「病理」を「障害」に移行させたWHO(世界保健機関)の意図 |
WHO(世界保健機関・World Health Organization)は、2001年に「国際生活機能分類」(ICF)を発表しました。
これは、2006年の第六一回国連総会で「障害のある人の権利に関する条約」として、満場一致で採決され、20ヵ国で批准すれば国際的な強制力をもちます。日本は、「子どもの権利条約」を批准しています。「ICF」は、現在、7ヵ国が批准しています。
この国際的な動きに合わせて、日本も「障害児教育」を「特殊教育」から「特別支援教育」へと移行しました。(2007年4月1日より)。
この「ICF」(国際生活機能分類)とはどういうものか?について、茂木俊彦(東京都立大学教授・総長)は、次のように説明しています。
① ICFは、「生活機能」を「心身機能」—「活動」—「参加」という三つのレベルに区分する。この区分に「障害」を位置づけている。この区分された三つのレベルに「障害」を位置づけると「機能障害」—「活動制限」—「参加制約」となる。
② この区分の主旨はこうだ。
「人間は、心身の機能を働かせて、さまざまな活動を展開し、社会のあらゆる分野に参加する権利をもつ存在である。このことは、障害の有無に関係なく、誰にも当てはまるのだ」という基盤を示している。
③ すると、「障害」は、この「活動」と「参加」に困難をもたらす。「困難をもたらす」ということが確認されなければならない。だが、この困難は、「環境整備」のあり方、度合いがどうであるか?によって変わってくる。
④ 「環境整備」とは何か?例をあげると「道路や建造物のバリアフリー化」、「屋内、屋外の移動時の手助け」「手話による通訳をはじめとするコミュニケーションの支援」、そして「教育の場面における教材の開発や作成、教え方(教授法)の工夫」などのことだ。生活の中のあらゆる場面での物理的、人的サポートが「環境整備」にあたる。
⑤ すると、「環境整備」をどこまでもつきつめて徹底していけば、「障害」による「活動」の制限、参加の制約は限りなくゼロに近づいていくということになる。
(『障害児教育を考える』岩波新書より)。 |
「病理」を「健康な人」の行動と活動を基準にして制限と制約という概念に移行させた |
●ここで茂木俊彦が説明していることをわかりやすく解説すれば、こんなふうになります。
これまで、世界の各国は、「障害をもつ人」を「医学モデル」だけでとらえてきました。
「医学モデル」とは、子どもを対象にすると「普通の子どもと比べると能力が劣る、人格面でもいろいろな問題をもっている」「生きているだけで何もできない」「発達をうながすにしても、すでに発達そのものが乳・幼児のどこかの段階で止まってしまっているので、限界を抱えている」というものです。
しかし、「障害」を、「活動」と「社会参加」の制限ならびに制約ととらえると、ここに「支援」という概念によるサポートが加えられる、この「支援」とは、制限と制約を限りなくゼロに近づけることを意味する、というのが「社会モデル」です。
「障害」は、一人一人によって内容が異なるので、「医学的なモデル」が全く無くなったというのではありません。「機能障害」が何であるか?によって「活動」の制限、「参加」の制約はさまざまであるので、「医学的なモデル」は必要である、とされます。たとえば、生まれながらに独力で起き上がれないトラブルを抱えている子どもは、「活動」のために「医学的な管理」が必要である場合もあるということです。しかし、それよりももっと重要なことは、「社会モデル」であるとして、「活動の制限」をゼロに近づける、「参加の制約」をゼロに近づけていく、という「支援のあり方だ」ということが強調されています。
ここでのポイントは、「活動」と「参加」のモデルは、子どものケースでいうと「健常児」です。この「健常児のモデル」に、「障害をもつ子ども」を限りなく、どこまでも徹底して近づけていく、というのがWHO(世界保健機関)の考え方です。この考え方を世界の20ヵ国が採決し、それぞれの国内の「環境整備」を視野に入れて批准(ひじゅん)しています。
現在、6ヵ国が批准しています。合計20ヵ国が批准すれば、国際的な強制力をもつので、日本もこの「ICF」のモデルに沿って、教育改革に取り組んでいると茂木俊彦は説明しています。 |
「行動」と「活動」の違いを理解することが求められている |
このようなICFの「生活機能と障害の関係」において、重要になるのは何でしょうか?まず、「行動」ということと「活動」ということの言葉の意味の理解です。茂木俊彦は、次のようにのべます。
⑥ 「行動」とは、認知心理学で用いられている。内容は、「そのときどきの環境の条件のもとで示される有機体(生活体)の運動、反応、あるいは変化」のことだ。「行動」というときは、研究対象を「意識」ではなく、観察の可能な「行動」とする。
⑦ 「活動」とは、主体の「目的意識性」「意図性」など人の内面における心理過程を含んだ行動のことだ。ある時点までにたくわえられた諸能力を使って、周りの人的、物的な環境と相互交渉する知的、および動作的な操作の体系を、主体が目的意識と意図をもって作動させる、その過程を含んだ概念が「活動」である。
⑧ 赤ちゃんや、障害が重く、発達の遅れがいちじるしい子どもの場合には、「目的意識」「意図」をもって「知的」「動作的」な体系の操作を作動させているとは考えにくいであろう。それゆえ、げんみつに考えればこのような子どもについても「活動」を使うのは不適であるという意見もあろう。
だが、私はこれらの子どもにも「目的意識性、意図性の発生、発達に向かう萌芽的なものは内在している」と考えて、「活動」の概念を使う。 |
脳の働き方を正しく分かることが不可欠の時代になった |
■茂木俊彦は、「行動」と「活動」を「認知心理学」の次元でとらえています。しかし、その主旨は明瞭です。
「行動」の意味
- 乳児は、1歳から1歳半にかけて行動の対象を「認知」して「認識」する。アメリカ・カリフォルニア大学サンディエゴ校のマンドラー、ミネソタ大学のバウアーは「イメージ思考」をおこなっていると報告している。この乳児の「イメージ思考」は、「空間性の中のカテゴリー」を記憶しているということを実験によってとらえた。(「カテゴリー操作」という実験。「台所用品」と「浴室用品」というカテゴリーを区別する。ここから「上位、下位という関係のカテゴリー」の記憶へと進化する。動物というカテゴリーの中の犬、猫を区別する、などだ。)この「カテゴリー」という「イメージ思考」が行動の対象になる。この「イメージ思考」は、乳児にとっては言語以前のイメージである。
「知覚による認知」のことだ。この「知覚の認知」は「空間性の区別」という「認識」によって左脳・ブローカー言語野の3分の2のゾーン・Y経路で長期記憶される。これは脳・ブローカー言語野・3分の2のゾーン(Y経路)で表象される。表象は、「前頭葉」でイメージとして喚起される。
- この乳児のイメージ思考は「0歳8ヵ月」くらいから始まる。マンドラーは、このイメージ思考として表象されて、さらに「行動」のために表象されるイメージを「イメージスキーマ」と定義する。この「イメージスキーマ」は言語の概念を形成する。「イメージスキーマ」は、原始の「概念」である。
- アメリカの認知言語学者レイコフは、「イメージスキーマ」は、「比喩」(メタファー)を生成する、と発表した。これは「カテゴリー」の中の対象を「行動の対象」として「認知」し、「認識」する、ということだ。
「メタファー」(比喩)として記憶される「認知」と「認識」の対象は「ベクトル」(方向性をもつエネルギーを内包する物の動き方のこと)と呼ばれる。
「活動」の意味
- レイコフがとらえた乳児の「物の動きと、その違い」の「認識」の「ベクトル」の長期記憶が「活動」ということだ。
- 乳児の「ベクトル」の認識のモデル。
「動くもの」と「動かないもの」…「動きの始まりは自分からなのか」「他の物がぶつかって動き始めるのか」(0歳6ヵ月から、0歳8ヵ月で区別する)。
「自分で動き出すベクトル」…「点A」から伸びる運動。他の物がぶつかったわけではないのに動き出す自己運動。(動物、人間など生き物の動き方)。
「自分で動き出すベクトル」の認知の内容…動き方はリズミカルで不規則に動く。
「生きていないものの動きのベクトル」…機械的な動き方。何かで曲げられない限り、まっすぐに動く。
- 1歳から2歳にかけての乳児は、おもちゃを使って「ベクトル」を再現する。「動物のおもちゃ」の場合は「ピョンピョンと跳ねさせる」など「不規則な動き」をおこなわせる。「乗り物」は「まっすぐに進ませる」という規則的な動きをおこなわせる。
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「メタファー」とは、脳の発達の内容のことである |
- このことは、乳児自身が自分の生理的身体の手、足、指、首などの運動機能の知覚神経に「ベクトル」を「メタファー」として長期記憶していることを意味する。
- この「メタファー」は、「行動」が「活動」に進化した長期記憶である。
「行動のメタファー」の基本型
1.「立つ」…「しっかりしている」「安定している」「生きつづけている」、など。
2.「進む」…「成長している」「未来に向かっている」「発達している」、など。
3.「戻る」…「原点に立ち返る」「混乱を避ける」「安心を取り戻す」、など。
4.「止まる」…「しっかり考える」「ものごとを観察する」「エネルギーを補給する」、など。
5.「休む」…「回復させる」「葛藤を避ける」「後退する」「関わりを止める」、など。
これらが「イメージスキーマ」として最初の概念になる。
「対象」についてのベクトルの認知、および認識であると同時に、乳児自身の「対象」への意思的な関わりの仕方の原始的な概念として長期記憶されるものだ。この「行動のメタファー」の基本型は、「活動のメタファー」の基本型のベースになる。
「活動のメタファー」の基本型
《活動の進路》のメタファー
1.「上る」…「気持ちが上向く」「嬉しい」「元気になる」など。
2.「下る」…「気持ちが沈む」「楽になる」「勢いが無くなって停滞する」、など。
3.「曲がる」…「考えが変わる」「いじけている」「障害を避ける」、など。
4.「回る」…「動きが定まらない」「遠ざかる」「依存する」など。
5.「通過する」…「成長の目印」「課題を消化する」「目的までのプロセス」、など。
6.「渡る」…「危険を乗りこえる」「安全になる」「共有する」など。
7.「ふらつく」…「不安定」「不安な状態」「危険な状態」など。
8.「外れる」…「孤立する」「孤独になる」「不適応になる」、など。
9.「さまよう」…「目的、目標が分からない」「自分の考え、意思が無い」「場当り的、目先のことしか分からない」など。
10.「迷う」…「精神状態が不安定」「正確な考え方がなくなる」「判断する能力が無い」、など。
《活動の障害》のメタファー
1.「つまづく」…「失敗する」「トラブルにぶつかる」など。
2.「すべる」…「不首尾に終わる」「転倒して落下する」など。
3.「ころぶ」…「信念を曲げる」「悪い考えにとりつかれる」など。
4.「はまる」…「他のことが目に入らない」「夢中になる」「くりかえして行なう」など。
5.「ぶつかる」…「進路を進めない」「妨害に合う」など。
6.「乗りこえる」…「正しく考える」「勝ち残る」など。
7.「避ける」…「参加しない」「関わらない」など。
8.「突破する」…「努力する」「成功する」など。
9.「通り抜ける」…「衝突を避ける」「努力してスムースに進む」など。
10.「引き返す」…「安心の地点に戻る」「前進できない」など。
11.「距離をおく」…「近づきすぎない」「冷静に考える」など。 |
「障害」とは「行動」と「活動」のメタファーが長期記憶されていないことである |
■ここにのべてご紹介している「行動」と「活動」の内容の「メタファー」は、何を意味していることになるのでしょうか。
茂木俊彦が説明しているWHOの「ICF」(生活機能のモデル)になるのです。WHOは、「障害をもつ人」(子どもも成人も)の「障害」を「制限」と「制約」である、と定義しています。ここにご紹介したような「行動」と「活動」の「メタファー」は、通常の乳幼児の「行動」と「活動」の「生活機能のモデル」になります。このことを正しく理解することが重要です。ここにご紹介した「行動」と「活動」のメタファーは、ひょっとして「成人のものであって、乳幼児にはレベルが高すぎるのではないか?」とお考えになる人もいらっしゃるかもしれません。しかし、それは「カテゴリー」ということを失念したか、「推移律」として転換させることをおこなっていないかのいずれかによる誤解です。乳幼児は、母親と父親の住む家の中で「生活」しています。この生活の中には、家の外の社会生活を反映させた「カテゴリー」があります。
「食事をすること」は「買い物に行く」という「経済のカテゴリー」に内包されます。「父親は、朝、仕事に行き、夜になると帰宅する」という行動は、「社会の中の組織」に規制されているという「政治的なカテゴリー」の「下位の概念」になるでしょう。このようにとらえると、乳児もまた、「成人した大人」と同じように家の中から家の外の世界という「グローバルなカテゴリー」を「メタファー」として長期記憶していることになるのです。このことは、ポルソナーレがかつて20年間くらい「幼児教育」をおこなった現場の経験から実証的に説明されるものです。
「2歳半」の幼児は、「おままごと」(お母さんごっこ)「お父さんごっこ」などの遊びの中に、非常に抽象度の高い「社会意識」をカテゴリーとして記憶していて、このカテゴリーの中の「下位概念」として自分の日常生活を位置づけています。「下位概念」とは、「動くもの」(上位概念)に対して「動物」「猫、犬」などが典型です。 |
WHOのいう「支援」とは、「制約」と「制限」を減らすことである |
「障害」とは、このような「活動」のカテゴリーにたいして、ご紹介しているような「メタファー」を記憶していないことによる「制約のことだ」と理解しましょう。これがWHOのいう「障害の社会モデル」になるのです。茂木俊彦は、『障害児教育を考える』の中で、次のように説明します。
⑨ Mさんは、養護学校高等部を卒業して障害者の作業所に通うようになった。Mさんは18歳だ。電車を使って通所する。
駅に着くと毎朝、新聞を買う。電車に乗ると、新聞を広げる。そして「読む」。
⑩ Mさんの「精神年齢」は「5歳くらい」だから新聞の文字が読めるわけではない。だから上下が逆になっていることもある。
おもしろいエピソードだと笑ってすませられるかもしれない。だが、彼にとっては重要な意味をもった「行動」なのだ。
もう大人なのだ、働いているのだと、このことを誇りに思う心情が一般のサラリーマンが日経新聞を読む行為を真似ている。
⑪ 作業所の職員は、このことに気づいた。Mさんを子ども扱いして、彼の心の中の大人性、プライドに目を向けていなかったことに気づかされて深く反省した。反省にともなう職員の態度はMさんにも伝わった。その後、Mさんは、いちだんと仕事に熱心に自分から参加するようになった。 |
「発達」という概念の長期記憶が問われている |
⑫ わが国の障害児教育や福祉の現場では、人に「障害」はあっても「発達」は限りがないという見方が広まってきた。それは「発達」を見る見方を変え、経験のプラス要因に目を向けることを通して提起されたものである。
⑬ 保育園に通っている歩行に障害のある5歳の女の子のケースがある。話し言葉も未発達の状態にあった。
この女の子は、保育園の友だちの手につかまって歩いた。
「A子ちゃんが歩いた」。この感動は、園の全体に広がった。夕方、A子ちゃんの母親にこのことを伝えた。
だが、母親は全く喜ばない。
「うちでは、手を引いてやると歩けるんです」。
だが、職員たちは議論した。
「A子ちゃんの顔には輝きがあった」「家の中だけでしかできなかったことが保育園でもできるようになった」「お母さんだけとしかできなかったことがお友だちと出来た」、「それは、おしっこをする力、歩く力が伸びて仲間、社会との結びつきをこれまでよりも強めてきたことになるのではないか」。「それも大切な発達になるのではないか」。
⑭ 「A子ちゃん」の「移動能力」は「手を引いてもらえば歩ける」という発達段階にとどまっている。
「精神年齢」「発達年齢」などの発達段階でいうとこれらの数値が大きくなるとか、「発達段階A」から「発達段階B」への移行がなされたということではない。簡単にいえば「発達」はしていない。
⑮ しかし、「A子ちゃん」は、歩くことにかかわって、すでに獲得した力を異なる場で、異なる人々の間で発揮した。
これは、「歩く力」を豊かで確かなものにしたということではないか。これもまた「発達」ではないか。一般化してみると、諸能力の「発達」は「できること」「分かること」がより豊かで確かなものになるという観点でもとらえるべきではないか、という問題が提起されている。 |
「Y経路」を中心にした「主体」の共同幻想の生成が「支援」である |
⑯ 「障害児」を「発達の主体」とし、「発達は権利である」という見方を確かなものにするためのケースを紹介する。
「寝たきりの重症児」がいる。「生きているだけで何もできない全介助の子どもたち」のケースだ。
ベッドにいる重症の子どもたちは、いわば、上から見て眺めて「寝たきり」と言って終わりになる。ここでは、視点は「療育者側」にある。
しかし、「本人の立場に立ってみれば」と言ったとたん、視点は「相手の側」に移る。「この子は生きているだけで何もできない」のではなく「仰向け姿勢で寝ることができている」「寝た姿勢で自分の周りの世界と取り組んでいるのではないだろうか」という「発達」に踏み込んだ見方が生まれてくる。
この子は、目覚めている時に何を見ているのだろう。たいてい何の変哲もない天井を見て過ごしているのではないか。このまま放置されていたら目覚めていることの意味が半減するのではないか。睡眠と覚醒の分化が促進されないのではないか。
天井を、この子にとって見る意味のある色、音の刺激のある対象に変える「工夫」をこらす必要があるのではないか。
「もし、見えているのだとしたら」…「子どもと向かい合った時、自分たちはもっと意識的にこの子の目と合わせる努力をし、声をかけ、そのようにしながら、たとえば食事の介助をする必要があるのではないか」。食事をするとは、単に身体的な栄養を摂取するだけではなく、人との交わりをとおして心の栄養も摂取することではないか。 |
「発達」についての理解力が国際水準の基準になる |
⑰ 新生児から乳児に発達する過程で多くの人が知っている例は「微笑」の獲得だ。生後一、二ヵ月の子どもは「生理的微笑」をあらわす。そして、頬を軽くつつくと出る「反射微笑」があらわれる。次に母親があやすと笑う、という社会的微笑が出現する。すると、声を出して笑うようになる。
これは、認知と行動の力を示すものである。こうしたことが親と子の関係を作り上げる方向で機能していることは明白である。乳児期に前半の終わり頃には、自分の世話をよくしてくれる人物との心の絆が出来てくる。これが発達心理学でいう「愛着」である。
⑱ 「障害」がたいへん辛い状態の子どもにおいては、暦年齢は10歳、15歳だが、「心身の発達」という面から見ると「乳児期の前半」にいくつか見られる「発達」のどこかの段階に位置している。その位置で、今自分が持っている能力を使って「活動している」ということがありうる。健常児の何十倍という時間をかけて人間の個の発達という共通普遍の道筋をたどり、次なる「発達」の段階への移行を目ざして取り組んでいるのだと見ることができるのである。
ここで紹介した「寝たきりの重症児」の場合、「生まれて初めて微笑む力を獲得したのかもしれない」という変化が語られている。
⑲ 「知的障害」や「知的障害」を合併する各種の障害がある場合、ある「発達段階」までは進むが、しかしそこで「発達は止まる」「そこに発達の上限がある」という考え方が広く受け容れられていた。「発達限界説」である。「発達」をどういう内容で見るかによって、この限界説は正しいとも誤りだともいえる。「知能検査」、「発達検査」は、「暦年齢」に対応して言語、認知、記憶、思考、身辺の処理、移動、社会性などのデータが得られる。これが「精神年齢」(知能検査)、「発達年齢」(発達検査)といった数値であらわれる。この検査の結果「この人の発達の限界点」というものが得られる。
だが、ある地点から先の上昇が困難なのは「知的障害」に特有のことではない。「知的障害」があると、「健常者」よりも低い精神年齢で「発達のピーク」がくるのだといえば分かりやすいのかもしれない。しかし、歴史をふりかえると、「知的障害」にかんしてはことさらに「限界」が強調された経過がある。 |
日本人に特有の「障害」は生育歴の中の「Y経路」の言語の記憶が無いことが根拠 |
■WHOの提起した「生活機能分類のモデル」(ICF)を解説している茂木俊彦の優れているところは、「知的障害」のあるなしにかかわらず「健常者」においても「発達の限界」は生じる、という指摘です。
これは「LD」(学習障害)、「ADHD」(注意欠陥多動症)「アスペルガー症候群」の世界的な増加と拡大をとらえる観点になります。
平成18年5月に文部科学省がおこなった「LD」「ADHD」「アスペルガー症候群」の義務教育の段階の人数は全体の「6・3%」(約68万人)であるとされています。学級担任を含む複数の教員による回答です。この中に、「視覚障害」「自閉症」「聴覚障害」「情緒障害」といっしょに学校に通ってきている「LD」「ADHD」「アスペルガー症候群」の合計は「4万1千人」です。
これらの子ども、ひいては成人したLD、ADHD、アスペルガー症候群は、『愛着』のシステムから生成されると考えられます。 |
エインズワース(アメリカの発達心理学者)が開発した『愛着』の「測定法」による分類 |
Aタイプ…回避型。
子どもは母親への「愛着」をわずかにしか示さない。
全体的に中立的なやりとりを維持する。
とくに親密でパーソナルな行動を示さない。
Bタイプ…安定した「愛着」の子ども。
親が戻ってくるとリラックスした喜びを示す。
とくに避けるとか、アンビバレントな様子は示さない。
Cタイプ…アンビバレントあるいは抵抗型。
母親にベッタリとしがみついたり、敵意、悪感情を示す。
「愛着」の対象に過剰に依存する。
相手にこだわる。
まわりの環境への探索におもむくことはなく閉じこもる。
行動は未熟で、かんしゃく、しがみつき、ぐずるなどの不安定な行動を示す。
Dタイプ…不適応な行動の類型を示す。
親に非常な敵意をもってふるまう。
行動は、極端な恐怖、緊張をともなう混乱を示す。 |
「不安定な母子関係の愛着」が「カテゴリー障害」の原因である |
■この『愛着』のシステムの中で「安定型の愛着」の「Bタイプ」は「性格プロファイリング」にもとづいて理解することが可能です。「母親が小学3年生まで家にいて言語教育をおこなった」「中学3年生までも家にいて、心情の能力を継承させた」「父親は、つねに距離をとった位置から肯定的に子どもの話を評価した」などが判定の基準です。「ブローカー言語野の3分の2のゾーン」の「Y経路」で「遠くの行動対象」を「活動のためのメタファー」として長期記憶しているという脳の働き方です。
しかし、「Aタイプ」「Cタイプ」は「X経路」(ブローカー言語野3分の1のゾーン)で、母と子の『愛着』のシステムは「同調」がありません。「Y経路のメタファーの空間性」の「同期」は当りまえのように長期記憶されていません。
すると、次のような「カテゴリー(部類)特異性障害」を生成します。(『脳のしくみとはたらき』クリスティーヌ・テンプル、講談社BLUE BACKSより)。
- カテゴリー(部類)特異性障害は、ウォーリントン、シャリスらが提唱した。1984年。
- この障害は、あるカテゴリーの名称は言えるが、別の名称のカテゴリーは言えない。
選択的に正常と異常とがアンバランスに保たれている。
- 遠くに存在する視覚の対象の名称が記憶されていない。
- 言葉(概念)と、その「意味」が正しく統一されていない。曖昧であったり、もしくは不明なまま記号的に憶えている。
- さまざまな「カテゴリー」の「名詞」「名称」を記憶することができない。
- 言葉を話すときは、「カテゴリー」の場面、状況の言葉を、まわりくどく、断片的に話す。
このように説明される「カテゴリー特異性障害」が「子ども」の場合は「LD」(学習障害)となり、「学校、教室の空間」では「ADHD」(注意欠陥多動性障害)をあらわすのです。そして「対人関係」では「他者との正常なコミュニケーションの障害」をあらわします。
成人すると、そのまま「アスペルガー症候群」となって「社会的な言語発達の歪み」を他者との関係であらわします。 |
日本人に「日本型のアスペルガー症候群」が増えている背景とは |
「アスペルガー症候群」とは、対人関係の中での「自閉」というとらえ方がなされています。「理解したことを人に伝えることが難しい」「他者と情緒的な交流やその維持が難しい」「人と話すときは、断片的か、ボソボソと小さい声で少なく話す」「相手と共感して話す能力が乏しい」「特定のこと、特定のものにだけこだわって、その時々の行動の柔軟な切り替えが難しい」といった「障害」が報告されています。(1943年。オーストリアの小児科医ハンス・アスペルガーによる)。
「自閉的精神病質」という概念が「アスペルガー症候群」です。
『愛着』の不安定タイプの「Dタイプ」は、日本人の抱えている「対人不安」「対人恐怖」「対人緊張」を進化させて「強迫観念」に変えて固定化させています。「アスペルガー症候群」は、日本の経済社会が「輸出依存型」で推移した結果、「言葉」とその「意味」を憶えて現実に適用させるという「因果律」と「推移律」を喪失して「永遠にY経路の同期の習得を放棄した」という障害です。他者の中でも「X経路のゾーン」の中に入ってきた異性(男性にとって女性、女性にとって男性)との交流の不全を起こし、子どもとの関係も「発達」というメタファーの長期記憶が無いために無関心となり、「LD」や「ADHD」を生成する原因になっていると考えられます。社会の中の組織の中では、自分の関心事の「部分」の言葉を記号としてしか憶えられないので、「共同としての他者」「組織という全体」の中で自閉し、孤立という障害を深めています。
WHOのいう「支援」は、このような「活動」に至る「行動」のための「メタファー」の教育(教授)が必要です。 |