ポルソナーレの脳の働き方についての解明は、世界のどの位置にあるのか |
平成20年1月14日の日経の「経済教室」欄に、阪大教授の大竹文雄が「エコノミクストレンド・脳の特性から経済を解明」というテーマでリポートを書いています。
ノーベル賞を受賞したアメリカの学者や最新の学者の「脳の働き方」についての研究の紹介になっています。お読みになられた方も多いと思います。
ポイントとなるところの要旨を整理してご紹介します。
- 人間の意思決定の仕組みを、脳科学の手法を用いて解明する学際的な研究が、近年、盛んになっている。
- 人間は、合理的に行動するものだということを前提にしてきたこれまでの経済学の枠組みを広げている。教育の経済学の分野でも成果をあげている例もある。今後、「制度設計」(メカニズムデザイン)に活かされる可能性もある。
- 近年、経済学者が自然科学の専門誌に論文を書くとか、脳科学者が経済の専門誌に論文を発表することが増えている。
「ニューロエコノミクス」(神経経済学)という学際的な分野が急速に発達しているためである。脳の発達の仕組みと、「教育」との関係に関する研究も進んでいる。
- 「神経経済学」(ニューロエコノミクス)とは、「行動」だけでは分からない人間の意思の決定の仕方のメカニズムを、脳科学の手法を用いて明らかにする研究領域のことだ。今までは「ブラックボックス」としてきた人間の脳の意思の決定の仕組みのプロセスを、脳神経学が明らかにした。それは、「fMRI」(機能的磁気共鳴画像)を用いて、脳のどの領域が働いているのかが分かるのだ。
- これまでの経済学は、「人間というものは合理的に行動するものだ」ということを前提にしてきた。
しかし、人間は、必ずしも合理的には行動しない。非合理的にも行動する。これもまた「脳の働き方の特性」にもとづいている。
非合理性とは、「将来よりも、今だけの利益を極端に重視して行動する」とか「利益よりも自分の今の生(なま)の感情を重視して行動する」といったことだ。
- アメリカのスタンフォード大学助教授のマクルークらは、「なぜ、人は、将来必ず後悔するような意思決定をおこなうのか?」を「fMRI」によって調べた。
すると「目先の利益」が提示されて意思決定する人は、大脳辺縁系の線状体よりも下側の部分や前頭葉前野の内側が活動している。ドーパミンが分泌して快感報酬を受ける。
一方、目先の利益にとらわれずに、高度の認知機能や数値、計算にかかわる人は、前頭葉前野の上部や頭頂葉が活動している。
だが、アメリカ・ニューヨーク大学のグリムチャー教授らの研究では、マクルークらの研究は必ずしも確認されていない。
- アメリカ・アリゾナ大学のサンフェイ教授らの研究がある。彼らは、「最後通告ゲーム」と呼ばれる実験による脳の働き方を研究した。ゲームの内容はこうだ。
AさんとBさんが一万円を分ける。
Aさんが「分け方」を提案する。
Bさんが、その「分け方」を拒否すれば一万円そのものがなくなる。だが、Bさんが受け容れれば、「Aさんの提案の分け方」のとおりに配分されるというものだ。何も受け取らないよりは、受け取った方がよい、という内容だ。一円以上の提案をすればBさんは、受け取るはずだ。
実験結果はどうか。配分提案が2割以下なら「拒否される」のだ。
「fMRI」の脳の血流観察では「大脳を前後に分ける溝の奥の位置の部位」(島皮質・大脳辺縁系の上部の辺り、線状体が所在する)が活性化すると、「提案の拒否」が起こる。痛み、不快、嫌悪といった情動が生じる部位だ。
だが、一方、「前頭葉前野の上部」(頭頂葉につながっている部位)が活性化すると、「提案は受け容れられている」という結果になる。
- アメリカ・シカゴ大学のヘックマン教授(二○○○年にノーベル経済学賞受賞)らの研究がある。
彼は、神経生物学者のクヌーズセン(アメリカ・スタンフォード大学教授)と共同論文を書いた。二○○六年のアメリカ科学アカデミー紀要誌だ。
「恵まれない子どもたちの幼少期の境遇を改善することだ」、というものだ。
3歳から4歳のアフリカ系アメリカ人の恵まれない子どもに、学校の午前中と午後からの家庭訪問で「教育的介入」をおこなう。
2年間おこなった。
14歳になった時、「同じような境遇にある子どもたち」と比較した。
「介入実験」をおこなった子どもらのグループは、「高校卒業の比率」「収入の所得」「持家の比率」が高い。彼らは高い学習意欲をもちつづけた。
いわば「社会の上流階層」の意識をもって生活するようになった、というものだ。
これは「ペリー就学前計画」という「教育支援」だ。
投資収益は、15%から17%という非常に高いものになった。
さらに、「生後4ヵ月」からの「教育支援」の介入をおこなった「別のグループ」の「介入実験」では、知能指数(IQ)も高まっている。
- ヘックマン、クヌーズセンらは、「ペリー就学前計画」(教育支援)は、「脳の発達」にかんする研究成果と対応すると指摘する。脳の認知能力、非認知能力の発達には「臨界期」がある、というものだ。
親の「所得」や「社会のどの位置に自分はいるか?という階層意識」によって、子どもの数学の学力差は6歳時点で存在する。
「第二外国語の発音」は、12才以下で学ばないと不完全になる。
「就学以前の家庭の環境」が悪いと、その子どもが「学校教育の段階」になってから「教育支援」の援助をしても効果がない。
- アメリカの「発達神経学」の研究によれば、「再チャレンジ」は重要だが、しかしその成功の素地は「幼少期」に決まってしまうということだ。
「幼少期」に育った家庭環境がその子どものその後の「学力」と「収入・所得」に決定的に大きな影響を与えることは、学問的に明らかにされている。
こうした学際的な研究は始まったばかりで、まだ確定的な結果が得られているわけではない。しかし、急速に発達している分野であることも事実だ。
脳の発達過程が明らかになれば、その発達の仕組みを組み入れた効率的な教育投資や貧困対策の仕組みを「制度設計」として考えることも必要になるだろう。
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世界の「脳科学の研究」はハードウェアの解釈に終始しています |
阪大教授の大竹文雄が紹介しているアメリカの研究者らの「脳の働き方」についての内容は、実際にはどういうものか?は確かめていませんので、間接的な伝聞証拠ということになります。しかし、大竹文雄の記述を前提にしていえば、ここでのべられていることも「間接的な伝聞証拠」による脳の働き方が語られています。「fMRI」が脳の働き方のうち、ハードウェアしか「画像」にとらえないからです。
少なくとも「意思決定をおこなう脳」というからには、その「意思」とはどういうものか?を「脳の働き方」のそれ自体として説明されなければなりません。
「意思決定」とは何のことでしょうか?「行動するか、行動しないか」のことです。「行動」とは、必ずしも「手足を動かすこと」だけに限定されるものではありません。契約をしたり、何ごとかに合意することや、同意表明をして関係を継続することも「行動」に含まれます。ひとくちにいうと「未来に向かって身体が活動しつづけること」と定義することができます。「行動」の本質は、「自分にとって楽しいことがもたらされる」か、「自分にとって得することが得られるか」のどちらか、もしくは両方の実現のことでした。
すると、「脳の働き方のメカニズム」なり「脳の発達のソフトウェアとしてのシステム」は、「行動」をつくり出すメカニズム、もしくはソフトウェアとはどういうものか?が説明されなければならないのです。アメリカのノーベル賞受賞者の学者らは、「短期利益のための行動は、大脳辺縁系が活性化している。脳の快感報酬のドーパミンが分泌している」、「長期利益のための行動は、頭頂葉と前頭葉の上部が活性化している」と語っているにすぎません。また、「最後通告ゲーム」の実験では、「自分が欲しい」と決めている価値判断を満たさない他者からの提案には、生の感情や欲求を記憶してこれを表象(ひょうしょう)させる大脳辺縁系の線状体(せんじょうたい)が拒絶の感情を表象(ひょうしょう)させるようだ、と観察されているにとどまっています。
「修学前の子どもへの教育の支援」では、「脳のソフトウェア」のどういうメカニズムが「社会の上流意識の学習」とどのような「行動」をつくり出すのか?が説明されていません。
「幼児期からの望ましい教育がない場合、その人の意識は下流意識とその行動をつくり出す」ということは妥当な見解です。しかし、「臨界期」を過ぎると「教育支援をおこなっても効果はない」というのは、「脳の働き方」のメカニズムなりシステムが解明されていないことによる「対策の喪失」というべきものです。
ポルソナーレの本ゼミが解明している「脳の働き方のソフトウェアのメカニズム」と対比させるために、分かりやすい事例をご紹介します。
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『下流社会』(新たな階層集団の出現)
(三浦展(みうらあつし)マーケティング・アナリスト、光文社新書より、リライト・再構成) |
日本人の脳の働き方は「行動停止」を深化させています |
- 「下流」とは、単に所得が低いということではない。コミュニケーション能力、生活能力、働く意欲、学ぶ意欲、消費意欲、投資意欲、つまり総じて人生への意欲が低い意識のことをいう。その結果として所得が上がらず、未婚、未恋愛のままである確率も高い。そして彼らの中には、だらだら歩き、だらだら生きている者も少なくない。その方が楽だからだ。
- 次の設問に答えて□の中にチェックを入れてみよう。
「半分以上」が該当すれば下流「的」である。
- □1・収入が年齢の10倍未満だ。
- □2・その日その日を気楽に生きたいと思う。
- □3・自分らしく生きるのがよいと思う。
- □4・好きなことだけをして暮らして生きたい。
- □5・めんどくさがり、だらしがない、外に出るのがめんどう。
- □6・ひとりでいるのが好きだ。
- □7・地味で目立たない「性格」だ。
- □8・ファッションは自分流である。
- □9・食べることがめんどくさいと思うことがある。
- □10・お菓子、ファーストフードをよく食べる。
- □11・一日中、家でテレビゲーム、インターネットをしてすごすことがよくある。
- □12・未婚である(男性33歳以上、女性30歳以上の方)
- 日本では、階層格差が広がって いる。
所得格差が広がり、学力格差が広がり、結果「階層格差」が固定化し、流動性を失っている。
日本が、今までのような「中流社会」から「下流社会」に向かうということだ。このことは、「中」が減って、「上」と「下」に二極化しているということだ。「中」が「下流化」している。ここでいう「下流」は「下層」ではない。「下層」とは、食うや食わずの困窮生活のイメージだ。
- 「下流社会」とはどんな社会か?単に所得が低いということではない。「コミュニケーション能力」「生活能力」「働く意欲」「学ぶ意欲」「自分の向上のための投資意欲」「消費意欲」つまり総じて人生への意欲が低い。すると当然のごとく所得が上がらず、恋愛もできず、未婚のままの確率も高い。
彼らはだらだら歩き、だらだら生きている。その方が楽だからだ。
- これからの日本は、これまでとは違ってくる。これまでは、社会全体が上昇していた。だから、個人も上昇意欲がなくてもいつの間にか上昇できていた。しかし社会全体が上昇を止めたら、上昇する意欲と能力をもつ人間だけが上昇していく。それが無い者は下降していく。極端にいえばわずかのホリエモンと大量のフリーター、失業者、無業者がいる、そんな社会になっていく。
- 上流と下流の階層意識を分ける「ものの考え方」の違い。
下流の傾向…「個性、自分らしさ、自立、自己実現」が多い。仕事においても「自分らしく働こうとする」が、しかし、これで高収入につながることはなく低収入になり、生活水準が低下する、という悪いスパイラルにはまっている。
また「自分は人よりも優れたところがある」という「自己能力感」がある人は「下流」になる。なぜかというと「あくせくして勉強してよい大学、よい会社に入っても将来の生活にたいした違いがあるわけではない」と考えるからだ。
すると、「趣味」や「サブカルチャー」に見果てぬ夢を見つづけている。
能力が無いのに夢だけを見ている、という「下流生活」におちいっていく。
フリーター、ニートに終わる危険性を抱えている。
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「ジニ係数」が証明する脳の働き方の病理のリアルな実体 |
読売新聞社などをスポンサーにして日本人の消費行動のマーケッティング・リサーチを何年もつづけてきた結果のリポートをご紹介しました。「消費動向」からとらえた「日本の階層格差」の実体が描写されています。
年間4万人近くの自殺者、若い世代で10%の失業率の状態を生み出しているのが「下流社会層」である、という説明です。「下流」とは「所得の低下」の事実のことではなくて、「階層意識」のことです。「本を読まない」「新聞を読まない」「一人で部屋に閉じこもってネットやケータイ、ゲームに浸っている」「運動はしない」「内面にカーニバル状態をもっていて歌ったりダンスをしたりして一人で幸福状態の中で充足している」、というのが「下流意識」という階層意識の特徴だと分析しています。
この階層意識の根拠は何でしょうか。
「ジニ係数」といわれる所得の分配率が判断の基準になっています。
ある国の年間の生産とその結果の収益が、年齢、性別、所帯ごとにどのような比率で分配されているか?を調べるのが「ジニ係数」です。日本では厚生労働省がおこなっています。この所得を得た一人一人に質問して「ものの考え方」とか「生活の仕方」とか、「生活状態」の調査をおこなったのが三浦展(あつし)の『下流社会』です。
イギリスでは「階層社会」が完成していて、ほぼ完成に近づいているのがアメリカです。「中流」という階層がなくなって「上流」と「下流」とにはっきり分かれているというのが「完成」の意味です。
アメリカにつづいているのが「日本」です。結果的に、「上流」と「下流」とでは「所得」も「生活水準」も大きく違ってきます。
アメリカでは、「下流階層」が「下層」という「食べることにもこと欠く」という事態にも進んでいるので、打開策が研究されています。その打開策の一つが「脳の働きから下流化の階層意識を変える」というものです。ノーベル賞経済学賞は、この「下流階層」を一人でも多く「上流階層に引き上げること」を狙いと目的にして与えられているといえます。「子どもの頃からの学力の差」が「脳の働き」の中にシステムとしてデザイン(設計)されている、14歳くらいになってから「教育の支援をしてももう遅い」というのが脳の働きを「fMRI」で観察してノーベル賞経済学賞を受賞したアメリカ人の学者らの公表した見解です。
「中流」という階層意識がなくなって「中流」が「下流」に進んでいくものとは何でしょうか。「中流」が「上流」に変わっていくことはない、というのが日本の経済社会の現実から見た真実の姿だと、三浦展(あつし)はのべています。「だから、企業は、上流向けのカップメンをつくり、下流向けの超極安のカップメンを作っている」というようにです。「下流向け」の食品、サービス、消費物資を作って販売しないと、今とこれからの日本の企業は成り立たないというのが『下流社会』という本が読まれている背景です。問題は「下流」という階層の本質は何か?です。三浦展(あつし)は「コミュニケーションの能力」「人と関わりをもつことに積極的であるか」「現実の社会と関わりつづけるために自己投資して勉強しているか」などが「上流」と「下流」を分ける分岐点になるとのべています。「下流意識」とは、これらの「行動」の実現性が乏しいことだ、と考察されています。
イギリス、アメリカにつづいて日本でも進行している「上流」と「下流」への二極化は、なぜ起こっているのでしょうか。
二○○○年にノーベル経済学賞を受賞したアメリカ・シカゴ大学のヘックマンと神経生物学者のスタンフォード大学の教授クヌーズセンらは、「3歳から4歳までの脳の認知能力の時期に、学習意欲のための教育がおこなわれなかったことが原因だ」と共同論文を書いています。
三浦展(あつし)は、「団塊の世代の親」らが、「自分らしさ」や「自己実現」や「自分流」といったことを自分たちの行動基準にして、「自分たちの子ども」にも「自分らしさ」とか「自己実現」「自立」「自分の個性」といったことを教えたのはいいが、しかし、そのための「実力のつけ方、学び方、伸ばし方」は教えなかったことが原因だとのべています。
では、本当のところはどうでしょうか。 |
「下流」の階層意識とは「半行動停止」の言葉と行動のことです |
本ゼミのこれまでの「脳の働き方の仕組み」から「下流」という階層意識を構成する「ものの考え方」を見てみます。「コミュニケーションの能力が乏しい」「他者と積極的に関わる能力に乏しい」「現実の社会と積極的に関わる能力に乏しい」などです。これらは、「行動が止まっている」わけではないが、「上流」の階層意識と比べると「行動」が不足している、と定義できるでしょう。
「半行動停止」ということです。
「半行動停止」とは、「人の前で声が震える」とか「人が見ている前で、手が震える」といった時の「行動」のあり方のことでした。人間の「行動」とは、何のことでしたでしょうか。
「自分に楽しいこと」か「自分に得すること」がもたらされる、ということを本質にしています。食事を摂る、水を飲む、仲のいい人と会って話をする、などの「行動」を考えてみると、よく得心がいくでしょう。
「半行動停止」とは、「行動」のための「言葉」が「記号としての言葉」を憶えている場合に起こります。「行動」には「言葉」が必要です。「言葉」には、必ず「意味」があります。その言葉の「意味」を不問にして「言葉」だけを暗記することが「記号としての言葉」です。
たとえば「あいさつをする」という時の「あいさつ」の言葉には「意味」があります。この「意味」が分からない人の場合は、「相手が返事をしない」とか「この人は自分を嫌っているようだ」という理由で、「あいさつをしない」ということを実行するでしょう。自分の恣意的な解釈で「あいさつをしない」というときの「あいさつ」が「記号としての言葉」です。「あいさつをしない相手がいる」というのが「半行動停止」です。「行動停止」は、必ず、「負の行動のイメージ」を右脳に表象(ひょうしょう)させます。
「行動が止まっている」ことをオペラント条件づけとして、「右脳」にイメージが思い浮びます。「行動が止まっていても、止まっていなくても働いている」のが「右脳」です。「右脳」は、目、手、足、耳などの五官覚の知覚神経にむすびついているからです。「行動が止まっている」時に右脳に思い浮ぶイメージを「無意識の表象(ひょうしょう)」といいます。この無意識は、「右脳系の大脳辺縁系」の「線状体」(せんじょうたい)が「不安」を記憶するので、誰でも思い浮びます。すると、「下流」の階層意識とは、つねに「行動が止まっている」か「記号としての言葉だけで行動している」という人々の「ものの考え方」のことであるのです。「行動が止まっている」とは、「コミュニケーションなどしてもしょうがない」「人と自分から関わるとどんなにキズつくことを言われるかしれたものじゃない」などの「言葉」を考えているか、話すか、パッと思い浮ぶかのいずれかのことをいいます。
自分があいさつをして、ちゃんと返事をした人だけに「あいさつをする」と意味づけを加えている人の「あいさつ」が「記号としての言葉」です。これらの「行動の仕方」を「脳」に、システムとして憶えている人が「下流」の階層意識をもつ人です。 |
「乳児」は「移動すること」をどのように生成するか? |
では、「行動をつくり出す脳の働き方のメカニズム」とはどういうものでしょうか。
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脳の働き方のモデルを「乳児の脳の働き方」に求めてみましょう。
無藤隆の『赤ん坊から見た世界・言語以前の光景』(講談社現代新書)からご紹介します。 |
- 乳児は、生後6ヵ月から10ヵ月にかけて「移動すること」が可能になる。この時期は「四つんばい」ではって進むという移動である。自分の足で立って歩くのは満1歳ごろだ。
- 「はって進む」ことができない乳児は、まわりのものへは自分の手が届く範囲で関わっていた。目の前の数10センチの範囲での物の移動や、物の見え隠れを認識するというものだった。
- この乳児の「移動が可能になる」ことについてのアメリカ・カリフォルニア大学、バークレイ校のキャンポスらの実験がある。
- テーブルがある。テーブルの面はガラスでできている。半分の面積は透明なガラス、のこりの半分はこまかい四角の模様のついたスモークガラスだ。また、透明なガラスの下に、こまかい四角の模様の床が見える。
- 生後6ヵ月の、生後8ヵ月の乳児をこのテーブルの上におく。
- 四つんばいで移動できるようになった直後の乳児は、30%から50%が、透明なガラスへの移動を避ける(下の床の模様が見えるので不安になる)
- さらに、移動が可能になって41日が経過すると60%から80%が透明なガラスへの移動を恐れる。
- 移動が可能になった乳児を、透明なガラスの上に置くと、心拍数が増える。「ドキドキ」して不安を示す。
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「行動すること」の脳の働き方のモデルは「頭頂葉」の長期記憶のソース・モニタリングです |
まだ自分の力で移動できない乳児が、「四つんばい」で手足を動かして移動できるには、手、腕、肩、脚の骨や筋肉が発達することが必要です。脚の骨や筋肉の運動神経と知覚神経は、「脳」の頭頂葉と前頭葉につながっています。また、三木成夫の解剖学によれば、人間の「舌」と「手や腕」の筋肉は同じ筋肉でできています。すると、乳児が「移動する」とは、「食べ物を口に入れる」ために、「手、腕」がリードして身体を動かすのです。「足、脚」は、脳の頭頂葉の知覚神経とつながっていますから、「進みゆく方向」「進みゆく角度」「進みゆく距離」を認知したり、認識させていることが分かります。この「乳児」の「身体の移動」を可能にするのは「目で見ること」(視覚)です。視覚は「右目・左脳、X経路」、「左目・右脳、Y経路」の二とおりで成り立っています。X経路とは、自律神経の副交感神経支配の「認識」の働きのことです。
Y経路とは、交感神経の「認知」の働きのことです。
脳の頭頂葉と前頭葉を働かせるのは、Y経路系の「左目、右脳」と、X経路系の「右目、左脳」です。これは「A6神経」が働いて「Y経路のパターン認知」の記憶を「認識」に変えるというようにおこなわれます。これを「上向システム」といいます。
このA6神経が働かせる「上向システム」が働くと、「下向システム」の手足も動く、というシステムになっています。 |
距離、角度、方向の「パターン認知」を理解しましょう |
乳児が「身体を動かす」ということは、「距離」「角度」「方向」の三つの認知についての「パターン認知」が長期記憶として記憶されていなければなりません。
パターン認知としての「距離」とは、何でしょうか。「母親」についての認知を例にあげてみましょう。母親が遠くから自分の方に近づいてくる、というクローズアップの認知のことです。自分が移動するときはこのクローズアップの長期記憶がイメージされるのです。物に近づいていくと、その物が「大きく見える」というようにです。このクローズアップが記憶のソース・モニタリングとして「右脳」に思い浮びます。同じように「パターン認知としての角度」とは、右、左、後ろと形が変わっても「やっぱり優しいお母さんだ、安心したよ」という対象の認知のための記憶のことです。「あのピンク色で後ろ向きのものは、うさちゃんじゃないかな?」と近づいていき、近づいて見ると「ほらね、やっぱりうさ子ちゃんだよ」と、形の変化にかかわらず自分の憶えているものと同じであることを認知する「長期記憶」のことです。これも「記憶のソース・モニタリング」の記憶になって「行動」を可能にします。
また「パターン認知の方向」とは、「母親は、母親自身が近づいてきても、やっぱり母親だ。すると、自分が近づいて行っても、母親はやっぱり母親でしょう」というように、「対象」となるものはつねに同じである、ということの認知の記憶になるのです。これは、「受け身で待つ」という時も「自分が能動的に動く」という時も、「母親そのものは変わらなくて同じである」という認知の記憶になります。何のことかといいますと、「空腹の時」に、じっと待っていても食べ物はあるし、自分から近づいていってもやはり食べ物はそこにある、というパターン認知になるのです。新聞の報道で、5歳の子どもが、母親から放置されたけれども、自分から食べ物を探して生き延びたということがありました。この子どもは「自分から積極的に移動する」という「Y経路のパターン認知」を記憶していたことになるのです。
この「Y経路のパターン認知」の「距離」「角度」「方向」が記憶されているときに「行動」が可能になります。この「距離」「角度」「方向」のパターン認知が「いつ」「どこで」「何を」「どのように」の内容になるのです。
「階層意識」の「下流」の意識とは、「距離」「角度」「方向」のパターン認知が「記号としての言葉」(号令や命令の言葉)としてしか記憶されていないために、命令したり号令をかける人がいないと「行動停止」の状態になるという脳の働き方をおこなっているということになりましょう。 |