日本人の言葉の憶え方の特性は、「短期記憶」が中心です |
鈴木孝夫(社会言語学者)は、『日本語と外国語』(岩波新書)の中で、日本人の言葉の憶え方の傾向について、次のように説明しています。
① 戦後、アメリカ教育使節団が日本に来て日本人に、「ローマ字の早期採用」を強く勧めた。この報告書は、今、翻訳で簡単に手に入るので参照してほしい。
② 日本には、今、「カナ書きの外来語」や「外国語による表記」が氾濫(はんらん)しているが、これにたいして文部省(文部科学省)や「国語審議会」が発言しないのは、このような長い歴史的な経緯がある。
③ 明治以来の「仮名文字論」「ローマ字論」そして特に「戦後の漢字廃止論者」たちに共通して見られた誤りは、「文字が読めさえすれば、言葉の意味の理解は、自動的に生まれると安易に考えたこと」だ。だから、習得に時間のかかる漢字を多用するよりは、「アルファベット」や「仮名」のような全数の少ない「表音文字」が望ましいと主張した。
④ しかし。現にアルファベット26文字だけを使用している、したがって一般の人が読めない「語」などあるはずもない「英語」においては、「語」の綴りが一字ずつ読めることと、その「語」が理解できることの間には大きな隔たりがあることなど、誰も取り上げなかった。
⑤ このように単純に考えた初期の「国語審議会」や「文部当局」は、漢字の制限のための「当用漢字表」や「音訓表」を制定して施行した時に、「やたらと外国語をカタカナ語に直して使うことを戒(いまし)める」「その防止の手立てを講じる」ことをしなかった。
⑥ この考えが、後になって「カタカナ語」の洪水を生む素地となり、遠因となった。
⑦ 英語のconceptをまず「概念」と訳し、次にその「意味」を確かめて、その上「概念」という難しい漢字を覚えて使うよりも「コンセプト」として仮名書きにしてしまえば、この方がはるかに手っ取り早い。しかも、この方式だと、「果して本当に原語を正しく理解しているかどうか?」を他人に知られずにすむ。同時に、自分も知らなくてもよい、という「利点」を生む。 |
日本人は外来語をカテゴリー概念として用いている |
⑧ 現在、日本人がよく使う「カタカナ語、カタカナ英語」の大部分が、元の英語の意味どおりではなく、日本的に歪められていると問題になっている。だが、これは見当違いの批判である。なぜか?というと、例えば、日本人が使う「ニーズ」は、英語のneedsの訳としてではなく、むしろ「需要」「要求」「希望」といった漢字語の「総括的代用品」として使われていると考えるべきなのだ。
注1・needは必要、欠乏の意。
⑨ 日本人の用いている「カタカナ外来語」は、背後に個々の英語やフランス語の単語を意識して使われているというよりは、日本人が「それらに相当するだろう」と漠然と、曖昧に思っている「漢字語」を、日本人にとって読みやすくするために「仮名」という「表音文字」に置き換えているだけなのである。
注2・この置き換えが「メトニミー」(metonymy)(換喩という方法)です。
⑩ 日本人は、「日本語の難解さは漢字にある」と頭から思い込んでいる。表音文字である仮名(アルファベット)がもっている日本語にとっての恐ろしさを知らなかったのだ。
カナ書きの外来語があまり多くなると、日本語の伝達効率が下がる。大きな理由は、「カタカナ外来語」は、ひとたび使われ出すと「縮約現象」がすぐに起こることだ。そのため語形が短く小さくなり、原型の分からない単なる「符牒(ふちょう)…合図のための合言葉、隠語のこと」と化してしまうことである。植物の場合でも「デンドロビューム」は「デンドロ」が普通だし、「インパチェンス」も「インパチ」、「シンビジューム」は「シンビ」となってしまっている。こうなると、いくら考えても原名をたどることができず完全な符牒である。
⑪ 医療の場でも「リハビリテーション」は「リハビリ」と省略されている。最近は、「リハ」にまで短くなった。テレビ関係の仕事場では「カメラ・リハーサル」が「カメリハ」となり、「リハ」にまで省略される。 |
日本人はものごとの対象を明らかにしない |
■鈴木孝夫は、「外来語」が日本語に干渉して、日本語を消滅させている現象の例に、「日本人向けの雑誌名が、英語に変わっていること」や「自動車の名前が、英語表示になっていること」「オーディオ機器は、全て英語表示になっていること」などを例にあげています。その根拠は、明治以来の日本人の国語政策にあると説明します。そして、第二次大戦後、アメリカの教育使節団の勧告で「漢字をなくす方向」に決まったことが、背景にあると書いています。
具体的な事実をいえば、鈴木孝夫の説明は、全くそのとおりのことであろうと考えられます。
しかし、問題は、ほとんどの日本人が「カタカナ外来語」を用いていることにあります。
「英語なら英語という語の原語の意味」を表現しているのではないということが本当の問題です。
なんとなく「この英語の言葉は、日本語の漢字のこの言葉に当るのだろうなあ」と勝手に解釈して、「恣意的な意味のイメージ」を思い浮べている、ということが、本当に問われるべき問題であるのです。
「言語」とは、一体、何でしょうか。
それは、人間がものごとに関わりをもつ時に、関わりをもつという「対象」を記号化して記憶するということから始まります。「記号化して記憶したもの」は、二通りに記憶されます。一つは、文字どおりの「記号性」の記憶です。もう一つは、その「記号性の記憶」に対応する「形象性」の記憶です。
前者は「話し言葉」という「音声」から、「書き言葉」という「文字」へと記憶が抽象度を高くしています。
後者は、「言葉の意味」のことです。この「言葉の意味」が「記号性」に対応しているかぎり、「記号性を中心として成り立つ話し言葉の音声、書き言葉の文字」は、外国語も日本語も、表現の仕方とその秩序は異なっても、「同一の対象」と一義的に結びつく、というしくみをもっています。
鈴木孝夫が『日本語と外国語』の中で「日本語が符牒化している」といっているのは、限られた範囲の人間にしか伝わらないという意味です。「リハ」と言ってこれが分かるのは「テレビの撮影現場」か「医療の現場」の人間だけである、ということです。しかし、「医療の現場の人」が「テレビの撮影現場」で「リハ」と聞けば「リハビリテーションのことだ」と思います。このようなことが「コミュニケーションの伝達効率が低下すること」だと鈴木孝夫は指摘しています。しかし、本当の問題は、単に、「伝わりにくい」とか「通じにくい」ということだけではなくて、「行動が成立しない」ということにあります。「医療現場の人」が「テレビ撮影の現場」にあるときは、「リハ」という言葉を聞いても、「リハ」と書かれている文字を読んでも、「カメラ・リハーサル…本番の前にカメラを少し回してみて、撮影を練習すること」といった「行動」をおこなうことができないということが、本当におそろしい問題であるのです。鈴木孝夫は、「言葉が符牒化されて、もともとの語源や名称が分からなくなる」ことがおそろしいことだと書いています。「リハ」という簡略化された言葉は、具体的な事物のイメージを思い浮べさせることがない、不透明な言葉である、というのがその理由です。 |
日本人が言葉の意味を憶えることを苦痛に感じる理由 |
なぜ、このようなことが起こっているのでしょうか。それは、「カメリハ」…「本番の前に、カメラを回して練習してみること」という「言葉の意味」を記憶しないか、記憶することを苦痛に感じる、ということに由来しています。日本人は、ここで、何に対して「記憶することを苦痛に感じたり、記憶することそのものを避ける」のでしょうか。それは、「自分がこれから行動すること、これから行動して関わるべき対象」にたいして、避けるとか、非常な苦痛を感じているのです。このことの根拠について大野晋(国語学者)の説明をもういちど確かめてみましょう。
- 日本の原始社会の人々が、今の日本語の起源の和語(やまとことば)をつくった。この和語(やまとことば)の文法や、人称代名詞、尊敬語やていねい語、謙譲語が今も使われている。
- 日本語の文法、人称代名詞、尊敬語などの基本のメカニズムは、自分を中心にして、人間を「内」か「外」かに区別して、「内の人扱い」「外の人扱い」という表現をおこなうことを整然と体系づけている。
- 日本の古代原始社会の人々の心性は、「外の人」、「外で起こること」は、恐ろしいことだ、怖いものがいて自分に障害をもたらすものだととらえていた。
- 一方、「内の人」、「内で起こること」は、「安心できる」「なれなれしくできる」「時には侮蔑にまで発展させてもさしつかえがない」と無意識のうちに考えていた。
(『日本語練習帳』岩波新書より)。
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日本人は、行動することの言葉を「長期記憶」していない |
■この大野晋の日本語の語源の説明の「日本語の成り立ち方」から分かることは、日本人にとって「自分が行動すること」は、全て、「外の対象」に向かって身体を動かすことであると無意識に考えられているということです。「無意識」とは何のことでしょうか。
「長期記憶」のエピソード記憶や扁桃核もしくは中隔核による価値の記憶のことです。これらの記憶が「海馬」に言葉として記憶されて「行動」のためのイメージとして表象(ひょうしょう)されることが「無意識」です。人間は、「行動」のために記憶することを「長期記憶」としています。
「数回しか行動しない」、もしくは「避けたい行動」のための記憶は、全て「短期記憶」といいます。
「痴呆症」とか「もの忘れ」「健忘症」というのは、ものごとを「短期記憶」としてしか記憶していないことが原因です。「行動が止まっている」か、「行動することを拒否したり、回避している」ときの記憶は全て「短期記憶」のカテゴリーに含まれます。
具体的にいうと、どのようなことが短期記憶に相当するのでしょうか。 |
長期の関係の相手にも、短期記憶で関わる |
平成21年4月20日付の日経に、こんな記事が載っていました。
- ひとり親家庭を支援するNPO「Wink」(東京)の紹介。
「子ども一人を育てる40歳代女性の話。元夫から、給料が半分になった。バイトをしないと生活できない。養育費の支払いを勘弁して、と言われた。
別の40歳代の女性のケース…仕事がなくなって次の仕事が見つからない。元夫に養育費の値上げを交渉したら、全く支払われなくなった」。
- 「子どもにとって、養育費は、離れて暮らす親の愛情を感じられる大切なものだ。苦しくても払ってほしい」(同法人の理事長の話)。
ここにある「養育費の支払い」という「行動」が止まることが「短期記憶」です。
「元夫」は、「元妻」と「子ども」への関わりが「結婚している期間」も「短期記憶」としてしか行動していなかったことが支払い停止の原因になっています。それは、「会話が無い」というものではなくて、相手の話しかけに応じてスムースに行動しない、ということであるでしょう。
もしくは、相手の「行動」を停止させ、遮断するような言葉を話す、ということでもあるでしょう。 |
脳の働き方はX経路中心である |
「行動しない」もしくは、「行動は終わっている」というイメージを表象(ひょうしょう)させるのは、脳の言語野の「ブローカー言語野・3分の1のゾーン」です。「ブローカー言語野・3分の1のゾーン」は「X経路」(視覚の知覚神経)が働かせます。
「X経路」とは、次のように脳を働かせます。合わせて「Y経路」についてもご一緒に確認してみましょう。
◎X経路
- ベータ細胞(小細胞)
- 焦点を合わせる
- 色彩、形象を認知する
- 反応のスピードは遅い
- ものごとを識別する
◎Y経路
- アルファ細胞(大細胞)
- 物の動きと方向、角度、距離のパターンを認知する(運動を認知する)
- 反応のスピードは速い
- 色彩は認知しない。光と影を認知する
◎X経路
- 脳の「側頭葉」に分布する。
- ウェルニッケ言語野の触覚の認知の体系が「右脳系の海馬」に記憶する。
- 目、耳、手、舌、皮ふなどの「五官覚」のそれぞれの知覚の刺激を記憶の対象にしている。
◎Y経路
- 脳の「頭頂葉」に分布する。
- 頭頂葉の「空間性の認知」の体系を「右脳のX経路」が認知して、その表象のイメージを「左脳のY経路」が「認識」する。この「認識」は「右脳」と「左脳」の前頭葉(ディスプレイに相当する)に表象される。
- 頭頂葉の認知(右脳)と認識(左脳)の機能の「空間性」とは、「距離」「角度」「方向」のことである。
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言葉は、「Y経路」が生成する |
脳の働き方は、「言葉」をどのように生成するのでしょうか。
「言葉」は、「行動を生成する」ためにあります。これが本質です。すると、「頭頂葉」に分布するブローカー言語野の「Y経路」が「言葉」を生成するのです。
「X経路」は、脳自体の中に「行動すること」を取り込み、確定して、身体のさまざまな運動系の知覚神経に記憶させるのです。
「Y経路」とは、「視覚の知覚神経」のことです。
もちろん、「X経路」も同じです。
では、「言語」を生成する「Y経路」は、どのように「言葉」を生成するのでしょうか。
無藤隆による『赤ん坊から見た世界・言語以前の光景』(講談社現代新書)では、乳児は、「行動の対象」を「カテゴリー」(範疇・はんちゅう)としてとらえ、次に、そのカテゴリーの中に存在する「行動対象」を「ベクトル」としてとらえる、と説明しています。このことは、すでにお話しています。もういちどご一緒に確かめてみましょう。
- 「イメージスキーマ」は、0歳3ヵ月から0歳4ヵ月くらいには形成される。(発達心理学者マンドラーによる)。
- 「イメージスキーマ」とは「概念」に相当する。
- 「イメージスキーマ」は、「空間的な構造」が「概念構造」に移されたものである。
- 「イメージスキーマ」は、ある対象が「空間」の中にある軌道を通って移動することを概念化するものだ。
その「軌道」は、「道筋」「上と下」「含み、含まれる」「力」「部分と全体」「結びつき」といったものだ。これらの認知は「知覚的な認知」のことだ。この「知覚的な認知」が抽出されて「概念」として組み立てられると考えられる(アメリカの認知言語学者・レイコフによる)。
- 「イメージスキーマ」は、「空間的な関係」と「空間の中の対象の動き」の表象のことである。
- いくつかの「イメージスキーマ」が組み合わされて、いくつかの「基本的な概念」が形成される。
- 「イメージスキーマ」は対象を「比喩」(メタファー)として記憶して、行動の対象にする。
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行動の必要があるから言葉はつくられる |
●ここで、アメリカの認知言語学者の「レイコフ」は、「Y経路の対象」として、「行動対象」がとらえられるとのべています。重要なことは、乳児にとっての「行動の対象」が「イメージスキーマ」を形成し、それが行動を可能にする、ということです。
そして、「イメージスキーマ」は、メタファー(比喩)として記憶されると説明されています。
「メタファー」(イメージスキーマ)は、まず、行動の対象を
?動くもの、
?動かないもの、
の二つで区別して、その「動きのパターン」を認知し、認識します。認知とは、右脳に集まる五官覚の了解のことです。 |
「話し言葉」の生成のメカニズム |
認識とは、右脳系の海馬が記憶したイメージを、「左脳」が対象化して「左脳系の海馬」に記憶させて、左脳系の前頭葉にイメージとして表象させることをいいます。
このことは、日常的におこなっている内省的な思考活動を考えてみるとよく得心されるでしょう。女優や男優などの「人の名前」が思い出せないという経験がおありでしょう。ここでは、頭の中で「自分の音声」が「山田かな?山口かな?山川だったかな?」と発音や発声がイメージされます。次に「あ、山川だった!!」と思い出された時に、「山川」という漢字がパッと思い浮ぶでしょう。
そして、その「山川」なる女優か男優の「顔」のイメージがパッと思い浮ぶ、という順序をたどります。最初の「自分の声の音声」は、右脳・ウェルニッケ言語野の触覚の認知(X経路)が記憶している「視覚の認知」と同致している「聴覚のイメージ」です。「聴覚」(音声、発声)とは、空気の振動の「波長」を、視覚の認知と共時的に同致した触覚的な認知のことです。目で見たものは「大きい」「小さい」「長い」「短い」「高い」「低い」というように、対象の「動き方」のパターンから「パターン認知」されます。このような「パターン認知」がメタファー化されて、「大きい音」「小さい音」「高い音」「低い音」「長い音」「短い音」などの「メタファー」を生成します。それが「音声」であったり「発声」として独自に「話し言葉」の記憶の体系をつくります。これも「話す」「聞く」という「行動の対象」として記憶されるのです。「人の名前」を思い出すときに、まず「発声」が先に表象して、次に「漢字」のイメージが表象し、そしてこれらの「概念」(記号性の認識)の『意味』として「人物の顔」のイメージが思い浮ぶのは、「行動の対象」としてリアルに空間化されているという構造を説明していることになるのです。 |
行動の対象は「メタファー」として長期記憶する |
レイコフは、乳児の「イメージスキーマ」を観察して、その内容を考察しています。「イメージスキーマ」とは、比喩(メタファー)の表象(右脳系のイメージの思い浮べ)であるととらえています。イメージスキーマを表象させる原型は「動くもの」と「動かないもの」です。これは、いずれも「乳児の脳」の「Y経路」による認知の対象です。
しかし、レイコフのこの説明は「動くもの」と「動かないもの」という知覚の対象が、一体、どのように「メタファー化されるのか?」についてのしくみの解明はまだ不充分です。そこで、Y経路の視覚の認知の対象の「動くもの」と「動かないもの」は、どのようにメタファーという認識の対象になるのか?をご一緒に考えてみます。
『メタファー思考』(講談社現代新書)を書いた瀬戸賢一の考察を、レイコフの「メタファー観察」から発展させて解析してみましょう。 |
レイコフによる乳児のイメージスキーマをつくるメタファー |
?生きているもの
「自分で動く」「主体的に動く」「くねくねと動く」「生きていないものを動かす」
?生きていないもの
「生きているものから動かされる」「因果によって動く」「まっすぐに動く」「ぶつかって動く」
(『赤ん坊から見た世界・言語以前の光景』よりの「レイコフ」の観察による) |
言葉は、「行動の仕方」が生成の始まりである |
?人間の言葉の成り立ちは「メタファー」がなくては成立しない。
?人間が「ものごとを分かる」あるいは「正しく分かる」というときは「視覚」が中心になる。
「視覚」はメタファーを形成する。「ものごとを分かる」には、その対象の「分かり方」が土台になる。それは、「明るいこと」…「明らか」というメタファー、「区別がつく」というメタファー、「目立つ」というメタファー、「見通せる」というメタファー、「覆われていない」というメタファー、「手に取れる」というメタファー、などとして認識される。それは、「明るいこと」(よく見える明るさの中にある)という視覚の知覚機能によって生成された対象と自分との関係性の成立を意味する。人間は、対象をこのように「よく分かるもの」「明らかに分かるもの」というように、自分に関係づけが成立してはじめて行動が可能になる。
これを「悟性的メタファー」という。
注・悟性(ごせい)…人間の認識能力の一つ。論理的な思考のこと。経験にかんする知性のあり方のこと。 |
「行動の仕方」は「知覚」に記憶される |
?次に「メタファー化」されるのは、「共感覚メタファー」である。
「共感覚」とは、人間の目、耳、手、鼻、皮ふなど五官覚どうしの「知覚意識」の「貸し借り」のことだ。「ものごと」を分かる時の「分かり方」として「左脳・ブローカー言語野のY経路」によって認知されて、そして識される。
この「共感覚メタファー」は、ものごとをどのようなものとして認識して、その結果「行動する」か、「行動しない」か、の関わり方の内容を「イメージスキーマ」として表象する。
「大きな音」(メタファー)…「大きい」は「視覚による認知」である。「音」は「聴覚による対象との関わり方」のことだ。「音」を目で見た大きさに見立てている。
「お母さんの小さい声」「猫の長い鳴き声」「おもちゃの自動車がブーブーと進む」(音を擬人化した身体の動き)などが「共感覚メタファー」である。
このように、「メタファー」は「行動の対象」にたいして自分自身が「どのように関わりをもつか」「関わって行動が可能か?どうか?」の認識の仕方を「イメージスキーマ」として構成する。 |
「行動の仕方」と「対象」が同致する |
?行動の対象をこのように分かり、関わり方も分かって実際に行動した結果、対象そのものの了解が成立する。
自分が関わった対象とは何であるのかが分かるという結果にたどりつく。
このように行動した結果「分かる」というメタファーは「感性的メタファー」である。
「感性的メタファー」の代表的なものは「味覚」である。
「甘い」「からい」「すっぱい」「にがい」「しぶい」「味わう」「うまい」「まずい」などがメタファーを構成する。
「よく分かる」…「呑み込みが早い」(メタファー)、「うまくいかない行動」…「にがい思い」、「支障や障害のある行動」…「まずい行動、まずい関わり方」、などだ。このメタファーは、自分の行動の進行の妨げになるもののメタファーを構成して行動の仕方にかんする「イメージスキーマ」を表象する。「つまづく」「すべる」「ころぶ」「ぶつかる」「避ける」「引き返す」「通り抜ける」などがメタファーである。 |
「行動の仕方」は、共同のルール(秩序)として長期記憶される |
?「悟性的メタファー」と「感性的メタファー」が「イメージスキーマ」を生成すると、「悟性的メタファー」は「対象」に向かって行動するための「行動の仕方のメタファー」を生成する。そのメタファーは、Y経路の認知の対象としての「動くもの」「動かないもの」のイメージスキーマを、「一般認識のメタファー」に再構成するものだ。
「進行のメタファー」…「立つ」「進む」「戻る」「止まる」「休む」
「進行するための手段のメタファー」…「歩く」「走る」「はう」「ころがる」「飛ぶ」「泳ぐ」
「行動の進路にかんするメタファー」…「上る」「下る」「曲がる」「回る」「通過する」「渡る」「ふらつく」「外れる」「さまよう」「迷う」
「行動の結果にかんするメタファー」…「会う」「合う」「別れる」「追う」「並ぶ」「追い越す」「続く」「遅れる」「リードする」「案内する」「連れていく」「一緒に行く」「ジャマする」 |
「行動の仕方」は、個人の主体のイメージスキーマを表象する |
?これらのメタファーは「個別認識のメタファー」を構成して「イメージスキーマ」を表象する。
動きのメタファーのケース
「立つ」…「立脚」「立場」
「動く」…「世の中の動き」「動向」「季節の移り変わり」
「進行」…「うまくいく」「行き過ぎ」「行き詰まる」「ゆっくりの歩み」
「走る」…「痛みが走る」「感情に走る」
「飛ぶ」…「ぴょんと飛ぶ」「順番を飛ばす」
進路のメタファーのケース
「上る」…「上り坂」
「下る」…「下り坂」
「曲る」…「日本経済は曲がり角に来ている」
「迷う」…「心の迷い」
障害のメタファーのケース
「つまづく」…「つまづきの石」
■人間が、独力でものごとをとらえて、関わりをもち、そして行動する、ということは、全て、「メタファー」によって「イメージスキーマ」が構成されるという実証的な事例をごらんいただきました。
この「ものごとの分かり方」と「行動の仕方」のメタファーの延長に、対象となるものの「認識のメタファー」が存在します。重要なことは、どのような現実にあっても、人間は、自分自身が「ものごとの分かり方」と「行動の仕方」のイメージスキーマを長期記憶として保持していなければ、「現実のものごと」を「分かることはできない」ということです。 |
日本人は、「行動の仕方」のメタファーを長期記憶していない |
日本人は、このような主体性のある「行動すること」にかんする「メタファー」と行動を可能にするための「イメージスキーマ」を長期記憶していないことがよくお分りいただけていることと思います。
大野晋は、日本人の使っている日本語(和語)の文法は、「Y経路の認知と認識の対象」の「家の外」(ソト)の「遠い所にあるもの」を「怖いもの」「近づいてはいけないもの」「成り行きにまかせるもの」、そして「手を加えてはいけないものだ」と共同幻想化していると説明しています。それは、ここにのべているような「行動することのメタファー」が、「イメージスキーマ」として記憶されていないことが原因と根拠になっています。日本は今、グローバル・リセッションの波動に呑み込まれています。ここでお伝えしているような「行動のメタファー」を話し言葉や書き言葉であらわせることが、日本人の抱えている内なる危機を打開する方法になることを、よくお分りいただけていることと思います。 |