「書き言葉」とは、前頭葉に「意味のイメージ」を表現すること、が本質です |
これまで、数回にわたって「話し言葉」の生成のメカニズムをお話してきました。お話の中心は、言葉を憶える脳の言語野の「ブローカー言語野」の言葉の学習と記憶のしくみを解明してご説明してきました。
この「話し言葉の生成のメカニズム」の解明とその説明の中で、みなさまは、ひょっとして「前頭葉の働きについての説明がまだ一度もなされてきていないが、前頭葉のしくみは、言葉とどうかかわりがあるのだろうか?」と疑問に思っておられるかもしれません。
「前頭葉」は、かくべつ「認知」や「認識」という記憶にかかわるわけではないことはよくお分りになっておられると思います。「前頭葉」の働きは、しばしば「創造性にかかわる」とか「空想したり、思考することにかかわる」と伝えられています。このような理解がもし「正しい」とすると、「その創造性とか、思考することとは、何をもってそれを可能にするのか?」という問いに答えられなければなりません。「記憶」や「学習」にかかわる脳の「メタ言語野」は「ブローカー言語野」と「ウェルニッケ言語野」です。では、「前頭葉」は何をおこなう野(や)なのでしょうか?
表象(ひょうしょう)させるだけの機能をになっています。
ちょうどパソコンの「ディスプレー」に相当するものであるとご理解なさってください。したがって「前頭葉」は、創造的な働きをになっているといっても、機能としては間違いではありません。
しかし、空想したことや創造的に考えたこと、もしくは病的に思い浮んだことを修正したり、強化したり、深めたりすることは、その素材となる「言葉」の修正や強化や深めることでなければならないことはよくお分りになっていると思います。
その素材となる「言葉」が一体どういう性質のものか?によって、人間の行動は、「病気」であったり、また、「健全」であったりもします。このことを「話し言葉」の生成のメカニズムの解明の中で明らかにしてきました。その具体的な例を一つだけあげてご一緒に確認します。 |
「話し言葉」を生成する脳の働き方をメタ言語から見た特性 |
[1] ブローカー言語野の「3分の1」のゾーン(中枢神経の集中域)の特性
- X経路支配である。
- 「行動の完結」を表象(ひょうしょう)する。
- 短期記憶である。
- 「自分の現状」に満足する(自分の現状がどんなに悲惨でも安心する)
- 快感中心の思考をあらわす(眠ること、何もしないこと、動かないこと、を肯定する)
- 忘れる(「行動は終わっている」という意識が働く。ミスをすること、失敗することについて忘れる)
[2] ブローカー言語野の「3分の2」のゾーン(中枢神経の集中域)の特性
- Y経路支配である。
- 「遠くに行くための行動をおこなう」(将来のことを考えて行動する)
- 遠くの人のことを考える(自分以外の他者のことを考える)
- 遠くに行くことを考える(子どもの成長、女性は夫、恋人の成長を喜ぶ)
- 「他者の欲求のことを考える」(相手が喜ぶから自分も喜ぶという女性の心情の能力が発達する。男性は、仕事の能力が向上する)
- 現状が良くても、悪くても満足しない(最良の希望を持って、最悪の状況に備える)
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「メタ言語」とは「無意識の観念の運動」のこと |
■ここに「まとめ」としてご紹介した「思考のパターン」は、「メタ言語」による解析です。「メタ言語」とは、これまでは「無意識」と呼ばれていました。「無意識」とは主に身体のパフォーマンスによって「言葉」に相当する動作や所作があらわされて、「その人の考えていること」(無意識)がある程度の見当がつくので、こんなふうに呼ばれています。
例えば、「落語」では、「センス」や「てぬぐい」によって「話」の登場人物の行為や動作が表現されます。「センス」を「ハシ」のように持って、左手で「器」(うつわ)を持っているパフォーマンスをあらわすと、「ソバを食べている様子」のイメージが思い浮びます。このように「ある行動のパフォーマンス」を行うと、「その行動とその時の光景が思い浮ぶ」ことを「無意識の観念の運動」といいます。この「無意識」は、「パフォーマンス」が「言葉」でも描写されることをふまえて「メタ言語」と定義することができます。
このことは、「メタ言語」は、そのまま「対象言語」にむすびつくということを意味しています。「対象言語」とは、「読む」「書く」というときの「言葉」のことです。
「ブローカー言語野」の「3分の1」のゾーン(中枢神経の集中域)と「3分の2」のゾーンには、「X経路」と「Y経路」にむすびつく「対象言語」が記憶されているという事実の証明になるのです。
このような証明は、古典的な大脳生理学者がよく観察して実証的に説明しています。
『脳のしくみとはたらき』(クリスティーヌ・テンプル、講談社・刊)の中では、次のように書かれています。リライト・再構成して要旨をご紹介します。 |
「書き言葉」の開発の歴史を分かるための前提 |
- 言語と「左脳」との関連は一九世紀の終わり頃から知られていた。その好例が、一八六一年に「ブローカー」が見せた彼の患者の「脳」である。
- ブローカーの患者は死亡する前には「自分の名前」の「タン」という単語しか言えなくなっていた。
タンの脳は、「左脳」の「前頭葉の後ろの部分」に損傷を受けていた。
- 一八六一年の後半。ブローカーは「言葉」を「話す力」「書く能力」を失っているが、それでも「人の話す言葉は理解できる」という症例を発表した。
いずれも、「左脳」に損傷を受けている。
ブローカーの没後の一九八五年。
ブローカーの明言「私たちは、左脳で話している」が公で認められた。
- 「ブローカー失語症」といわれている症状がある。
「言語」の産生がなめらかではなくて、文法的な言葉の組み立てが正常ではないという症状のことだ。話し言葉は、「電報の電文」のようである。
「風邪をひいている女性のブローカー失語症」の例
「鼻」(女性の発言)。
(私は風邪をひいて、鼻づまりをおこしています、の意)。
「ブローカー失語症」とは「人の話す言葉は聴ける」、しかし「自分の考えていることをスムースに、なめらかに話したり、表現できない」「同じことについて別の言葉で言いあらわすことができない」「えっと、何といえばいいのか、あー、そのー、などと言葉の産生がスムースでない」というものだ。
「言葉の運動性の失語」ともいわれている。
- 一八七四年。カール・ウェルニッケは「左脳」の「上側頭回」に損傷をもつ患者の事例を発表した。この部位は「ウェルニッケの領野」(ウェルニッケ言語野)と呼ばれる。
- ウェルニッケが指摘した患者のケースは次のような特質をもっていた。
- 人の話す言葉の理解に問題がある。
- 「言葉」の産生と「言葉の理解」にトラブルをもつ
- 「ウェルニッケ言語野」になんらかの支障のある人は、「よくしゃべる」だが「その話す言葉には、不必要な言葉が入れ混じって、話の脈絡が分散して、しばしば主旨、目的、意図が不分明になる」
- この「余計な言葉」のことを「ジャルゴン」といい、このような「錯誤性のエラー」のことを「ジャルゴン失語」という。
ウェルニッケ言語障害(ジャルゴン失語症)の例
「あのね、私が言いたいのは、要するにここに書かれているこのことについて、私ってほら、昔こういうことについてあんまり強くなくて、うーん、なんて言えばいいんだろ、なんと言えばいいんですか?
読んでもよく分からないっていうか、ていうか、もう少しゆっくりしゃべってほしいわけですよ」(ジャルゴン=訳のわからない余分な言葉のこと。その言葉だけに注目すると、ちんぷんかんぷん語のこと)。
- 一八八五年。リヒトハイムは、ウェルニッケの「言語障害」をもとに「言語障害のモデル」を考えて公表した。そのモデルとは、次のようなものだ。
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A…「聴性入力」(ウェルニッケ言語野)
B…概念中枢
M…運動出力(ブローカー言語野)
- AはBにつながっている。
BはMにつながっている。
AはMにつながっている。
というパターンが「モデル」である。このMの部位の損傷が「ブローカー失語」である。
ここでは、脳は「ひとつのプロセッサー(処理装置)」ととらえられている。
ウェルニッケ失語症は、「単語」にたいする「視床中枢」「聴性中枢」「舌、手にたいする運動感覚の中枢」のいずれかが損傷している、と想定された。この想定は、損傷を受けていることを確かめられた患者にもとづく類推である。
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「書き言葉」は「話し言葉」が生成させた |
■一八六一年から一八七八年の当時の「脳」の中で「言葉」はどのように生成されるか?についての要旨をご紹介しました。ここでは、「言葉」とは、まず「記憶されることから始まる」ということがふまえられています。「記憶される言葉」とは、「話し言葉」と「書き言葉」の二つのことです。
一九五○年代になると、「言葉は、どのように学習されて記憶されるものか?」というテーマで、おもに「書き言葉」に焦点をあてて考察されています。(一九五○年、チョムスキー。一九五○年、ピアジェらの考察のことです)。
ブローカーとウェルニッケらの考察は、「言葉とは、脳のどこで憶えて、脳のどこが書くこと、話すことをつくり出すのか?」を明らかにしています。そして、「左脳」の「ブローカー言語野」と「ウェルニッケ言語野」のどちらか、および両方に「損傷」があれば、「書くこと」と「話すこと」に障害が発生することも明らかにしました。
このブローカーとウェルニッケの観察や考察の内容は、「言葉の障害」が際立っていたので、必ずしも「脳に損傷がなくても、学習の仕方」によっても同じような障害が発生すると考えられました。それが「リヒトハイム」による「言語障害のモデル」です。
「言語障害」は、明らかに「脳」(おもに左脳)に「損傷」があるという事実から発見されています。転落事故や交通事故、さらには暴力事件のような「外傷」の影響を受けた結果の「損傷」のようです。
しかし、リヒトハイムを代表とする「ヒューリング・ジャクソン」「バスチャン」といった大脳生理学者らは、「必ずしも、左脳に損傷がなくても言語能力の障害が観察される」ことを明らかにしています。
「リヒトハイム」は「脳による言語の産出のモデル」を想定しました。
A…聴性入力
B…概念中枢
M…運動出力
が「リヒトハイムの言語モデル」(一八八五年)です。
リヒトハイムらは、「ウェルニッケの言語障害」は、「Bの概念中枢」と「Mの運動出力」が冒されていると理解しました。
また「ブローカー失語」は「Mの運動出力の障害だ」ととらえました。
その「言葉の障害」とは、次のようなものです。
- ブローカー失語…医師に自分の 「風邪の症状」を説明するときに「鼻」と言う。(「鼻づまりがあります」の意)。
- ウェルニッケ失語…「ジャルゴン失語」をともなって、なめらかにしゃべる。必ずしも「話すこと」の意味の脈絡が「なめらか」であるわけではない。「うーむ」「えーと」「何といえばいいんですか」「こういうことがあったり、言われたので、自分はこうしました」など、「話の順序性、言葉の整合性、話の方向性、話すことの目的」などを喪失する障害のこと。
- リヒトハイムが観察した「言語障害」…「失名詞失語症」。
1.「対象」の名称の言葉を忘れる。「あれ」「それ」などの代名詞で言い換える。
2.「質問」されたとき、「問いに答える」ということができない。「問い」に答えて「イエスかノーかを言わない」、「結論を言わずに、ズルズルと自分の行動について語る」、など。
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「書き言葉」の学習にあたり「意味」を憶えない場合は言語障害を生成する |
ここでは何がのべられていることになるのでしょうか。
結論を先にいうといずれも「言葉の意味が混乱している」ことと、「言葉の意味によって対象を特定できない」ということがのべられています。
これまで、本ゼミでは「話し言葉の生成のメカニズム」についてお話してきました。「言葉の意味」とは、遠山啓(ひらく)の『水道方式』による「数」(かず)と「算数」の学習の仕方に適用すると『タイル』に相当します。『タイル』とは『チョコレートタイル』のことです。
さまざまな現実の『実物』(ミカン、リンゴ、ビスケットなど)の属性や実物の特性を理論的に取り除いて、「量」(りょう)としての「質」(しつ)だけを抽出した「半具体、半抽象物」でした。遠山啓(ひらく)は、このような「共通する性質の物」をシェーマ(Schema)と定義しています。シェーマとは、「意味のイメージ」のことです。
この『タイル』は、「ブローカー言語野」の「3分の2」のゾーンでしか記憶できません。なぜかというと、『タイル』(言葉の意味に相当する)は、
A=B
B=C
であるならば
A=Cである
というように「推移律」(因果律)によって「空間性の関係」を記憶することであるからです。「空間性の関係性」とは、「手で触る」とか「口に入れて舌で感触を認知する」というように、「触覚による了解」では、「認知」も「認識」も不能であるからです。
すると、「ジャルゴン失語」も「ブローカー失語」も「失名詞失語」も『タイル』に相当する「言葉」の『意味』を記憶できていないことの障害であることが分かります。
いいかえると「ウェルニッケ言語障害」の「ジャルゴン失語」は、「ブローカー言語野」の「3分の1」のゾーンで「話し言葉」と「書き言葉」を暗記したことが原因の言語障害である、ということです。同じように、「ブローカー失語」も「対象の意味」を特定できていないので、やはり、「ブローカー言語野」の「3分の1」のゾーンで「話し言葉」と「書き言葉」を暗記したことが原因の言語障害です。
「失名詞失語」は、「対象」との「空間性の関係」が成立していないので「推移律」や「因果律」そのものが欠如していることを意味しています。
A=B、B=C、であるならば「A=Cである」という「推移律」が学習されていないのです。これは、「ブローカー言語野」の「3分の1」のゾーンで「話し言葉」と「書き言葉」を暗記したことによる障害です。クリスティーヌ・テンプルは、このような「言葉の能力」に障害をもつ人が、当時のヨーロッパでは相当数の人がいるようだとのべています。 |
「書き言葉」の開発の歴史 |
では、このような「言語能力の障害」は、どのような経過をたどってつくられるものでしょうか。
クリスティーヌ・テンプルは、脳の「書き言葉」の学習と記憶の経過について、次のようにのべています。
- 「読み」「書き」「計算」は、文化的な教育によって習得された「正規の記号」を使っている。このシステムは、人々に情報を記録したり、解読したりできるようにしてくれるので、何かを思い出すときも完全に自分の記憶に頼ることはない。
- 比較的最近まで、この表象の「正規のコード」(記号とその系)を学ぶことは、社会の全ての構成員にとってはノルマではなかった。「読むこと」「書くこと」の能力は、しばしば社会の選ばれたグループによって獲得されていた。これによってそのグループは「読み、書きの能力」によって大きな力を得ていた。
- 二○世紀に入ると西洋文化は、子どもは、誰でも「読むこと、書くこと、計算すること」を学ぶように求められるようになった。
- 「読むこと、書くこと」の能力の獲得の仕方は「文字」を書くという系を学ぶというものである。「書字系」を学ぶための「正書法」という。(英語ならば、アルファベットを学ぶ)。
- 「書字系」の歴史は、「絵文字」がルーツになっている。
(古代の描画が基(もと)である)。
- 「絵文字」は、どれも事物のイメージを直接に表象している。シンボルの意味が形で描かれている。
- 最古の「書字系」は、約五○○○年前の「南メソポタミア」に住んでいた「サマリア人」によるものだ。
彼らは、貿易に従事していた。
貿易による取り引きを記録する必要が起こった。そこで「絵文字」をつくり、「数値」をあらわす「割り符系」を確立した。
この「絵文字」は「楔形」(くさびがた)の道具で粘土に刻みつけられた。これが「楔形文字」(せっけい文字)である。
- この「楔形文字」(せっけいもじ)は、「アッシリア人」と「ペルシャ人」に借用された。アッシリア人とペルシャ人は、この「楔形文字」を「人間の発声する音節の音」を表すのに用いた。
- 「サマリア人」が「絵文字」を用いた頃、同じようなシステムを「エジプト人」が開発した。エジプト人の「絵文字」は「ヒエログリフィック象形文字」と呼ばれた。「ヒエロ」は、「聖なる」を意味した。「グリフィコ」は「刻みつける」という意味である。「エジプト人」の「ヒエログリフィック象形文字」は、もともとは「絵文字」だったが、やがて「音声」を表すようになった。
「音声」を表す表現は、「絵文字」が他の人々によって借用されたときに用いられている。
- 紀元前一○世紀に、「ギリシャ人」が「絵文字」の「記号系」を借りた。
だが、「ギリシャ人」は、「複雑な音節構造」をもっていたので、一つ一つの違った「音節」をあらわす膨大な数の「記号」が必要となった。
ギリシャ人は、「フェニキア語」の記号を採用して、一つ一つの「音声」を表すことに用いた。
- 十六世紀に「綴り字」の標準化が起こった。十七世紀には、比較的安定する。
英語の「書字系」は、ギリシャ語の系統から派生している。アルファベット(一記号体系の全記号)という名前は、ギリシャ文字のアルファベットの最初の二文字「アルファ」(α)と「ベータ」(β)に由来している。
「アルファベット」は、六世紀に英国に導入された「ローマ字」の「アルファベット」から派生している。
「ギリシャ語」の「キリル文字」から派生したのは「ロシア文字」である。
- 「日本文字」は、二つの違った 部分からできている。「音節部門」は「カナ」と呼ばれる。「ひらがな」は「文法的な特徴」を示す。
日本語には「語標」(logograーphic)がある。「漢字」と呼ばれるものである。「漢字記号」は「表意文字」である。「中国語」に由来している。「漢字自体」は、特別な概念を表す。
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「書き言葉」は「話し言葉」の意味を表象することに本質がある |
■ここで、ここまでの説明をまとめるとこんなふうになります。
「話し言葉」と「書き言葉」と二つを並べてとらえると、まず「話し言葉」が先行してつくられています。「生成されている」ということです。「書き言葉」は、「話し言葉」の欠陥の「話されたその瞬間に、聞くという知覚の対象」として消えてしまうという性質を補うという実用的な目的をもって開発しています。開発された「書き言葉」は、「言葉」それ自体の「意味」を中心に、さらに開発されつづけています。
「話し言葉」とは、「発声」や「発音」など「音」によって成り立つ言葉のことです。「音節」といいます。この「音節」が「書き言葉」(記号性の概念)に加えられて「文字を読む」というメカニズムが完成しています。
このような「書き言葉」の学習の仕方(憶え方)を、脳の働き方のメカニズムはどのようにおこなうものなのでしょうか。
このしくみを明らかにするために、遠山啓(ひらく)の「水道方式」による「数」(かず)と「算数」の学習の仕方を、事例としてご一緒に考えます。 |
遠山啓の「水道方式」 |
ロケット
(0(ゼロ)から5までの数系列の学習の仕方) |
- イラストで宇宙ロケットの発射の場面を設定する。
このロケットの右側に、チョコレートタイルを「5」「4」「3」「2」「1」(タイル)と順に並べる。
「このタイルの階段はいくつですか?」と「5」のタイルを指す。
(正しい答えを得る)。
「順に、階段を下(お)りて、地面のところまできたらロケットを発射します。いっしょに数えましょう」。
そして指でさしながら「ご」「よん」「さん」「に」「いち」「れい」(0)(地面の位置)、「発射!!」と、導く。
- ここでは、「0」(れい)の数系列上の位置づけをおこなう。
- 次に、階段(5,4,3,2,1のタイル)だけを使って、「地平線」の位置から「れい」「いち」「に」「さん」「よん」「ご」と数える練習をする。
- 異なる具体物を使って、同じやり方で学習する。
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魚つり遊び
(数(かず)の変化の事実関係を教える。引き算の指導) |
- 厚紙で、魚を5匹つくる。魚の口に針金をつける。もうひとつ、釣竿(つりざお)と磁石(じしゃく)付きの釣糸を用意する。
この魚を「池」に見立てた器の中に入れる。
- 「魚が5匹います。2匹釣りました。残りは何匹ですか?」
「2匹釣りました。おっと、また1匹釣りました。残りは何匹になりましたか?」
?この残りの魚の数に、「タイル」を対応(一対一対応)づけて、結果の答えを子どもから引き出す。
- 「5」までの数(かず)の範囲で事実の場面で「加減の問題」を教える。
■ご紹介した事例では、「0」(れい・ゼロ)の概念と、「数」(かず)の加減の概念の学習の仕方が説明されています。注目していただきたいことは、「話し言葉」によって「数」(かず)の概念が伝えられている点です。この説明の言葉は、「タイル」(言葉の意味)と「実物」の「二者関係」が伝えられています。
「ロケット」の場面の「ご」「よん」「さん」「に」「いち」という発声による「音節」は、そのまま「数字」や「ひらがな」、そしてやがては「漢数字」の学習と記憶になるでしょう。
また、「魚釣り」の場面では、実物(魚)と「タイル」との「二者関係」によって、「残りの数はいくつ」「減った数はいくつ」というように「推移律」による因果関係が学習されて、記憶されています。これが、やがて「のこりの数は、2(に)」といった「書き言葉」の学習と記憶へとつながります。
遠山啓(ひらく)の「水道方式」は、ポルソナーレの幼児教育の現場の経験では、「3歳児」から学習が可能です。「4歳児」になると、「文字や数字を読むこと」の学習が成立します。すると「文字が読める」ことは、そのまま「文字」(ひらがな)を「書くこと」の学習と記憶が成り立ちます。
重要なことは、「書き言葉」を憶えるということは、「話し言葉」を学習する段階で、「実物」の「意味」を学習して憶えなければならない、ということです。
話し言葉から「書き言葉」の学習と記憶に移行するには、「意味」の習得が不可欠です。この「意味」の習得が不完全な状態のことを「カテゴリー(部類)特異性障害」といいます。「カテゴリー特異性障害」とは「生物と無生物の区別がつかない」(ハサミ、ほうちょうの名称は言えるが、鳥(とり)の名称は言えない、などの失語症のことです)といったことです。
これは「概念」の学習がうまくいっていない幼児の時期の言葉の記憶が、そのまま「大人」になっても引きずっている障害のことです。(「猫」を「うちの子」と言う。会社で部下をさして「あの子は」と言う、等)。
「話し言葉」の学習の段階で「言葉の意味」は、次のように学習されるものです。 |
例・エクササイズのモデル |
- 魚のグループを、魚の特性によって憶える。(魚と四つ足の動物の違いをカテゴリーとして分かる。次に、魚を、季節、海、川、池などの住んでいる場所を教えて魚の生態をとおして、カテゴリーを分かる。このカテゴリーの特性が、「概念」になる。季節、場所のカテゴリーの中で、個々の魚の名称(概念)を憶える)。
- 魚の住んでいる場所、生き方の特性、人間にとっての有用性などが「魚」の「意味」の言葉になる。
- この「意味」は『タイル』に相当する。
この「意味」の記憶は、そのまま「記号としての書字系」の表象との「二者関係」となり、「実物」の「魚」と「三者関係」を記憶させる。
- 「水道方式」では『タイル』による「数」の計算の学習がおこなわれているように、「言葉」の「意味」もまた、「実物」との「二者関係」をイメージしながら独立して学習されるべきものである。(これを「概念思考」もしくは「抽象思考」という)。
この「例」のモデルにしたがって、「話し言葉」を訓練し、ついで「書き言葉」も訓練することが、「書き言葉の生成のメカニズム」になるのです。この「書き言葉」の学習と記憶は「ブローカー言語野」の「3分の2」のゾーンでしかおこなわれていないことは、あらためてよくお分りのことと思います。 |