日本人の「脳の働かせ方」は、日本語の文法のしくみから見るときわめて特殊であることを理解しましょう |
大野晋(国語学者・学習院大学名誉教授)は、日本語の言葉のひとつひとつの語源を調べて、「原義」を明らかにしています。このことについては、前回の本ゼミで『日本語練習帳』(岩波新書)から要旨をご紹介してお話しました。大野晋は、日本語の性格の定義を次のとおりにのべています。 |
日本語は二重になっている |
① 日本語は、今から千五百年前に漢字、漢語をとりいれて和語(やまとことば)の体系の中に融合させた。この融合にはおよそ千年以上かかった。
② 和語(やまとことば)という古い言語の体系が確立した時代には、まだ日本には、文字はなかった。話し言葉が中心だった。
③ 日本人は、漢字、漢語を輸入したのち、漢字、漢語の言葉の由来は何か?ということを字で書いた。ここで、漢字以前の「和語」(やまとことば)を「平仮名」で書いた。中国から来た概念や言葉は漢字で書いた。
「うつくし」とか「あそぶ」などは平仮名で書く「和語」(やまとことば)だ。日本の古くからあった言葉だ。「観念」とか「愛情」などは漢字で書く漢語である。漢語は、現代日本語の単語の半分を占めている。
「うつくし」を「美し」、「あそぶ」を「遊ぶ」と和語(やまとことば)に融合させたのは平安朝以後である。 |
日本語の文法のしくみ |
④ 日本語(和語)では、話し手のいる所を「コ」であらわす。相手と自分が共に見ている、共に知っている所、物を「ソ」であらわす。遠くの所、物を指すときは「ア」または「カ」であらわす。
分からない所、物を指すときは「ド」を用いる。これらの「音」の言葉を使い、その下に方向や場所を表す接尾語の「コ」とか「チ」をつけて表す。
これが日本語の文法の体系をなしている。日本語の文法の骨格は、「近い」「中程度の近さ」(目の前)、「遠い」「不在」など、話し手からの距離で区別されている。
⑤ 日本語の「三人称代名詞」は、この「近い、遠い、中程度の近さ」の距離をはっきりと反映している。
話し手が、自分の領域内の存在を扱う人は「こいつ」「こやつ」と「コ系」で表現する。
すでに話題に出てきて、話し手も聞き手も知っている人は「そいつ」「そやつ」と「ソ系」で表現する。
話し手から遠い人は「あれ」「あいつ」「かれ」「かのじょ」と「ア系」「カ系」で表現する。
⑥ 日本語の「二人称代名詞」は「相手を目の前にある存在」として扱うものだ。人物そのものではなく、距離関係だけをあらわす。
(注・「意思をもつ人格の主体」という人間として認識しているのではない)。
「こちのひと」というのが古い形の言い方である。「自分のいる方の人」ということだ。妻が夫を呼ぶ言い方だ。
「おまえ」は「大前」に当る。
神樣の前が「大前」で、「おまえ」という呼び方になった。本来は、相手を崇(あが)めて使っていた。「おまえ」は、平安時代からあった。江戸時代の前期までは高い敬意を表していた。江戸時代の末期になると、同輩に使われて、親しむ気持ちから相手を低く扱う気配がつよく加わった。
日本語の「おまえ」は、相手を低く扱う気分と、親しむ気持ちとが混在している。
その理由は、漢字、漢語にある。
中国は、人間を「上下」という上下関係でとらえる考え方を反映している。
「貴様」という言葉は、初めは相手を高く扱う言葉だった。日本で、親しい間で使われるうちに敬意が薄れてきて、江戸時代の末期になると相手を低い位置にある関係として扱うようになった。 |
日本語の漢字は、意味が曖昧である |
⑦ 日本語の「漢字」は「二字熟語」が多い。二字で一語だと思っている人もいるが、多くの場合「二字熟語」は一字一字の組み合わせになっている。
現在ではおよそ二○○○字が常用だ。だから、一字一字をよく知っておくと漢語の意味はよく分かることが多い。
ただ、二字に分けてもよく分からない単語もある。例えば、「経済」とか「哲学」「文明」などだ。こういう単語はたいていヨーロッパ語の翻訳語だ。この場合は英和辞典を見るか、百科項目についての解説のくわしい中型、大型の国語辞典を見て、その内容を理解するといい。
経済はeconomyの訳語だ。
eco-(家の)-nomy(管理)から生じた言葉だ。同じように「哲学」はphilosophyの訳だ。
philo-(愛する)-sophy(智)だから、哲学とは「智を愛すること」が意味だ。
「文明」はcivilizationの訳語だ。civ(都市)を語源とする
civil(都市の)-ize(…化する)の複合になったから、「生活が都市化すること」という意味になる。
このように正しく意味を分かることができる。
⑧ 漢字の意味の調べ方について。
辞書を見ると「意味」と「意義」について次のように書いてある。
「意味」①その言葉を表す内容。②表現や行為のもつ価値。
「意義」①その言葉によって表される内容。②行為、表現、物事の、それが行われ、また、存在するにふさわしい価値。
こういう場合の考え方、答えを求めるたどり方は、「その字を含む多くの言葉を並べてみること」だ。
二字の熟語は、上と下の字とに分けて一字、一字をよく見ることだ。
「意味」と「意義」では、「意」は共通だ。「味」と「義」の違いを見る。
「味」を使った熟語は「味覚」「興味」「趣味」「情味」「趣味」「滋味」などだ。「風邪気味」、「気味が悪い」などだ。「味」とは「口の中に生じる、かすかでほのかな感覚」という内容になる。
「義」は、「正義」「仁義」「主義」「大義」「道義」「義務」「義理」、「義母」「義父」のように使う。
実際の父、血縁の母ではなくて「社会的な関係」のことだ。
社会的に価値がある、社会的によいことという内容になる。
すると、「意味」とは、個人のひとりひとりが舌で味わうようにとらえて知覚されている内容ということになる。
「意義」とは、ひとりひとりの個人にとってだけの価値ではなく、「3人以上の人間」に合意されて了解されている価値のこと、という内容になる。 |
日本語で「意味」を正確に表現するための訓練の仕方 |
■ここまで、大野晋の説明にいくらかの補強を加えて、日本語の特性の要点をご紹介しました。ここで分かることは、日本語は、「和語」(やまとことば)をベースにしている文法と、漢字・漢語による言葉の「意味」(原義)の表現による二つの表現の形式で二重に成り立っているということです。日本語の文法の体系をなしている「和語」(やまとことば)は、「対象」が人間である場合、その相手の人物なり人間というものを正確にとらえることはできないということが大きな特性になっています。同じように漢字・漢語も、人間をとらえる表現のときは、しばしば人間を「上か下か」というように「上下関係」で認知する傾向をもつことが分かります。さらに、「漢字・漢語」は、二字や四字で組み合わされて熟語になっているケースが多いので、その言葉の意味(原義)は具体性に欠けることが多いといわれています。文脈という状況や場面に漢字・漢語を置き換えても、そのリアルな状況をあらわすまでにはまだ距離があるということが説明されています。
このことは、日本人は、漢字・漢語を学習しても、その漢字や漢語がどういう意味をイメージするのか?について分かるまでに相当程度の訓練を必要とするということです。
まして、大野晋のいうように二つか四つの漢字の熟語を一字ずつ分解して、一つ一つの漢字の「原義」を調べるという学習をおこなわない場合、げんみつには「意味不明の言葉」を表現しているといえましょう。 |
言葉を生成する脳のメカニズムのアウトライン |
なぜこうなるのでしょうか?それは脳の働き方に起因するのです。
漢字をつくった中国人も、漢字を輸入して「和語」(やまとことば)に融合させた日本人も、脳の働き方は「X経路」が中心になっていることが原因です。
「X経路」とは、「眼」の視神経の回路のことです。
人間の脳は、左脳と右脳の両方で「言葉」を生成します。
「左脳」は「認識」という記憶や学習をつかさどります。
この「認識」という分かり方と記憶をおこなうのが「X経路」です。「X経路」は自律神経の副交感神経のことです。「首から上」の副交感神経は「A6神経」と呼ばれています。ノルアドレナリンという猛毒のホルモンを分泌して伝達物質に用いています。
アセチルコリンやセロトニンを分泌して、緊張と覚醒を起こして記憶にたずさわる中枢神経群を活動させます。
「左脳」はデジタル脳です。秒速100メートルで情報伝達をおこないます。その情報はどこから来るのかというと、「右脳」です。
「右脳」はアナログ脳です。
ホルモン伝導という方法で情報を伝えます。
ちょうど「バケツリレー」のようなイメージです。この「右脳」は「Y経路」が支配しています。自律神経の交感神経が運営しています。「首から上」の交感神経は「A10神経」と「A9神経」と呼ばれています。いずれも、快感ホルモンのドーパミンを伝達物質に用いています。「脳幹」から出発します。「A10神経」は前頭葉に分布しています。「A9神経」は、「大脳辺縁系」に分布しています。
「A10神経」の役割りは、前頭葉というディスプレーに鮮明なイメージが表象したときにドーパミンを分泌させること、です。「A9神経」の役割りは、大脳辺縁系に集合している「感情」や「欲求」を記憶している中枢神経がイメージを前頭葉に表象させたとき、感情や欲求を記憶している中枢神経に直接ドーパミンを分泌させることです。
「右脳」は、「A9神経」が説明するように、生理的身体の五官覚の知覚情報を集めるという役割をになっています。
「左脳」は、この「右脳」が集めた知覚情報をとらえて「認識」します。
「言葉」の生成も、このようなメカニズムでおこなわれます。脳で「言葉」を生成するのは「ブローカー言語野」です。
すると「ブローカー言語野」も「X経路」と「Y経路」の機能をもつことが分かります。
- 左脳のブローカー言語野…「X経路」がこまかいいりくみや形象性を認識する。
(文字の字形や発音の記号的な約束ごとのこと)。
- 右脳のブローカー言語野…「X経路」が対象となることのこまかいいりくみや形象性、色を認知する。
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脳は、行動のために言葉を生成する |
ここで、言葉とは、いったい何のために生成されるのか?を思い起こす必要があります。「行動するため」が、言葉の価値です。「水を飲む」「食物を摂る」「性をする」というのが、「行動」の基本型です。人間は、生まれてからすぐに、「行動の能力」として「言葉」を生成しはじめています。
「行動」ということを基準に立てると、「X経路」の機能は、すでに「行動すること」が終了しているときの「認知」(右脳)「認識」(左脳)であることが分かります。そこで、「ブローカー言語野」にも「これから行動する」という機能が与えられています。
それが「Y経路」です。次のようにです。
- 左脳のブローカー言語野…「Y経路」が、物の動きの位置と動きのパターンを認識する。(文字と文字のつながりや相互関係という約束ごとのこと)。
- 右脳のブローカー言語野…「Y経路」が、物の動きの位置と、動きのパターンを認知する。
この「Y経路」の認知が「イメージ」となって、右脳の前頭葉に表象(ひょうしょう)する。
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Y経路は、言葉をどのように生成するか |
■ご一緒に考えたいのは、日本語の「和語」(やまとことば)と漢字・漢語は、ブローカー言語野「Y経路」に、どのようにとらえられて、そして表象(ひょうしょう)されるのか?ということです。
瀬戸賢一は『メタファー思考』(講談社現代新書)で次のように書いています。
① 「目玉焼き」がメタファーであるといえば驚く人がいるかもしれない。
もちろん、目玉焼きそのものではなく、「目玉焼き」という表現の方である。
② メタファーとは「見立て」と考えると分かりやすい。「見立て」をさらに言い換えれば、「…を見る」(see)に対する「…と見る」(see as)ものの見方のことだ。
「A」を「B」と見るとき、「B」にメタファーが生まれる。対象「A」を言いあらわすメタファー表現「B」は、言葉にとって必須の表現手段となる。
「目玉焼き」にはもともと文字どおりの表現はなかったのである。
③ メタファーは、私たちの「言語」「認識」「行動」に共通する大切な思考手段である。 |
「視覚」を中心とするメタファーの生成 |
④ 「視覚」は、五官(五官覚)の中で他の感覚(耳、手、舌、鼻、皮ふなど)を圧倒する力をもっている。
このことは、自明といってよい。処理できる情報量が段違いなのである。
なぜだろうか。「見ること」によって確かな知識が得られ、正しい判断がくだせるからである。「百聞は一見に如(し)かず」といい「見ると聞くとは大違い」という。
「見る」は、眼球によって外部の光をとらえることだけを意味するのではない。この「一次的知覚」を「二次的な認識」に高めることを主要な内容としている。
この知覚と認識の間で、「見る」は豊かな「意味の広がり」を示す。
⑤ 「見ること」は「知ること」である。「見る」という知覚が「知る」という認識と融合している。
「百聞は一見に如(し)かず」は、英語ではSeeing is believingだ。
「見る」の語義について『広辞苑』は、「自分の目で実際に確かめる。転じて、自分の判断で処理する」ととらえている。この「転じて」がメタファーの合図になる。
「メタファー」の語源は、「転じる」だ。分解すれば「メタ」(向こうに)「ファー」(運ぶ)である。
「見る」は、転じて「知る」になる。
『広辞苑』の「見る」の要点は、次のとおりだ。
(一)目にとめて内容を知る。
(二)判断する。
(三)物事を調べておこなう。
(四)自ら経験する。
(一)の「見る」…「野球を見る」など。
ゲームとしての内容を知っていて「知る」という行動のことだ。
(二)の「見る」…「手相を見る」など。
目で見て経過を知って分かる、という行動のことだ。
(三)の「見る」…「様子を目で見て、世話をする」という行動のことだ。
英語のwatchやlook afterと対応する。
(四)の「見る」…「ばかを見る」「憂き目を見る」などだ。自分の経験をふりかえったとき、状況のひとつの場面が絵画的に思い浮ぶことだ。 |
英語のメタファーの特性は、行動にとって具体的である |
⑥ 「見る」に相当する英語のケース
1.目で見る…see
2.ちらりと見る…glance
3.じっと見る…gaze
4.じろじろ見る…stare
5.(驚いて)口をぽかんとあけて見る…gaze
6.(穴から)こっそりとのぞき見る…peep
7.眺(なが)める…look
8.ぼんやり見えてくる…loom
9.注意して見る…watch
10.見ること、見えるもの…view
⑦ 「見る」から転じた日本語と英語のメタファーの例
1.見上げる(尊敬する)…look up to, respect
2.見下げる(軽蔑する)…look down on, despise
3.視点…point of view, viewpoint
4.見守る…keep one's eyes open
5.よそ見をする…look away
6.目を据える…keep an eye on
7.目を離さない(見守ることと同じ)…not take one's eye off
8.目障り…an eyesore
9.目覚ましい…remarkable
10.目指す…aim at |
メタファーとは「意味」のことである |
■「見る」という言葉をモデルにして「言葉の意味」とはどのようなものか?をご一緒に考えてみました。
日本語の「見る」という言葉にたいして、英語の言葉は約10語に細分化されます。これは「見る」という行動の仕方がこまかく区別されているということです。言葉の「意味」とはこの「行動の仕方」のことをいいます。
「見る」から転じたメタファーも、同じような成り立ち方をしていることがお分りでしょう。
日本語のメタファーと英語の言葉のメタファーの場合にも同じしくみがみてとれます。
日本語のメタファーも、漢字、漢語と同じように、さらに行動の仕方の場面に置き換えるまでには、英語のメタファーの示す行動の仕方までたどらなければなりません。このことは、日本語は、「人間の行動はどうするのがいいのか」「対象となるものは、どのようなしくみになっているのか?」という内容の表現の完成までにどこまでも説明をつづけなければならないということを示しています。
このような日本語の特性について言語社会学者の鈴木孝夫は次のようにのべています。 |
日本語は「近い所」だけを表すから言葉の数は少ない |
① 人間の言語は、文法、語彙(ごい)などの点で思いもよらぬ多様性を示す。利用する「音声」の種類や使い方でも、目を見張るほどの変化を示す。
② 音韻(音素)の総数は、日本語は23である。英語は45。
ドイツ語は39、フランス語は36だ。
③ 日本語では、「音節」を「子音」(しおん)で終わることができない。
例えば、kで始まる「か行」の「単音節」は「か」(蚊、可)、「き」(黄、木)、「く」(九、苦)、「け」(華)、「こ」(子、粉)ぐらいしかない。
④ この制限に加えて、日本語では、英語をはじめとするヨーロッパ語のように「語頭」つまり言葉の始まりで「子音」(しおん)を二つ、三つと重ねることも許されない。そのため、英語で「一音節のstreet」のような一気に発音できる語は、日本語におきかえられると「ストリート」と五音節の間延びした言葉になる。
⑤ ドイツ語は、母音(ぼいん)と子音(しおん)を組み合わせて単音節をつくるのに「23通り」のやり方が可能になる。
英語の場合は「19通り」だ。
⑥ 欧米語では、母音(ぼいん)と子音(しおん)にさまざまな違った音韻が入ることで、驚くべき数の「単音節語」ができる。
英語の場合は「三千近く」もある。
⑦ 日本語の「音節」の種類はたったの二つだ。母音だけか、子音に母音が一つついたものしかない。だから「単音節」の語はとても少ない。「め」の場合でいうと「目」「芽」「女」のような同音のいくつかの言葉になる。
「音声」だけで発語すると「目」「芽」「女」のどの「め」のことか分からない。だから「メス犬」「乙女」のように合成語や複合語にして違いをあらわす。日本語は、純粋の「単音節語」としては不安定なのである。
(『新潮45』2008・12月号ラジオ型言語とテレビ型言語(二)より) |
日本語の文法は、助詞の「は」と「が」「の」が中心になっている |
■このような日本語の特性は、日本語が「和語」(やまとことば)で成り立っていることに由来しています。和語(やまとことば)の特性について大野晋は、前回と、本ゼミの初めにご紹介したとおりに説明しています。もういちど要点を整理してみましょう。
① 「うつくし」とか「あそぶ」など平仮名で書くのはヤマトコトバだ。
古くから日本にあった言葉である。
② 中国から「観念」とか「愛情」など漢字で書く漢語が輸入された。漢語は現代日本の単語の半分を占めている。
「うつくし」を「美し」、「あそぶ」を「遊ぶ」と漢字で書いてあらわすようになった。平安朝以後のことだ。
③ 日本語の文法は、ヤマトコトバをベースにして成り立っている。
「文法」の基本をなすのは、助詞の「は」と「が」だ。
古代では、「が」は「我が子」「君が代」のように「自分自身」か「自分自身に近いもの」の下に付けられた。
「の」は「大君の命(みこと)」「天の川」のように「遠くにある外のもの」につけて区別していた。
「は」は、動作の「主」をいわず、「場の設定」「情報」を伝える。
助詞「は」のパターン例。
パターン1…「彼は寝る」(予約)
パターン2…「私は、猫は嫌い」(対比)
パターン3…「私は、11時には寝ない」(限度)
パターン4…「美しくは見えた」(再問題化)
■大野晋の国語学の研究は日本語の特性をよく説明しています。
「文章」に書きあらわすと、「文章の最後」になって「行動」の内容がようやく明らかになることが最大の特徴です。
「行動」とは、手足が動くことだけではなく、「見る」「聞く」などの五官覚の働きや「思考すること」も含みます。見たり、感じたり、意識して思念することも「行動のカテゴリー」に含まれます。
助詞「が」が示すように、「主語」に相当する「題目」の下に、どこまでも「名詞」がつづけられるというところに日本語の「文法」の特性があります。
これは、日本人にとって「主体」となる「自己」にたいして、対象は、「自分の家の中の近いものか」「自分の家の外にある遠いものか」ととらえられていることに由来しています。助詞の「が」とか「の」が多用される文章や話し言葉は、「近い距離のもの」としてとらえようとする意識が強いということになります。
助詞の「は」を用いる場合、文の最後までのセンテンスが長いときは、「対象」を「成り行きまかせにしたい」と思っているか「あまり近づきたくない」と思っているかのいずれかになるでしょう。「文章」が不明確か、主旨がはっきりしない曖昧になる理由です。
したがって、日本語で明確な「文章」を書いて主旨をしっかり伝えようと考えるならば、助詞の「は」の下の文を極力短くするか、「名詞」や「名詞に相当する語句」を少なくすることが重要です。また、「行動」とは、どういうことか?を明らかにする必要があります。
「明らかにする」とは、「3人以上の人間」と合意が可能な内容の「行動の仕方」のことです。
さらに、「…である」「…となる」「…になる」のように、「対象」を客観的に説明する「距離のある説明中心の表現」が、自らの行動を止めず、しかも「主体意思」を確立する表現になります。 |
アジア型の共同幻想と言葉の生成のメカニズム |
日本人の用いる日本語は、対象と自分との距離が近いことを求める「文法」で成り立っています。これはどのような脳の働き方からつくり出されたものでしょうか。
無藤隆は、『赤ん坊から見た世界・言語以前の光景』(講談社現代新書)の中で次のように書いています。
① ボールビーが提唱した「愛着」について、アメリカ・コロラド大学のヒップという研究者はこうのべる。
「愛着」は、「自己」および「他者」を区別する。「ME」(ミー。自己について知られている内容)のことだ。また「I」(アイ)も区別する。
前者は「客体的な自分」だ。
後者は「主体的な自分」だ。
② 「愛着」は、母親と乳児の間の関係のシステムのことだ。その内容は次のような、「ストレンジ・シチュエーション」という方法で観察される。 |
「愛着」を測定するストレンジ・シチュエーションの結果の乳児のタイプ |
Bタイプ…親が戻ってきたときにリラックスした喜びを示す。安定型だ。
Aタイプ…親との間でとくに親密でパーソナルな行動を示さない。
Cタイプ…アンビバレントな行動を示し、抵抗し、そして依存的である。
Dタイプ…不適応な行動類型である。親に敵意を向ける。
③ CタイプとDタイプの乳児は「同調」と「同期」の行動が「うつ的」である。
母親がうつ的な状態であった。乳児は、成長にともなって仲間関係、問題解決力に問題が生じる。成人してからの恋人関係、夫婦関係にも同様の傾向があらわれる。 |
愛着の欠落は「Y経路」のメタファーをつくれない |
■ここで、母と乳児の「愛着」の中の「同調」と「同期」について、もういちど思い出してみましょう。
「同期」とは、母親か乳児が、相手の行動に合わせて自分も動く、ということです。「同調」とは、母親か乳児が、相手の表情で自分の行動の価値を認識することです。
「うつ的な母親」の乳児は、この「同調」と「同期」が不安定である、ということでした。
すると、うつ的な母親の乳児の脳の働き方には何が起こるのでしょうか。「うつの母親」とは、必ずしもうつ病のことを意味しません。行動のための葛藤の能力がない母親のことです。「分かりません」という言葉が口グセだったり、「そんなことやってもどうせうまくいかないよ」といった悲観的な気持ちを言葉にあらわす母親のことです。いつも、こころにある不満を根拠にして逃避のイメージを思い浮べて、現在のじぶんの現実に否定の目を向ける母親のことです。このような母親の乳児は「ハイハイをして動き出す」とか「あれはなあに?」という「共同指示」の視線や指さしを向けることはありません。すると、瀬戸賢一が「メタファー」のメカニズムで説明している「見る」ことは「知ることだ」というY経路の働きがきわめて消極的になるでしょう。「見ること」は「知ることだ」という行動のメカニズムが記憶されません。この乳児は、「遠くの対象」をどのように「見る」のでしょうか。「遠くの対象」の最も典型的なものは「母親の顔、表情」です。うつの母親は、暗く憂うつな表情を見せます。乳児は、この母親の表情を見て、記憶します。
「遠くのものは、脅威だ」「遠くのものは見たくない、見ることを避ける」という「Y経路」の認知を認識するのです。遠くのものは「曖昧」にしか認識されません。
「近いもの」とは、何でしょうか。
やはり「うつの母親の顔、表情」です。
近いものは、親しみの対象です。
同時に軽んじたり、軽視したり、蔑視したりする対象です。
「うつの母親の顔の暗い陰りや不快そうな表情」をそのように、X経路で認知して認識します。
日本語の「和語」(やまとことば)では、「こち」「ここ」が近い位置をあらわす言葉です。ここに「おまえ」「てめえ」「あんた」と、相手を悪感情による表現の対象にする仕方がとりこまれた起源です。
大野晋によれば、日本語の文法のベースとなっている「和語」(やまとことば)は、遠くのものは「成り行きにまかせるしかないものだ」という距離意識で成り立っています。吉本隆明氏の「アジア的なるもの」の説明では、「アジアは、ものごとを全て自然と同じようにとらえる」ということでした。すると漢字、漢語をつくり出した中国も、やはり、「X経路」から出発して言葉をつくったことになります。漢字の熟語と文法体系は、このX経路の行動が止まっている状態を克服するために、Y経路のゾーンで再構築されたものです。しかし、日本語は、和語(やまとことば)の文法で、遠いか、近いかだけに「行動の基準」を立ててゆるぎなく反復させてきました。言葉や文の表現が曖昧になり、「行動のために秩序をつくる言葉」が成り立ちにくい原因は、「うつの母親」による「愛着」の貧困に原因があったのです。 |
X経路中心の人生はどうなるのか? |
NHKテレビで、派遣社員など非正規社員の雇用問題のドキュメントが放映されていました。雇用の契約を打ち切られた人が、再就職の活動をしていました。
取材されたその男性は、履歴書の「志望の動機」を書くように指導されていました。ハローワークの担当者の指摘です。派遣の仕事に従事する中で、「そんなことは一度も求められたことはなかった」と発言していました。自分のX経路で憶えた言葉だけが人生の基準になっていたのです。もともと曖昧だった「Y経路」の言葉が完全に跡形も無くなったということの典型を示す事例です。 |