言語野」に「表象」(ひょうしょう)される「五官覚」のどれかの「イメージ」を「左脳」が「認識する」というようにして生成されるのです。この「認識の仕方」を脳の働き方のメカニズムとして完成させているのが「女性」であることはよくご理解いただけていることでしょう。 |
男性は、「女性」からどのように「言葉」を学習するのか?のメカニズムとはこういうものです |
男性は、人類の発生史のレベルでいうと、「女性」がおこなう「左脳の認識の仕方」を学習してきたのであるといえるのです。このパターンは、学校教育の制度が完成している現代においても変わりません。それは、いろいろな事情があるにせよ、「母子家庭で育った男性」とか「父親が一人で海外で生活していて、母親とほぼ二人きりで生活して成長した男性」をモデルにして観察してみるとよく分かります。ここでは「父親」がいないという事実によって、母親は、たいへん「不安」だったり、「淋しい思い」をしていたかもしれません。この母親の話す「言葉」は「母親の私を安心させておくれ」といったモチーフになるでしょう。
するとこの男性は、父親の代わりに、ぴったりと母親に寄り添い、「今日の顔色はどうかな?」とレーダーのような監視の知覚意識で「母親」を見張る、という「言葉」を学習することになるでしょう。「性格」の特性を見ると「ガマン強い性格」ではありますが、その「ガマンの臨界点」が低いという特性をあらわします。砂漠のラクダに例えられます。重い荷を背負っているラクダです。このラクダは重さに耐えてけんめいに歩いています。そのようなガマンの臨界にあえいでいるラクダの背に、さらに「針を一本だけ乗せる」とどうなるでしょうか。「針一本の重さ」に耐えかねて、「パニック」を起こすかもしれません。ふつうのラクダが100キロの重さにガマンできるところを、「母親に密着して生成してきたラクダ(男性)」は、わずか10キロの重さで強い緊張と、心臓の心拍の低下の不安を抱えて生きることになるのです。
初めて言葉を教わる相手である女性の「母親」から「男性」は「言葉を教わる」というモデルについてお話しています。
このモデルは、「男性」と「女性」の「性の関係」に置き変えても全く同じなのです。違いは、ここに「性の関係」が介在するか、どうか?だけです。
この「性の関係が介在する、もしくは介在しない」ということは、「男性」が「女性」から「言葉を学習する」「人間関係の能力を学習する」ことに「性」だけが切り離されて別個に存在するということを意味しません。なぜならば、男性のGnRH(性の欲望の権化のホルモン)の「空間認知の能力」だけでは、どんな女性とも関係を成立させられないということがそれを証明します。
性の関係の中にも「言葉」の学習が含まれるということです。
「性」とは、五官覚のうちの「触覚の認知」に当ります。「認知」は右脳でおこない、「認識」は左脳でおこなう、というのが「言葉の生成のメカニズム」の本質です。「触覚の認知」は、それじたい何のイメージもつくりません。「右脳ブローカー言語野の3分の1のゾーン」を借りて「クローズ・アップのイメージ」としてあらわされるのです。「性の関係」は、「右脳・ブローカー言語野」(3分の1のゾーン)で「クローズアップのイメージ」として表象(ひょうしょう)されるのです。 |
「性」による脳の働き方のメカニズムの真実はこういうものです |
「性」は、別の言い方をすると「吸収・同化・一体化」ともいいます。なんのことか?といいますと「生理的身体」の次元で「血縁関係」として同化する、ということです。「同化」とは、シンプルな言い方をすると、生理的身体が「地続きになる」ということです。
このような言い方は、もちろん「メタファー」(見立て。See asの隠喩)です。言葉の「意味」としてそういうことである、ということです。すると、「吸収」とは、「認知」と「認識」の完成であることはよく想像されるでしょう。「行動の仕方」や「ものの考え方」などが、「左脳で認識される」、すなわち「左脳系の海馬で記憶される」のです。
このことは、もちろん、「性の関係」が成立したので、その後、何の本も読まないでもよい、新聞を読まなくてもよい、ポルソナーレの『ゼミ・イメージ切り替え法』は学習しなくてもよい、ということにはなりません。「左脳による認識」の「言葉」の学習で「左脳系の海馬」に記憶させるために「長期記憶」の知識を増やさなければ、「行動停止」か「半行動停止」に陥って、たちまち「右脳」に「線状体」が記憶している「不安のイメージ」が表象しつづけることになるからです。ある局面での行動はスムースだけれども、しかし別の局面での行動は「半行動停止」になる、ということが起こります。 |
「認知バイアス」がつくる脳の働き方そのものの病気のメカニズム |
このような「性」の脳の働き方のメカニズムをとおして分かることは、女性にとっても、男性にとっても、「性」とは、「女性の身体」がナイスバディであるとか、胸が大きいとか、お尻が高いなどとは全く無関係であることです。これが「性」というものの人類発生以来の普遍的な本質です。
すると、佐藤富雄のいう『愛されてお金持ちになる魔法のカラダ』なるものは、「女性」の「性」から「脳の視床下部・視索前野(しさくぜんや)」のメカニズムを取り除いている「多元的無知」によるアピールということになるのです。これは「認知バイアス」ということでもあります。「認知バイアス」とは何でしたでしょうか。「カニッツァの三角形」という心理学の実験が「認知バイアス」をよく説明しています。
三角形を描いた、と想像なさってください。ただし、三角形の頂点の部分を、ほんの少しだけ間を空けて、線をつなげません。パッと見ると「三角形」に見えるでしょう。実験のテストに応じてくれる人に「このとおりに描いてください」と伝えます。すると、ほとんどの人は、「正しい三角形」の図を描きます。ほんとうは「三角形ではない」にもかかわらずです。これが「認知バイアス」ということの意味です。実体の認知を取り違えることを「認知バイアス」といいます。佐藤富雄はもちろん、『愛されてお金持ちになる魔法のカラダ』を買い求めた人は、「認知バイアス」をかかえている人だということになります。
「認知」と「認識」は、これが「言葉」になると「記号性の言葉」からさらに高次化して「概念」へと進みます。
「記号性の言葉」と「概念」との違いは何か?というと「意味の言葉」とセットで「言葉を学習して記憶しているか、どうか?」にあります。「意味」とは何か?というと、「性の関係」ならば、「女性」が「男性の話すこと、行動していることのパターン」を分かって、これを自分のものに受け容れること、というものです。女性が男性の話を笑顔で聞いている段階は、「性」のレベルに比べると、まだ「認知」の次元にとどまっています。
にこにこして聞いているからといってモテたり、好きになったり、恋愛感情でわくわくしているのではありません。「ふーん、あなたの思考パターンって、そういうものだったんですね」と観察している場合が多いのです。
男性がカン違いして「メールのアドレス、教えてくれる?ケータイの番号も」と言うと、「女性」は、内心、「あなたのものの考え方と、私と、一体どういう関わりがあるのか?」と思っていることが多いのです。 |
「認識のバイアス」が「負の意味」をつくるという脳の働き方をご説明します |
しかし、一方では、「うん、いいよ。私もメールするね」という女性もいるでしょう。その女性が『愛されてお金持ちになる魔法のカラダ』(佐藤富雄)を読んで、共感しているとすれば「認識のバイアス」の言葉を「左脳」に生成していることになるのです。これは、本来の「概念」の「意味」を不問にしている「負の意味」です。「負の意味」は、必ず「触覚の認識」だけを「クローズアップ」のイメージにするのです。「お金持ちになる」「愛される」「たくさんの男がわんさかとやってきて好かれる」といった「バーナム効果」の言葉が「負の意味」です。なぜ「負の意味」かというと、「女性の身体」「性の関係」という現実に見合う「認知の対象」からつくられた「言葉」(概念)ではない「認識のバイアス」のコトバなので、「半行動停止」か「行動停止」をつくる「記号としての言葉だ」ということになるのです。これは、「右脳系の脳だけが働いている状態」です。線状体が不安のイメージを表象(ひょうしょう)させています。この「不安」を動機にして、生(なま)の感情や欲求を反映させたものが「負の意味」です。
すると、ここでは、実際の恋愛にしろ、仕事にしろ、日常生活も、離人症(りじんしょう)状態で関わっていることはよくお分りでしょう。「テレビの画面を見ているのに、しかし、見ていない」「テレビの音声を聞いているのに、しかし聞いていない」という病理が離人症(りじんしょう)です。つねに意識は「もうろう状態」になっていて、行動が止まっていることによって「線状体」から「錯視」(幻覚や幻聴)の不安のイメージが「右脳」に表象される可能性があるのです。 |