書き言葉は、「話し言葉」からつくられます。日本語のつくられ方を理解しましょう |
鈴木孝夫(言語社会学者)は、日本語の特性について書いています。このことは、すでに本ゼミで紹介してきました。鈴木孝夫によれば、日本語の特性は、「音の種類」が、欧米語と比べてたいへん少ないというところにあります。「音の種類」とは「音の素」(音韻)の総数のことです。
英語…45
ドイツ語…39
フランス語…36
日本語…23
という違いになると説明しています。
この数の違いは、母音と子音の数の違いにもとづきます。
日本語は、「母音」だけか、もしくは、「子音」に「母音」が一つ付いたものしかなく、「音節」の種類は二つしかないと説明しています。欧米語の「単音節語」は、日本語と比べると驚くほどの数がつくられているとのべます。英語は、「三千近くもある」と具体的な数をあげています。
この日本語の「音韻」の数の少なさは、日本人にはあまり自覚されていませんが、いろいろな不都合を発生させています。たとえば、日本人が英語の学習をおこなう場合です。
英語のstreet【stri:t】は一音節で発音します。日本語の中に入ると融合を起こします。「ストリート」と、五音節の間延びした言葉に変わります。このことは、日本人が英語を習得すると、「読める」「書ける」ようにはなる、しかし欧米人と会話はできない、という不都合をひきおこします。
母音中心、子音の数が少ないのが日本語です。少ない音韻(音声の音素)しか記憶していなくて、この上で英語のstreetの発音を聴いても、ストリートとしか聞こえないというのが不都合です。だから、streetのつもりで「ストリート」と発声しても欧米人には、
【stri:t】とは聴こえないというギャップが発生します。会話そのものが、水と油のように融け合わないという不都合が起こります。
すでにお話ししてきているとおり、言葉は、「話し言葉」と「書き言葉」の二つがあります。どちらが先につくられたのかというと、「話し言葉」が先につくられました。 |
日本語の文法の特性とはこういうものです |
日本語は、鈴木孝夫ののべる「音韻数が少ない」「一音節語の数が驚くほど少ない」という「音韻」から生み出されています。この少ない「音韻」でつくられた日本語が「和語」(ヤマトコトバ)です。現在の日本語は、「和語」(やまとことば)が文法の体系を構成しています。文法とは「単語の配列を秩序だてる基本的な統語規則」のことです。日本語の文法の特性について、国語学者・大野晋はこう書いています。
- 日本語の敬語とは、相手、あるいは話題とする人や物事が、「自分」とどんな位置関係にあると扱うか?を表すものだ。
- 日本語では、話し手のいるところを「コ」で表す。遠くの所、物は「ア」か「カ」で表す。
(遠いか、近いかだけを表すメカニズム)。
- 日本語の古代の「助詞」は、人間関係を把握する仕方として用いられていた。
助詞「が」……「我が子」「君が代」のように「自分自身」「自分に近い人間」の下に付けていた。
助詞「の」……「大君の命(みこと)」「天の川」のように、「自分の外」にあるものの下に付ける。「外扱い」するものは全て「の」をつけて区別していた。
- 日本語の「尊敬語」は、「自分の外」(外扱いするもの)についての表し方が起源になっている。
「亡くなる」「おいでになる」「ごらんになる」などの「なる」(「らる」「ある」なども)が尊敬語だ。これは、「寒くなる」「暑くなる」「恋しくなる」「赤くなる」などのように、「自然の推移の結果として、ある状態に至ること」、という自発性があらわされている。
古代の日本人の意識では、「自分の身近な所は、安心な場所、親愛なもの、なれなれしくできる、ひいては侮蔑してもよいもの」だった。
「自分の外にあるもの」は、「恐ろしい所、恐怖の場所、自分に左右できないこと、自分が立ち入るには危険をともなうこと、手を加えないもの、成り行きにまかせるもの」と見なされていた。
漢語の動詞の尊敬語の例
1.研究する…「研究なさる」、「御研究になる」
2.依頼する…「依頼なさる」「依頼される」
3.前進する…「前進なさる」「前進される」
4.読破する…「読破なさる」「読破せられる」
注・漢語の動詞の上には、ふつう「御」をつけてもよい。だが、濁音で始まる漢語の上には一般的に「御」はつけない。「御読破」「御前進」とは表現しない。例外はある。「御学友」などだ。
- 日本語の「謙譲語」は、「外扱いのもの、人、物事にたいして気配りをして関わること」が起源になっている。
1.努力する…「努力いたします」。
「いたす」は、「至る」「頂く」の「イタ」が語源になっている。自分の努力で頂点まで力を尽す、という意味だ。
2.会社にいる…「会社におります」。
「おります」の「おる」は、「低い姿勢で座っている」が語義だ。
3.出来ないと思う…「出来ないと存じます」。
「存」は、「生存」「存命」と使う。
「生きながらえている」という意味だ。「保存」と使うように「無事に長く保つ」という意味になる。胸の中でずーっと思っている、という意味に転じる。「思う」「知る」の謙譲形として用いる。
4.田中という…「田中と申します」。
「申す」は、もとは「神様に実状を訴えて願う」という意味だった。
自分を低く扱う、すなわち低い位置から誠意をもって相手に話す、という原義になる。
「申し入れ」「申し立て」「申し込み」「申し添え」は、「人民がお役人にお願いする」という用いられ方をした。「下の位置から上の位置」に向かって言う言葉だ。
5.おもしろい話を聞いた…「おもしろい話をうかがった」の「うかがう」という謙譲語は、「そっと、密(ひそ)かに尋ねる」という意味だ。「うかがう」は、「敵の状況を密かに探る」などに用いる。「おおぴらに聞くということをしない」ことから謙譲語になった。
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日本人の心の病いは、日本語の文法がつくっている |
■大野晋がのべているところをご紹介したのは、「尊敬語」や「謙譲語」の用い方をレクチュアするためではありません。日本語のもともとの「話し言葉」が、現代の日本語の書き言葉の文法になっていることを再確認することが目的です。日本語のもともとの言語は「和語」(やまとことば)です。
「和語」(やまとことば)は、発音された発声をそのまま「話し言葉」に表しています。音文字に表して「文法」に体系づけています。
その体系の例が「助詞」や「動詞」につける謙譲語です。
日本人の心の病いといえば、「対人恐怖」や「対人緊張」などです。あるいは、「不登校」や「引きこもり」です。そして、「うつ病になって自殺すること」です。
これらの心の病いは、「遠い所にあるものは、恐ろしい。手を加えない。近づくと危険だ」という距離意識が病理のものの考え方のルーツになっていることがよくお分りでしょう。
心の病いの当事者は、家の外という「遠い所」にあるものは成り行きにまかせて、自然なふだんのままの自分の行動の仕方で近づいていく、という考え方が不適合を発生させています。「手を加えない」という固定観念が、媒介となる尊敬語も謙譲語の言葉も身につけなかったのです。
「不登校」や「引きこもり」の子どもを持つ親は、「うつ病」という思考の仕方が「遠い所にあるもの」に見えています。「遠い所にあるもの」は恐いもので、危険きわまりないものなので、自分は「手を触れられない」「手を加えてはいけない」ものだと見ています。「薬でも飲ませて、自然に治るのを待つしかない」という自然成立の推移の対象と見ています。「薬で、いつかうつ病は良くなる」という「なる」が「和語」(やまとことば)で生成されているのです。
このような日本語の「話し言葉」は、どのように生成されるのでしょうか。 |
正高信男(京都大学・霊長類研究所教授。専攻・比較行動学)は、『0歳児がことばを獲得するとき』(中公新書)で次のように書いています。
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「かわいい」の起源 |
① 大人が「赤ちゃん」を前にして「かわいい」と思う感受性は万国共通なのか?「かわいらしさ」の判断基準は、文化によって変わらないものだろうか?
② 少なくとも日本では、「母音」様の発声が非常に好まれるという事実がある。では、ほかの文化圏ではどうか。そこでテストしてみた。
③ 対象は、カナダに在住している「白色人種」(コーカソイド)の学生、日本の大学に勉強に来ている中国人留学生(黄色人種。モンゴロイド)である。
結果は、次のとおりである。
1…「母音」様の音声の方が、「子音」様の発声よりも「かわいい」と判定される。
2…「母音」でも「子音」でも、「上がり調子」か「下がり調子」かのどちらを「かわいい」と感じるか?のテストでは、
カナダ人…「上がり調子」「下がり調子」のどちらの音調にも評価の差はない。
中国人…「母音」様はもちろん、「子音」様の音も、「上がり調子」であれば、「かわいい」と判断する。「母音」様の音でも「下がり調子」ならば「かわいい」とはみなされない。
「子音」様の音が「下がり調子」ならば、最悪の評価になる。 |
「有声言語」と「無声言語」 |
④ この赤ちゃんの発声する「音声」について「かわいい」「かわいくない」と受け取る違いは、言語環境に深くかかわっている。
カナダ人は英語を母語としている。中国人は、北京語を話していた。
中国で話されている言語には「声調」というものがある。
一つの単語を発音するときにも「声の高さの上り、下がり」によってひんぱんに意味が変わる。
日本語でも見られる現象だ。
「は・し」という二音節の言葉の場合、最初の「は」の音節を高く発音すると東日本では「箸」を指す。一方「し」の方を高くすると「橋」の意味となる。西日本では逆転する。
「は」の方が高いと「橋」になる。
「し」の高い場合が「箸」を指す。
こういう性質をもった言語を「有声言語」という。「有声言語」は世界の言葉の四分の一を占める。そのいちばん有名な例が中国語である。
1.中国語で「バ」という音を発したとする。上り調子では「引く」という動詞になる。下がり調子だと「すき」「くわ」という名詞に転ずる。
また調子を全く変化させずに「バー」と引っぱれば「数字の八」の意味となる。
⑤ 英語は、「無声言語」と総称されるグループに属する。
1.橋を表す語は「ブリッジ」bridgeである。
英語(欧米語)は、声を「上げ」「下げ」することで他の意味をあらわす言葉に転化させることは、決してできない。これが「無声言語」の特性である。
2.「有声言語」は、発音したときの声の調子のコントロールが、当の「発音された音」の指し示す言語としての「意味」を規定する。「無声言語」では、声の調子は、そのような重要な役割りをになっていない。 |
「乳児」の発声のメカニズム |
⑥では、なぜ、赤ちゃんの発声する音が「上がり調子のときはかわいい」「下がり調子のときは、かわいくない」(評価が低くなる)のか?
- 生後3ヵ月ごろの赤ちゃんの発生する音を分類すると、「上がり調子の音」の割合が最も少ない。「下がり調子の音」が普通に見られる。
- 赤ちゃんの発生する音は、まず「下がり調子」の音が登場する。次に「上がり」も「下がり」もしない音があらわれる。
最後に「上がり調子」の音が発せられるようになる。
- 身体的にみると、「下がり調子」の音を発するというのは簡単である。
発声をまさにおこなおうとする瞬間に、ためた息をふっと一気に吐き出すだけでよい。自然に気管をとおって外に出てくる空気の量が少なくなる。声帯の振動は減退して、「音」はしだいに小さくなっていく。
- しかし、声が「上がり」も「下がり」もしない音をつくるのには緊張をともなう。音が出ている間、つねに声帯が緊張を加える必要がある。同じ量の空気を一定の時間送りつづける努力をともなう。一度に息を吐くのではなく、ためておいた空気を抑制しつつ、少しずつ出すというコントロールがないとつくり出せない音だ。
- さらに難しいのは、「上がり調子」の音を産出することだ。最初は弱く息を出す。それから少しずつ「空気の排出量」を多く出す。
- 「有声言語」を使用している文化圏に生まれた赤ちゃんは、たまたま「上がり調子」の声がじょうずにつくり出せたとき、母親が「とてもかわいらしい」と受け取るようだ。その結果、音調の異なる種類の音声を区別して発声する訓練が、乳児の頃から促されていく。
- 西欧人は、「無声言語」の欧米語を「歌うように話す。話すように歌う」といわれている。日本人は、節回しや「こぶし」を効かせた発声が上手だ。だから、「有声言語」である日本語を、実際に、西欧人ふうに発声しているのを聞くと、何を言っているのかとてつもなく分かりづらくなる。日本人は、「のど」を詰めて発声する、という癖があるとよく指摘される。歌を歌うときに「のどをもっと開いて、おなかから声を出しなさい」と言われることに典型的だ。これは、生後3ヵ月頃の母親の反応に始まるといっても過言ではない。
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「母親語」が発声と発語をつくる |
⑦ 「母親語」というものがある。
Mothereseからつくった言葉だ。
最初に言い出したのはチャールズ・ファーガソンというアメリカの文化人類学者だ。ファーガソンは、6つの異なる言語文化圏で、母親の赤ん坊への「語りかけ」の比較検証をおこなった。
- いずれにおいても、母親の赤ん坊への「語りかけ」には共通の特質があることを発見した。この共通の特質が「母親語」である。
- 「母親語」とは、ふつうに他の成人に話すときとは全く違っている。「母親語」とは、
1.ことさらに声の調子(高さ)を高くする。
2.声の抑揚を誇張する。
3.アメリカ人の母親のケース。
デビー(Debbie)という子どもに話しかける場面。
Debbie, what's the matter with you?
(デビー、どうしたの?)
では、
「mat-ter-with-you」
と音が終わりに近づくにつれて声の調子は高くなっていく。
この変化の程度は、デビーが赤ちゃんである場合、他に類を見ないほど激しい上昇曲線を描く。
注・what〔ホワット〕the〔ザ〕matter〔メァタ〕
with〔ウィズ〕you〔ユー〕
⑧ 日本語を用いている母親の「母親語」の場合は、どうなっているのか。
- 日本人の母親は、のべつ「母親語」を用いてはいない。誇張した言い回しがなくて済ませられるのならそれにこしたことはない、というように「母親語」は存在する。
- 日本人の母親は、赤ちゃんが無反応をつづけると「母親語」を登場させる。出現の仕方は「文脈特異的」である。
- 「文脈特異的」とは、
「どうしたの?」(疑問形)のケースで、
A・語りかけの最後で音が「上昇するタイプ」
B・語りかけの最後で音が「下降するタイプ」
C・音の高さが変わらない「平坦タイプ」
D・最後の部分で音がいったん下降して、そののち上昇する「下降+上昇タイプ」
E・A、B、C、D、E、にあてはまらない「複合タイプ」
などと変化することをいう。
- 赤ちゃんは、「A・上昇タイプ」によく反応して「60%」の割合で模倣して発声する。
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日本人の母親はなぜ「赤ちゃん言葉」を話すのか |
⑨ 日本人の母親は、赤ちゃんにたいして特異的に「赤ちゃんことば」を使う。文化人類学者の川田順造(東京外国語大学教授)は、「フランス語文化では、赤ちゃんことばはほとんど聞かれない」という。せいぜい4語程度だという。
ねんね…dorir(ドド)
おっぱい…lait(ロロ。牛乳に由来)
おしっこ…pisser(ピピ)
うんち…cabinet(カカ。便所に由来)
- フランスでも「母親語」は歴然と存在する。
- 「小さな大人」に向けて成人と同じ語りかけの中で、口調が高くなり、抑揚は成人向け以上に誇張される。
- 日本人の母親は、「赤ちゃんことば」を多用する。
食べ物…マンマ
自動車…ブーブー
犬…ワンワン
- 日本は、子ども中心の「家庭」がつくられる。「子どもの位置」から出発するという距離の延長に「大人」が位置する。
子どもができる……夫婦の間で互いに「お父さん」「お母さん」と呼び合う。
子どもに孫ができる……夫婦の間で互いに「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼び合う。
- 日本人は、親族の一番下の世代から見た人間関係の呼び方「呼称形式」に誰もが従順に付き合う。この人間関係のパターンは、普遍的に人間の社会に見られるということはない。
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乳児のコミュニケーションの能力の生成 |
⑩ 子どもは、「0歳9ヵ月」になると認知能力が急速に発達する。
「自分」「自分と関係のあるもの」に加えて「第三者」というものとの関わりの能力が発達する。その「第三者」とは、たいてい「父親」のことである。
- 子どもは、「父親」の姿を見て「タータ」とか「タアタア」などと喃語を発する。
- 子どもは、「タアタア」と声を出すことで、「母親に、父親が来たことを知らせる」という叙述機能をあらわす。
- 子どもは、父親から叱られた後、父親の姿を見て「タアタア」と発声するときは、中立的な叙述とは異なる感情、態度をあらわしている。発声する音が、メロディタイプをともない「情動的機能」をあらわしている。
- このように観察される発声するメロディタイプは次のとおりである。
物(おもちゃなど)に関心の焦点が合っているとき……発声の語尾は「上昇」も「下降」も示さない。
母親を動かそうとする「注意の喚起」「要求」のとき……発声の語尾が「上昇」する。
自分の意志を示す「抵抗」「譲渡」のとき……発生の語尾は「下降」する。
⑪ 乳児のコミュニケーションの能力の検証例。
- 中学に入って初めて英語を学んだ頃に、いくつかの主要単語を学んだ。単語の配列の規則の文法を学んだ。技能があるレベルに達したころ、教師は言った。
「さあ、お互いに今までの知識を使って自由に会話してごらんなさい」。
言葉は覚えた。だが、その言葉を使って伝えたいメッセージが新たに作られるわけではないことに、はた、と思い当ったことはないだろうか。体験的に、「言葉を用いる以前に、一体、何を話せばいいのか?」と悩んだことがあるのではないか。
- 国際親善の目的で数十人の日本人小学生を、アメリカの小学校に連れていったというエピソードがある。小学生の子どもらは、英語にかんする知識は皆無だった。
- 日本の小学生は、アメリカの小学生と打ちとけて、おそろしく上手に意思疎通をはかれるようになった。だがこのことは、かくべつ驚くことではない。誰しも、言葉は分からなくても表情、身ぶりで相手のメッセージの解読をしたことはあるにちがいない。
- このエピソードの小学生は、昼間の小学校訪問をおえて、宿舎に引き上げてから、全員がいっせいに公衆電話に向かった。
めいめいが、仲良くなったアメリカ人から自宅の電話番号を聞き出していた。公衆電話から相手を呼び出した。しかも、お互いに何を言っているのか、単語も文法も無知なはずなのに、えんえんと会話は続いた。止めなければ一時間でも受話器にかじりついている。
後で尋ねると、けっこう双方とも伝えたいことを相手に理解させることに成功していた。
- ヨーロッパでは、第二言語(母語以外のはじめての外国語)の習得をどのようにおこなうのか?の研究が盛んになっている。とくに、ドイツには、旧ユーゴスラビア、トルコから大量の労働者が流れこんでいる。
言語学者の調査では、外国人がドイツに定住したのちどの程度ドイツ語に習熟するかは、途方もない個人差があるという。
何年たってもほとんど話せない人から、じつに流暢にしゃべる人まで全く千差万別であるという。
ドイツの研究によると、第二言語の熟達に肝要なのは、学ぶときの年齢ではなく、一種の「心構え」なのだという。
ドイツの言葉で、いろいろのことについて相手と意思疎通をはかりたいと思う人は熟達する。ただ、一般的に人間は、年齢を重ねるほど、何かを伝えたいという意欲を失う傾向にあるだけなのだと考えられている。
- この検証に見ることが「乳児」の言語発達の初期の段階にもあてはまる。母親の「母親語」を耳で聞いて、やがて、赤ちゃんはいくつもの「メロディタイプの発声」をあらわして、ここで相手と「意思の疎通をはかれる」ことをまず、理解する。
ここから、「異なるメロディタイプのタイプ」があることを分かり、交渉形態に割り当てる。
どういう音の配列の発声を、どういう対象に対応させるか?という言葉の機能の習得は、後からやってくる。
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日本人だけが「乳児」の人格を無視する理由と根拠 |
⑫ アドルフ・ポルトマンというスイスの発生学者が書いた『人間は、どこまで動物か』という本がある。ポルトマンは、「ヒトの胎児期間の280日は、もっと長いものでなければならなかった」「一種の早産の状態で生まれてくる」「生まれたばかりの赤ちゃんは、非常に未熟である」「本来ならば、胎内にあるべき段階で外界の刺激を受け取っている」と主張している。ポルトマンの本は、日本では刊行部数を重ねて多くの「教育学」「哲学的人間学」の書物に紹介されている。日本だけの現象で、西洋ではそうではない。日本人は、ポルトマンの考えに影響されて、赤ちゃんは「未熟」「赤ちゃんは受け身の存在」「動物の能力よりも劣っている」という見方に拘束されている。 |
「和語」(やまとことば)の生成のメカニズム |
■正高信男による『0歳児がことばを獲得するとき』(中公新書)より「日本語」の発生のメカニズムのデータになるところをまとめてご紹介しました。
正高信男の調査や観察をとおして分かることは、次のようなものです。
- 乳児の言葉は、初めに話し言葉が習得される。
- 話し言葉のもともとの基礎となるものは、「発声の音」である。
- 世界の全ての乳児の発声の仕方は、「息を吐き出す」という仕方にともなってあらわされるものである。
注・三木成夫の解剖学的見地の説明によれば、「人間は、息を吸うための筋肉はある。しかし息を吐くための専用の筋肉はない」、というものだ。すると乳児は、「呼吸のために息を吐くこと」に加えて、「発声」という人間的な意識の獲得という心的な緊張をともなう脳の働き方をおこなっていることになる。
- 乳児の「発声」の仕方は、「母親語」に見るように、全世界に共通して、母親の発声をマネして、記憶している。
- しかし、乳児自身による発声の「音」だけのコミュニケーションの能力は、母親の所属する言語文化圏によって異なる。それは「有声言語」か「無声言語」という言語文化圏に分かれる。
日本、中国は、「有声言語」の文化圏に属する。
欧米人は「無声言語」の文化圏である。
- 「有声言語」の文化圏では、「発声」が「高く、上昇パターン」を示すときに「かわいい」と価値判断する。
ところが、乳児にとっては、この「高く、上昇する発声パターン」の発声は、いったん息を止めて、一気に吐き出すというものだから、「呼吸を止める」という危険きわまる発声の仕方になる。しかし、中国人、日本人は、乳児の「呼吸を止める」という「発声」をことのほか喜び、その発声のチャンスをとらえて「かわいい」と言う。乳児は、母親のこの評価を初めのコミュニケーションの「メディア」として記憶する。
- 乳児は、発声の「メロディタイプ」を母親のコミュニケーションの機能として記憶する。
「上昇タイプ」…要求、呼ぶなど。
「下降タイプ」…抵抗、譲渡など。
「中性タイプ」…自分と物との関わりの中での、物との交渉で用いられる、など。
- 日本人の母親は、「有声言語」の「音素」となる「上昇タイプの発声」をとらえて、「かわいい」という価値意識を乳児に与える。ここからさらに、「赤ちゃんことば」につなげて、母親自身の価値意識に転化させる。それが、「子どもが生まれたら、夫婦は、互いにお父さん、お母さんと呼ぶ」という根拠になっている。
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「和語」(やまとことば)の文型「遠い、近い」のつくられ方 |
ここで分かることは、「日本語の和語」(やまとことば)の文法の原型です。和語(やまとことば)は話し言葉だけで成り立っていました。和語(やまとことば)の発声の仕方の「母親語」と「子どもの発声のメロディタイプ」の生成はこのようなものであるという構造です。「乳児」(子ども)を中心にした家の中の人間関係のつくられ方に、「遠い」「近い」という「話し言葉」の音素の原型が見てとれます。「子ども」は、親にとって、自分にもっとも近い距離の存在です。血縁意識にもとづいて「自分は右手。あなたは左手」という血縁意識そのものが「近い」というメタファーになります。
正高信男は、乳児の発声と発語のメカニズムをよく観察して、そのしくみをとらえて説明しています。
これが「話し言葉」の生成の原型になることは確からしく見えます。
しかし、「言葉」ということに焦点を当てると、正高の説明は不完全です。「視覚」が脳の働き方のソフトウェアのメカニズムのベースになることを理解していないからです。
脳の働き方は、「右脳の認知」「左脳の認識」という自律神経による記憶と表象のしくみでおこなわれています。すると、正高が観察した乳児の「発声」と「発語」は、「視覚のメタファー」でなければなりません。目で見た「共同指示」と「共同注意」から生じた「Y経路の認知」や「X経路の認知」が表象し、この表象された視覚のイメージが「発声の触覚の認知」(ウェルニッケ言語野による認知のことです)の対象となって「発語」に転じています。
日本語(和語)は、目で見た「共同指示」と「共同注意」の「昇り調子のメロディタイプの音」を「共同幻想」として「近い」「遠い」の「音」として記号化してつくられています。この「遠い」か、「近い」かの距離の区別だけが話し言葉の「文法」となりました。そして、現代日本語の中にも、脈々と息づいているのです。すでに、お分りのようにこの日本語の古代原始社会の対人意識が「共同幻想」のメカニズムにもなって、現代の日本人の心の病気を産生しつづけています。 |