現在の日本語は「タミル語」と同系である(大野晋) |
国語学者・大野晋は、日本語の起源を研究して考察しています。大野晋の考察では、日本語は、南インドの「ドラヴィダ語族」の中の一つ「タミル語」と同系であるということです。大野晋の史実実証や歴史学を動員した解析では、日本語の起源は「タミル語」にあるという見解になっています。
大野晋は、『日本語の起源』(岩波新書)で次のようにのべています。 |
日本語の起源の調査の方法 |
① 「誰もが肯定せざるをえないような確かな証拠を示す」というとき比較言語学でいうその「確かな証拠」とは何か。
「比較言語」は、ヨーロッパの言語学が開拓した。それは、「単語の比較」と「文法の比較をせよ」というものだ。
② ラスクというデンマークの言語学者は、一八一四年、大西洋の北部の島アイスランドの言語と、何千キロも離れたギリシャ語、ラテン語との間に「音韻の対応」があることを、三五二の単語によって実証した。それは、これらの言語が大昔に同一の言語から分かれたのだ、ということを証明したことであった。
今では、アフリカの東岸のマダガスカル島の言語と、インドネシア語との間には「音韻の対応」があることが専門家によって証明されている。この二つの島は、その間にインド洋をはさみ、何千キロとへだたっている。しかし、その二つの島の言語の間には「音韻の対応」がある。だから、その二つの言語は、大昔には「同一の言語」だったのだ。このことは動かしがたいのである。その「対応」を偶然ということはできない。
③ つまり何千キロ離れていようと、その二つの言語の間をどんな交通手段で行ったのかは不明であろうと、今日の目から見て交通の可能性が疑わしかろうとも、「音韻の対応」が言語学の手法によって確認されると、それは、その二つの言語の祖先は同一だということの基本的資料となることは否定できない。
④ 「二つの言語が同系だ」と提言しようと思えば、一つや二つの単語の偶然的な類似を示すのでは無効である。その「二つの言語」の間に、全ての「音素」にわたって「音韻の対応」が存在することを、何百という挙例によって整然と立証しなくてはならない。「音韻の対応」とは、「二つの言語の同系」を証明する、それほど強力な方法である。
⑤ 「日本語の同系の対象は何か?」についての探索は、明治時代からつづいてきている。対象は、アイヌ語、朝鮮語、満州語、モンゴル語、トルコ語と拡大されていった。しかし確かな手ごたえを得ることはできなかった。研究者は、チベット語、ビルマ語へと目標を転じた人もいた。それでも顕著な結果に到達できなかった。
⑥ チベットの南隣りはインドである。インドの北部中部には、ヒンディー語以下の多くの言語が広まっている。それらは、サンスクリット語系統の言語である。サンスクリット語は、インド・ヨーロッパ語族に属している。
ヨーロッパ語の仲間だ。日本語との起源的な関係を求めてもそこによい結果が得られるはずがない。インドについての探索は、北部インドにおける否定的な状態によってそこで止まった。
しかし、実は、そのサンスクリット語系の語群の南に、別の語族があった。 |
コールドウェルの調査から始まった |
⑦ 19世紀の中頃、イギリスの宣教師コールドウェルは、インド南部の言語群が、サンスクリット語と別系の言語であることに気づいていた。彼は、その言語群を一括してドラヴィダ語という名をつけた。一八五六年に『ドラヴィダ語、すなわち南インド語族の比較文法』という大著を公刊した。
コールドウェルは、ここで日本語とドラヴィダ語との同系性を論じた。
⑧ 一九七○年に、芝烝(しばすすむ)が『古代における日本人の思考』、一九七三年、一九七四年に『ドラヴィダ語と日本語』(京都女子大学)を発表した。
一九七四年、藤原明が「ドラヴィダ語」について数々の論文を発表した。
一九七○年代の終わり頃、江実(こうみのる)も「ドラヴィダ語」を研究していた。
⑨ 江実(こうみのる)が学習院大学に講義に来た。このとき、「南インドのドラヴィダ語の一つのテルグ語のテープと教科書を売っている。買いませんか」と言われた。「28万円だ」と言われた。私(大野晋)は、買った。次に、『ドラヴィダ語語源辞典』を日本橋の丸善で手に入れた。
帰りの電車の中で、一ページ目から読み始めると、日本語と対応すると思われる単語が次々と見えてくる。
そこで、ドラヴィダ語の中心をなす四大言語タミル語、マラカラム語、テルグ語、カンナダ語の中から「タミル語」の一つを研究対象に特定した。
タミル語についての訳語が他と比べて格段に詳しいことを見たからだ。背後に相当大がかりな詳細な辞典があるからだと見当をつけたからだ。言語の比較研究は、小辞典とか単語集のようなものを相手に進めるのはとても不確実で駄目である。大辞典のあるような対象でないと確かな研究はできない。
⑩ 言語の系統の研究では、単語の対応もさることながら、結局のところ「比較文法」が最も重要である。日本語のような構造の言語では、「助詞」「助動詞」が文法上、大切な役割をする。
「助詞」「助動詞」を含めての「文法」の比較によって初めて「同系語」としての証明が確立される。 |
世界の権威者に見てもらった |
⑪ 一九八○年、四月。マドラス大学のコタンダラマン教授を訪問した。
「対応語の表」を見せた。
"We must proceed this work.(その仕事を続けるべきだ)"と教授は言った。
その後、『ドラヴィダ語語源辞典』の著者の一人、カリフォルニア大学のエメノー教授にも見てもらった。
一九八一年タミル州のマドライで開かれた第五回世界タミル学会で「日本語とタミル語の関係」について講演をした。このときチェコのカレル大学のヴァツェク教授に「対応表」を見てもらった。多忙の中を三日三晩にかけて一語一語を検討して意見をのべてくれた。
ユトレヒト大学のズヴェレビル教授にも送って見てもらった。ズヴェレビルは、世界屈指のドラヴィダ語学者だった。
私は、一九八○年京都大学の徳永宗雄から、朝日新聞で「全く無効だ」と批判された。「ズヴェレビル教授に聞いてみるといい」と書かれた。そのズヴェレビルである。
ズヴェレビルとは、一九八三年に東京で会った。「日本の学者はほとんど全て、この研究に否定的である」と話した。ズヴェレビルは"Ignore them.(無視しなさい)"と言った。
「何か書いてあげよう。日本の雑誌でもヨーロッパの雑誌でも、どちらかいい方に」とも言った。
それはロンドン大学のBSOAS(1985)に「タミル語と日本語—親族関係ありや。大野晋の仮説」として実現された。
「最も注意深く言ってpositiveである」と書いた。
⑫ 私の研究に大きな力になったのはクジャワナ大学言語学科主任アルサラム・サンムガダス教授と夫人マノンマニ・サンムガダス講師である。タミル人だ。二人は、Japan Foundationに申し込み、私と協力する目的で来日した。一九八三年だ。10年間、学習院大学で私を助け、研究をつづけた。二人は、前からサンガムの研究家だった。したがって、私の訳すタミル語の文例は全て、サンムガダス夫妻の眼を通した理解である。 |
日本語は「タミル語」以降とその以前の言葉とに分かれる |
■大野晋は、このような研究を経て日本語の起源は「南インドのタミル語」であるとの学説を確立しました。「縄文晩期」の頃であろうと推察しています。
これが「和語」(やまとことば)の発生の起源です。「縄文時代」の前期、中期とそれ以前の「旧石器時代」にも「日本人」は存在していました。しかし、その当時の日本人はどのような「話し言葉」であったかは明らかではありません。
かろうじて、「母音」の数が4つくらいで成り立つ生活を営んでいたと推察されています。当時は、植物を採集して食糧とし、狩りをおこない、魚や貝を食べていたと考えられています。稲の栽培は、「タミル人」が持ち込んだというのが定説です。「弥生時代」になって日本に、朝鮮半島から「漢字」が持ち込まれます。この時期から日本には、統一的な権力者が出現します。
注目したいのは、「アジア型の共同幻想」は、いつ頃出現したのか?ということです。それは、大野晋の研究をふまえると「縄文晩期」です。
吉本隆明の書いた『共同幻想論』は、「縄文晩期」の「和語」(やまとことば)の「話し言葉」に「漢字・漢語」を融合させた「弥生時代」の「国家成立」をとらえたものです。「アジア型の共同幻想」の発生の起源と、その観念のメカニズムがリアルに論述されています。 |
起源の確定は、文法と音韻の二つである |
問題は、大野晋ものべているように、日本語の骨格は、「助詞」と「助動詞」の文法にあります。和語(やまとことば)の文法が、現代の日本語にも継承されてきているということの実証を、大野晋の研究の行跡に見てとることができるでしょう。
その日本語の文法の最大の基本型について、大野晋は、『日本語練習帳』(岩波新書)に、次のように書いています。
① 日本語の「文法」で最も大切だと思えるのは助詞の「ハ」(は)と「ガ」(が)だ。
日本語の「ハ」(は)は、四つの役目を果している。
役目の一……「話の場を設定する」、「題目を提示する」というものだ。「問題を出して、その下に答えが来ることを予約するのが役目」だ。
《文例》
山田君はビデオにうずもれて暮らしている。彼はビデオテープの山の中に自分の記念碑を建てている。それをくりかえしている間は試験に受からないだろう。
1.「山田君」は…「暮らしている」
2.「彼」は…「建てている」
3.「それをくりかえしている間」は…「受からないだろう」
役目についての解説
?「ハ」の答え(新情報)は、その文章の結びの一句である。
?「ハ」の示す結びの一句までの説明を長くすると、意味が取りにくくなる。
?文末の結びは「動詞」になることもある。
役目の二……一つの文の中に「ハ」(は)が二つ出てくるケース。初めの一つの「ハ」は「題目の提示」「答えの予約」である。二つめの「ハ」は「対比のハ」といわれる。「何か対比するものがある」「情報が裏にあることを示す」ものだ。
《文例》
1.「私」は…「嫌いだ」
2.「猫」は…何かと対比している。(「うさぎが好きだ」などが対比されている)。
役目の三……「限度」を示す。
《文例》
a.お寿司を二つ、6時に持って来てください。
b.お寿司を二つ、6時には持って来てください。
役目についての解説
aは「6時に」と時間を指定している。bは、「ハ」が加わって「時間の限度」を明示している。「6時が限度だ」「6時までに遅れないで」という意味があらわされている。
役目の四……「再問題化」「事柄、事実が確かだ」というのではなくて、「問題として確かだ」という表現の仕方である。
《文例》
a.私が行くか行かないかは分かりません。
b.美しくは見えた。
c.訪ねては来た。
役目についての解説
a「分かりません」は、不明のことではない。「行くか、行かないか」は、問題としては確定的であると「ハ」が決定している。その「確定したこと」に「分からない」という情報が加えられている。
b.「見えた」は、何かの留保か、条件がついている。「美しくは見えた。しかし値段は、非常に高かった」というものだ。単純な肯定ではない。「美しくはなかった」と同じパターンである。
c.「来た」は、「しかし、遅く来た」などの留保か、条件がついている。「訪ねて」と説明して、ここで一応の判断を下している。ここに「ハ」を加えて、肯定の判断をしている。それにもかかわらず、最問題化して「再審」している。初めの判断を否定したり、条件を加えている。 |
日本語の助詞の「ハ」(は)のメカニズム |
■ここで大野晋がのべていることは、日本語のもつ曖昧さというものです。
助詞の「は」(ハ)は、①題目を提示して答えを予約する。そしてその答えは、たいてい文の結びで表現(説明)されている。②「対比する」(私は猫は嫌いのパターン)という働きと機能をもつ。③「限度を示す」(6時には持って来てください、のパターン)、や④「再問題化」(再審する。美しくは見えた、訪ねては来た、美しくはなかった、訪ねては来なかった、などのパターン)という働きと機能をもつ、と説明されています。
これらの日本語の特性は、説明の判断や情報が曖昧になりやすいということを示しています。そこで大野晋は、
AはBである
AはBする
などのパターンのように「AはB」の関係を鮮明にさせることが「明確な文章になる」と説明します。
「AはB」という関係が歪んだり、崩れると文のもつセンテンスは明確さを欠くという主張です。 |
日本語は、「曖昧性」をもって最大の特徴とする |
このような大野晋の「日本語観」にたいして、言語社会学者の鈴木孝夫は、『日本語と外国語』(岩波新書)の中で次のように「日本語の表現構造」を説明します。鈴木孝夫の説明を再構成してご紹介します。
① 「言語」は、独自の音声構造、文法のシステム、語彙(ごい)の体系をもっている。
「言語」を構成するこれらの諸要素を、他の言語からの影響を受けて変化しやすい順に並べると、最も変わりやすいのは語彙(ごい)、次に文法、そして音声のしくみが最も変わりにくいと考えられている。
言語のもつ音声のしくみとは、用いられる音声の種類、それを組み合わせて出来る音節の数と種類、声の上がり下がり、そして強弱の置き方などだ。これらを総合した全体が、ある言語に特有の調子や個性的な響きをもっている。
これが、変わりにくい要素である。 |
「なく」の日本語と英語の比較 |
② 最も基本的な日本語(和語・やまとことば)の一つに、動詞の「なく」がある。
「なく」…人が「なく」だけでなく、鳥、けもの、虫が「なく」も「なく」と表現する。人が「なく」ときは、涙を出しても出さなくても、大声でないても、小さくかすかな声でないても「なく」と表現する。
「なにかしらの生物が、言語的な意味をもたない発声をおこなう」ときに「なく」と表現する。
この動詞「なく」は「抽象的な表現」(説明)である。
《文例》
a.山田順子さんがないている。
b.猫のミケがないている。
文例のaもbも、「なく」主体はどういうものか?を問わない。声の出し方も、なぜなくのか?の状況も、どういう様子でなくのか?も、「なく」という日本語(和語)の動詞は無視する。「なく」は、生物が言語的な意味をもっていないときの発声に限れば、どんなものにも用いてよいという「カテゴリー」の記号を概念として言語化している。
だが、英語の「なく」という概念は、具体的、識別的、そして個別的である。「カテゴリー」ではなく「ベクトル」(ものごとの動き方の特性とその内容。動きの自発性の有無、動きの方向性を内容とする)を概念として言語化している。
cry(クライ)…人や動物が大声でなく
weep(ウィープ)…涙を流してなく
sob(サブ)…すすりなく
blubber(ブラバー)…顔を歪めて大声でなく
whimper(ウィンパー)…悲しげにとぎれとぎれになく
wail(ウェイル)…悲しげに泣く
moan(モウン)…苦しそうになく
bark(バーク)…犬がなく
bawl(ボール)…大声でわめくようになく
bay(ベイ)…犬が遠ぼえしてなく
roar(ローァ)…大きな動物が低い声でなく
yelp(イェルプ)…犬が鋭く短い声でなく
yap(ヤップ)…仔犬がうるさくキャンキャンとなく
whine(ホワイン)…犬などが鼻声でなく
low(ロウ)…牛がなく
bellow(ベロウ)…牛が大声でなく
moo(ムー)…牛がモーッとなく(幼児語)
neigh(ネイ)…馬がなく
whinny(フウィニ)…馬が嬉しげになく
grunt(グラント)…豚(ぶた)がブーブーとなく
squeak(スクウィーク)…豚、ねずみがキューキューなく
squeal(スクウィール)…仔豚(こぶた)がキーキーなく
bleat(ブリート)…羊がなく
bray(ブレイ)…ロバがなく
sing(シング)…小鳥がなく
caw(コー)…カラスがなく
cackle(カックル)…ニワトリがやかましくなく
peep(ピープ)…ヒヨコがピーピーとなく
coo(クー)…鳩がなく
croak(クロウク)…カエルがなく
mew(ミュー), mewl(ミュール)…猫がなく |
日本語とは、長く書く能力を必要とする |
③ 日本語は、抽象的な意味を構造としてもつ概念を基礎語にしている。すると、語彙(ごい)の総数が少なくなる。そこで、日本語は、二つの動詞を組み合わせて基本動詞の意味をさらに具体的に修飾したり、変形させて、意味をこまかく表現して、具体的にくわしい厳密な表現を可能にしている。
《動詞の例》
駆ける・出す…駆け出す
見る・つける…見つける
蹴る・飛ばす…蹴とばす
《副詞・副詞句の例》
きつい・噛む…きつく噛む
くりかえす・何度も・噛む…くりかえしなんども噛む
しかし、見てすぐに分かるとおり、基本動詞の抽象性をカヴァーしようとして他の言葉と組み合わせると、必ず、表現が長くなる。科学や学的な内容についてのべようとすれば、げんみつにこまかく述べることを目的にすると、日本語の言語活動は、きわめて長たらしくなる。 |
日本語は、漢字の意味を分からないまま使うと自己崩壊する |
④ 日本語(和語)による表現が長くなることをある程度まで補っているのが「漢字・漢語」である。
「漢字」は、意味の内容が細かく、具体性をもつものが多くある。
《例》
「そう」「そえる」…「添」「沿」「副」
共通する意味…何か主たるものがある。その近くに別の何かが付加的に、付随する。
個別の意味
添う…もとになるものにつけ加えたり、近くに置く
沿う…基準物から離れずに行なう
副う…期待、目的にかなう
組み合わせ語
添…添付、添乗、添加
沿…沿線、沿岸、沿海、沿道
副…副官、副業、副本、副食、副詞
⑤ たとえば、副本、添乗員、沿線住民といった表現がある。このような表現に出会った時、その意味することを直観的に察知できるためには、日常の書き言葉の中で「そう」という日本語(和語)を違った漢字で書き分ける習慣をもっておく必要がある。いつも、「そう」を仮名だけで書くとは、沿、添、副などの「訓読み」を止めることを意味する。高級語彙(ごい)として改めて学習せざるをえなくなる。 |
日本人は「カテゴリー」を認知して「ベクトル」を認知しない表現をおこなう |
■鈴木孝夫は、英語の概念に近づくのが「漢字・漢語」であると、説明しています。
要点は、次のとおりです。
- 日本語(和語)は、動詞、形容詞、名詞のほとんどが「カテゴリー」を対象とした概念になっている。
だから、その言葉の意味は抽象的である。
くわしく具体的に個別的に説明がなされない時の表現は曖昧になりやすい。
- 日本語で、英語のようにものごとを具体的にくわしく説明しようとすると、文章にしろ、話し言葉にせよ、説明が長くなることは避けられない。
- 「AはBである」「AはBする」という文章のパターンの示す明確さ、鮮明さを求めようとすれば、英語の言葉(概念)の示す「ベクトル」が省略されるか、「漢字・漢語」を使った「カテゴリー表現」で抽象度がやや薄まった表現にならざるをえない。
《例文・1》
言うまでもなく、明治憲法下の法典編纂(へんさん・多くの材料を集めてまとめて本にすること)事業は、まず第一次には、安政の開国条約において日本が列強に対して承認した屈辱的な治外法権の制度を撤廃することを、列強に承認させるための政治上の手段であった。
(川島武宣『日本人の法意識』大野晋『日本語練習帳』より) |
本人の文章「内(ウチ)」への取り込み方の例 |
■大野晋は、一つめの「ハ」(は)は「題目の提示と答えの予約」であり、二つめの「ハ」(は)は「対比のハ」であると説明しています。「ハ」(は)が二つも使われていて、結びの語の「政治上の手段であった」までの説明の道のりが長いので、「鮮明さに欠ける」という主張に相当します。しかし、鮮明さに欠けるのは、「法典編纂事業」という概念が「政治上の手段であった」という概念と同じ文脈にないところにあります。これは、日本語の助詞の「は」のもつ「曖昧性の肯定性」という性質によるものです。
日本語の文法は、「遠い所にある対象」を放置する、手を加えない、成り行きにまかせる、という区別を起源にしています。
助詞の「ハ」(は)を使うことは、「AはBである」、「AはBする」という文型のパターンが最も美しい日本語の表現のモデルに近づけることが望ましいというのが大野晋の日本語研究の結論です。すると、川島武宣は『日本人の法意識』を書くにあたって、「日本が国際社会で屈辱的な位置にあった」という不安な心情に照らして、日本人の安心する心情を回復させることをモチーフにしていることが分かります。このモチーフが前面に強く押し出されていることが「明治憲法下の法典編纂事業」というものの目的や根拠を分かりにくくさせているのです。「X経路」という脳の働き方は、「外」(ソト)か「内」(ウチ)かというと「内」(ウチ)です。この「内」(ウチ)に取り込み、一体化させ、融合させる日本語の表現のモデルが川島武宣の文章です。
次に、「X経路のもつ身内ふうの心情のムード」でコミュニケーションを交流させる日本語の説明のモデルをご紹介します。 |
日本人の文章技術「メトニミー」の構造 |
《例文・2》
いったい、サクラにしてもコブシにしても、開花している樹にはある種の謎めいた妖しさがあり、ひきこまれるような美しさがある。樹の花には私たちを酩酊(めいてい)させ夢心地にいざなう魔力があって、そのために、私たちはサクラが咲けばその樹の下に筵(むしろ)をしいて酒を酌(く)みかわし、放歌高吟(ほうかこうぎん)したりすることになるのかもしれない。
毎年のように日光植物園を訪ねながらも、あのリョクガクザクラに魅せられながらも、樹といわれてそうした花木を思い浮ぶことがないのは、樹の本当の姿かたちとは、それとすこし違ったものだ、ときめこんでいるからであろう。私の心にある樹はいつももっと雄々しく、りりしく、すっくと大地から立っていて、心を惑わすような妖しい美しさとは無縁なのである。
(中村稔「日光植物園のリョクガクザクラ」、『日の匂い』所収、『日本語練習帳』大野晋より)
■大野晋は、この文章を「明るく、なだらかで、よく分かる文章である」と解説しています。「よく分かる」と見える理由は、植物のリョクガクザクラのことを描写しながら、実は、人間に擬定しているからです。このような表現の仕方を「メトニミー」(換喩・metonymy)といいます。あるものを別のものに置き換えて表現する手法です。「きつねうどん」「たこ焼」「赤ずきん」「四つ足(動物)」「お膳」(ととのえられた食事)などが用例です。
「メトニミー」と「メタファー」の違いとは何でしょうか。「メトニミー」は空間的な隣接を言い換えによって実現します。日本人にとって「遠い所にあるもの」を自分のウチ(内)に融合させる方法とは「人間」を「リョクガクザクラ」に置き換えて自分に隣接させるというものであったのです。ここでは、「人間のもつ本質」の「ものの考え方」とか「性格」とか「Y経路を中心とするメタファー思考」というものは「遠くにあるもの」なので「手を加えない」「放置する」というようにスポイルされていることがよくお分りでしょう。これは、とりもなおさず「漢字・漢語」のもつ語義(意味)を不問にしてもよいという日本語の「文法」の思想とも合致します。次のようにです。
- 「あなた」「あんた」「おまえさま」「おまえさん」「おめえ」「てまえ」「てめえ」…古い形は「コチノヒト」(ココは自分のいる場所)が近い位置だった。
「あなた」も「あなたさま」も相手に敬意を表現した。これが、「あんた」と粗略に発音されて近しくなれなれしい扱いになり、時には侮(あなど)りの感情をあらわすようになった。
「おまえ」は「大前」で「神の前」の意味だった。相手を崇(あが)めた言い方が、相手を低く扱う気配に変わった。
- 「貴様」…貴(たかし)という訓は、人間を上下の関係でとらえる中国の考え方を意味している。これが「遠い、近い」の位置関係の中に取り込まれて「上の人」「貴い人」「敬うべき人」という漢語の意味が換骨奪胎(かんこつだったい)された。
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日本語による文章を「欧米型の能力」に変える方法とはこういうものです |
■日本語の「文法」の助詞、助動詞は、大野晋のいう日本の古代原始社会の共同幻想を織り込んでいます。それは、ちょうど「東京の地図」を、江戸時代につくられた「地図」を見て行動するような意識です。次のような日本語の特性です。
- 曖昧な表現を肯定する。
- 漢字・漢語の原義(意味)を不問にしてものごとをおおざっぱにカテゴリーだけでとらえてすまそうとする。
- X経路(日本人の対人意識の内(ウチ)に取り込んで「換骨奪胎」したムーディなイメージ)を交流させようとする。
- 鈴木孝夫の主張するように、「テレビ型言語」として「漢字のイメージ」が思い浮べば「X経路の人間どうし」のコミュニケーションが成り立つと信じられている。
■このような日本語の用いられ方が今の日本人に一般的になっています。すると、グローバル・リセッションの次の新しい経済社会が全く見えずに困惑しています。この????を知的対象として日本語で表現することが、必須のサバイバル能力になることはよくお分りいただけていることと思います。 |