「人はなぜエセ科学に騙(だま)されるのか」(カール・セーガン) |
カール・セーガンは、『人はなぜエセ科学に騙されるのか』(新潮文庫、上下巻)の下巻のプロローグで、ウィリアム・K・クリフォードの『信仰の倫理』(1874年)を引いて、次のような主旨のことをのべています。
- ある船主がいた。一せきの移民船を出そうとしている。だがその船は古くて、修理を重ねてきている。
もう長い航海には耐えられないかもしれない。船主は暗い疑念をふるいはらえない。
- だが、この船主は考えた。神を信じることにした。祖国を後にする幸薄い家族たちを神が見捨てるはずがない。
神は、守ってくれる。この船は、今度の航海だって無事に乗り切れるに違いない。
- だが、船は、航海の半ばで沈んだ。人々は死に、船主にはたくさんの保険金が手に入った。
- 移民たちが死んだのは船主の責任だ。もちろん、彼は神にも祈って、心から「この船はだいじょうぶだ」と思っていただろう。だからといって彼の罪が消えるわけではない。
なぜならば、彼には、自分が証拠だと思っていたものを、信じる権利などなかったからだ。彼は、その信念を、ねばりづよく公正に調べて得たのではなくて、自分の疑念を押さえつけることによって得たにすぎないのである。
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ドイツの科学ジャーナリスト、ロルフ・デーゲンは、『フロイト先生のウソ』(文春文庫)の中で、「脳科学者の言うウソ」について、次のように書いています |
- 脳の潜在能力にかんする話の中で決まって出てくるのが「脳の90%は使われていない」というものだ。これは神話に近い。
一般教養の地位にもなっている。
- この神話を好んで採用しているのが、似非(エセ)科学で商売をしている団体である。
たいていは休眠状態の90%を活性化させるための教材だの本だのを売ったり、宣伝をする。
- 超常現象の伝道者は、脳のこの出所のハッキリしない「脳は10%しか使われていない」という神話をもっけの幸いとばかりに利用している。
脳内に未知の領域がこれだけあれば、そこに、超自然的な能力をつめこむのはカンタンだ。休眠している90%の超能力を利用して活用できれば、テレパシー、透視、想いを叶える念力を必ず、発揮できるようになる。
スプーン曲げで有名な「超能力者」のユリ・ゲラーは言う。「人間の精神はとてつもない能力を秘めている。だが、我々は、それを全く活性化していない」。「スーパーラーニング」「瞑想法」「想いを叶える言葉(行為も)」などこの神話をさかんに利用しているものだ。
- 「脳を活性化させる」などの神話を利用する「脳科学」は、人間の脳を「自動車のエンジン」と同じように考えている。
「自動車のエンジン」の性能は、フル回転した時が最高になる。
だから、「脳の歯車」をフル回転させることと同じように「自動車の性能」は最高になっていると考えている。脳の場合は、「思考能力が高まる」とむすびつける。
- だが、これらの「脳科学」の見解は、脳の本質から全く外れている。
「脳」は、「少ないことが多いことだ」という原則にしたがって機能している。「脳は、エネルギーをなるべく節約する」というように働いているのだ。
- 脳が、もし、全ての神経細胞を同時に、いっぺんに働かせたらどうなるのか。
「てんかんのけいれん発作」のような状態になる。
- もう少し手のこんだ「脳の活性化」のバージョンは、「脳のニューロンの大部分がサボっているからだ」という主張である。
「脳の活動量を増やせば、思考力や記憶力が飛躍的に増大する」というものだ。だが、ボン大学のデートレフ・リンケはこうのべる。- 「人間の知的活動の本質は、多くの個々の体験を一つの超記号にまとめることにある。抽象は、思考を効率的にする」。
すると知的能力が高い「脳」とは「弱電の脳」である。
思考能力に劣る人は、同じことをくりかえしたり、過去のことから離れなかったり、特定の体験のことしか考えられない、など「強電流の脳」なのだ。
たくさんの電気エネルギーを非効率的に浪費している。
脳の重量は、体重の2%だが、総消費のエネルギーの20%を消費する。エネルギーとは「ブドウ糖」として消費される。すると、「思考の量」というものがあるとすれば、「思考の量」が増えるほど「脳のエネルギーの消費量」も、比例して増加することになる。
だが、現代のパソコンが少しの電気しか消費しないように、人間の脳も、「少しのエネルギーしか消費しない」ことを本質にしているのだ。
現に、ダウン症の子どもや成人の自閉症の患者は、高い脳内の「ブドウ糖の消費量」を示す。このことから、専門家はこう推測する。問題を解くのに時間がかかる人の脳内は非効率であるために、個々の神経細胞は「燃費の悪さ」を示す。
健常者の場合、情報処理が成熟する思春期をすぎると、脳のエネルギー必要量は、急速に減少する。頭脳労働にしろ、肉体労働にしろ、習熟度が高まるにつれて脳の活動量は少なくなる。
- 「左脳は、論理的、分析的、解析的思考をつかさどっている。
しかし、直感的、創造的、総合的思考をつかさどる右脳を鍛えることが、われわれ現代人は必要である」。
大半の神経生物学者は、このような考え方は、ものごとを単純化しすぎているためにほとんどナンセンスだと考えている、とアメリカの科学雑誌『ニュー・サイエンティスト』は特集している。
- 陽電子放射断層撮影法(PET)や機能的核磁気共鳴映像法(fMRI)を使った実験がある。
「見る」「聞く」「話す」「夢を見る」「眠る」「問題を解く」などをおこなわせて、脳のどこが活動するか?を観察した。結果はこうだ。どんな活動をしている時も、右脳と左脳がかなり均等に使われていた。
「日常のどんな作業をするときも左右の脳半球が協力し合って同時に活動している」(ブレーメン大学リハビリテーション研究所のディートマル・ホイブロック)。
- さまざまな作業をおこなう時の左脳と右脳には違いがある。
感覚器官から脳へ伝わる速度が、左脳と右脳とでは異なるという理由による。
- 『ニュー・サイエンティスト』誌も指摘しているように、言語機能には、左脳、右脳の両方がかかわっている。
左脳は、文法や単語の組み立てにかかわっているのにたいして、右脳は、おもにイントネーション、文のメロディに関係している。
右脳と左脳は、独立して活動しているわけではない。どんな精神活動にも両方の脳がかかわっている。だからどちらかだけを強化したり開発することも不可能である。
文学講座を受ければ左脳と同じように右脳も働く。逆に、音楽、絵画のレッスンを受けるときは、右脳と同じように左脳も必要なのである。
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川島隆太の「脳トレ」「脳を鍛える」の検証の仕方 |
ここでロルフ・デーゲンがのべていることは、実験や観察によって確かめられて裏付けのあることの要旨です。
「脳の働き方」についての「ハードウェア」について説明されている最も確からしいことが語られています。すると、日本で、「脳を鍛える」「脳をトレーニングする」「脳を活性化する」ということをまっ先に主張した東北大学教授・川島隆太の次のような説明は、どのように理解されるものでしょうか。 |
『脳を鍛える大人のドリル』
(脳のアンチエージングトレーニング、くもん出版よりリライト・再構成。
川島隆太) |
- 本書は、前頭葉を鍛えるために開発した。
「読み」と「暗算」をできるだけ速くおこなう。
すると、前頭葉の働きが向上する。
- 人間を人間たらしめている脳は、前頭葉だ。前頭葉の能力とはこうだ。
1「他者とのコミュニケーション」、2「創造性」(クリエーティビティ)、3「積極性」、4「発想の転換」、5「複数の物事を同時におこなう」、6「短期記憶力」
- 「文字を読むこと」「簡単な計算をすること」をできるだけ速く、スピードでおこなうと「脳を鍛えるトレーニング」になる。
「脳の基礎体力」を向上させるエクササイズ効果、「記憶力が向上する脳のウォーミングアップ効果」がある。
- 例。単語記憶テスト。
30語のひらがなのリスト(やすみ、さんぽ、うりば、こども、など)を、2分間で何語、記憶できるかをおこなう。すると、記憶力が12%~36%増加する。
これは、脳年齢が10歳若返る。
認知症の進行を止める。アンチエージング(抗加齢)、抗痴呆の「特効薬」として脳に働く。
- 例。暗算テスト。
2,5,6,3と横に並べる。となりどうしを暗算でたし算をする。できるだけ速くする。
- この結果「集中力」「判断力」「処理能力」「記憶力」「脳の老化を防ぐ」などを得られる効果がある。
- 2001年、認知症の患者に、読み、書き、計算を1日5分ずつやってもらった。
すると、認知機能や前頭葉機能が向上した。笑顔になり、オムツに頼りきりの人が尿意、便意を伝えるようになった。
東北大学と仙台市の共同研究として70歳以上の人に、15分間、読み、書き、計算のドリルにとりくんでもらった。すると認知機能の向上に効果があった。社交的になり、服装もカラフルになり、『やる気が出る』『記憶がよくなった』という声がいくつも上がった。
「私が、ゲームやドリルを出すのは、世の中をいい方向に変えたいと思っているからだ。脳のトレーニングをとおして、社会を鍛える」
(『文藝春秋』2008・5月号、川島隆太。インタヴュアは東嶋和子(とうじまわこ))。
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「速く読む」「速く暗算する」と脳はどう働くのか? |
川島隆太は、「認知症」や「70歳以上の人」に「ドリル」をやらせて、その結果、「効果があった」とのべています。ここでは、何が起こっていることになるのでしょうか。川島隆太がおこなっていることは「できるだけ速く読む」「できるだけ速く暗算をおこなう」ということです。
脳は、目、耳などの五官覚をとおしてものごとを認知します。「認知」とは、「ものごとがそこにある」ということを分かる、ということです。「物が動く」ということを認知するのは、「視覚のY経路」です。「パターン認知」といいます。この認知は「右脳系の海馬」で記憶します。
川島隆太が指示している「できるだけ速く読む」「できるだけ速く暗算する」という体験は、対象は動かないが「目が動く」というものです。「できるだけ速く動く」ということなので、「遠くに見る」「近くに見る」「角度を変えて見る」といった「見方」はありません。「X経路」による「焦点を合わせる」「こまかいいりくみや形象性を見る」という認識はありません。あるのは「Y経路による動きのパターン認知」だけです。これは、道路を歩いている時に、サッと動くものが道路を横切って走り去った、ということを「認知すること」と同じ認知の仕方です。
「認知」とは、「水を飲んだ」「パンを食べた」「風が吹いてきて涼しく感じた」ということと同じように、「そのものがげんに、そこにあることを分かる」という「分かり方」のことです。
すると、ここでは、いくつも並べられている「ひらがなのことば」を、「今のは犬だ」「今のは猫だ」というように、ものごとの特性だけをクローズ・アップさせて表象させるという「記憶のソースモニタリング」をおこなっていることになるのです。「記憶のソースモニタリング」による表象したイメージと一致すると「短期記憶」が成立する、ということが成り立っています。
この短期記憶をおこなうのは、「左脳系の海馬」です。そして「記憶のソースモニタリング」によって「ひらがなの言葉」を表現的に思い出すのは「左脳のブローカー言語野の3分の1のゾーン」です。
この場合、「スピードで、Y経路で動くものを認知する、そして記憶する」というときの「認知」は「その動くものは何であるか?」を認知します。このときの「認知」は「クローズ・アップの認知」になります。 |
脳は、「病気の言葉」も生成する。
「病気の言葉」とは「記号としての言葉」のことである。 |
ここまでのご説明をまとめるとこんなふうです。
まず、「人間は、言葉というものをどのように生成するのか?」というしくみをご説明しています。
「生成する」とは、「赤ちゃん」の脳のように、全く言葉を知らないのに、「言葉」を獲得して身につける、という脳の働き方がモデルになります。人間は、小学生、中学生、高校生になり、大人になっても「言葉」を獲得して「表現」という行動をおこないつづけます。このような場合も、やはり、「乳児」と同じ「脳の働き方」のメカニズムによって「言葉」を生成しつづけるのです。
脳が「言葉を獲得する」ということは、「言葉を生成する」ということと同じ意味です。
「獲得」とは「勉強」とか「学習」と言い換えることができます。
川島隆太の「ドリル」は、「やすみ、さんぽ、うりば、こども、とけい、みぞれ、しぶき、たんす」などというように、合計30個の「ひらがな」の言葉を「2分間で、いくつ記憶できるか?」というものです。2分間とは、かなりのスピードです。
大学院生は16語憶えた、40歳では12語、50歳では10語を憶えるのが平均だ、と実験結果についても書いています。
この「2分間でいくつ憶えるか?」ということをおこなう脳の働き方とはどういうものでしょうか。
まず、「左目のY経路」が「右脳ブローカー言語野の3分の1のゾーンをとおした右脳系の海馬」で「認知」という「分かり方」を働かせます。認知とは「Y経路」の特性です。こまかいところや、色、ものごとのいりくみといった形象的な違いは分からず、おおまかな「パターン」を分かって「そのものが現に、今、そこにある」ことを記憶します。これが「Y経路」による「パターン認知」の内容です。なぜ、「Y経路によるパターン認知」が初めにおこなわれるのでしょうか。これは、「人間が事物を見る」ということの必然的な特性にもとづきます。
目を開けていれば、いろんなものが目に入ってきます。だからといって、人間は、目に入るものの全てを見ているわけではありません。「何を見るか?」という特化がおこなわれてそこで初めて「見る」という関係意識が働きます。これは、誰もがおこなっていることなので、どなたもよくナットクしていただけます。川島隆太の「ひらがなのドリル」の「30語を2分間で憶える」ことは、「Y経路のパターン認知」しか働きません。これは、空を飛んでいるたくさんの「鳥」を数えるような「認知の仕方」です。
「動くもの」だけの認知です。ここには、「動くもの」のひとつひとつの「方向」「角度」「距離」についての「パターン認知」はありません。「乳児」のモデルに即していうと「母親の顔が近づいてくる」「母親の顔が遠ざかる」「母親の顔が、前後、左右と形を変化させる」などのことです。これを「二・五次元の認知」(ゲシュタルトの認知の法則)といいます。「2分間でいくつ憶えられるか?」という指示に従った「見る行動」には「二・五次元の認知」が無いので、「単一の物の動きのパターン」だけが認知されます。「左脳のX経路」は、この「単一の物の動きのパターン」だけを「認識」して、これを記憶します。すると、「やすみ」「さんぽ」「うりば」といった「ひらがなの文字」とその「コトバ」だけが記憶されます。これが「クローズアップ」ということの意味です。「角度」「距離」「方向」による「パターンの認知がない」とは、「やすみ」とは「休みのこと」、「うりば」とは「売り場のこと」といった意味のイメージにかんする「認知」が無い、ということです。このような「意味のイメージが無い」ときの言葉を「記号としての言葉」といいます。「左脳のX経路による認識」は「やすみ」「さんぽ」「うりば」などの語を「記号」として記憶するのです。このような「脳の働き方のメカニズム」は、「数字を暗算してたし算をおこなうこと」にも当てはまります。
二つの数字と、その数字の合計の数字を「パターン認知として丸暗記」する、「記号として憶える」、という「認識」がおこなわれています。 |
「速く読むだけ」で言葉を学習すると「発声と発語」を触覚で記憶する |
すでにみなさまもよくご存知のとおり、「人間がものごとについて分かる」というときは、「目で見る」か「手で触る」という関わり方で分かるしかありません。これは、鳥や動物の場合も同じです。「見る」とは「視覚」のことです。「触れる」とは「触覚」のことです。この「視覚」と「触覚」を合わせたものが「聴覚」です。「言葉」や「文字」は「視覚」と「触覚」を合成して「聴覚による記憶」によって作られています。このメカニズムについては、ポルソナーレが初めて明らかにしました。その簡単な仕組みはこんなふうです。
視覚の「クローズ・アップ」の認知から始まります。「クローズアップ」は、そのままどこまでも持続させると「自分の身体にぴったりくっつく」という認知に変わります。これは、簡単な実験で確かめられます。テーブルの上に「リンゴ」を置いて、1分、2分、3分と「じっと見つめる」という実験をおこなってみましょう。
自分の身体に「同化した」と感じられるでしょう。これが「クローズ・アップ」の特性です。この「同化した」という感触を「左脳のX経路」が認識します。
「認識」とは、「焦点を合わせる」「こまかいいりくみや形象を分かる」「色や色調を分かる」という記憶の仕方のことです。鳥や犬、猫などの動物は、この「クローズ・アップの認知」と「クローズ・アップのパターン認知をX経路で認識する」という「大脳辺縁系」を中心にした脳のメカニズムだけを働かせているといえます。
「人間の場合」は、「クローズ・アップ」(視覚)を「右脳ウェルニッケの言語野」の触覚の認知で記憶します。
右脳のウェルニッケ言語野の「触覚の認知」は「音を聞く」という「耳の触覚の認知」も記憶します。音の空気伝導を知覚して認知するのです。「クローズ・アップのパターン認知」(視覚)を左脳のX経路で認識して記憶すると、「クローズ・アップ」とは、「大きい音」を発するというように「聴覚が認知」するのです。「大きい音」は、人間の身体にもっとも近い所にある「物」が発生させるのが基本型だからです。「大きい音」の典型は、「足をすべらせて転んだ時に感じられる打撃音」です。この時の「音」が「クローズ・アップの視覚のイメージ」と一義性をもつというように、「右脳ウェルニッケ言語野の触覚の認知」が「右脳系の海馬」に記憶させるのです。そして、同時に、「左脳系のウェルニッケ言語野」も認識して、「左脳系の海馬」も「記憶」します。この「記憶」が、「口で音声を出す」という「発声の機能」とその記憶の中枢神経につながるのです。「発声」とは、「口の中にある舌」が「喉」(のど)でさまざまに動いて変化して、肺から「喉(のど)」を通って息(いき)が「口の外」に出る時の「音」のことです。「あ」なら「あ」という特定の発声の音と「クローズ・アップされた特定の対象の形状」(つまり、表音文字のことです)とむすびつけて認識されて、記憶が完成すると、「言葉」になるのです。 |
川島隆太の「脳トレ」には「言葉の意味」の記憶が無い |
川島隆太が「ドリル」として教材にしている「ひらがな」の「読み」と「記憶」の語の「やすみ」「さんぽ」「うりば」「こども」などの「言葉」はいくつかの「表音文字」(発声の音)が組み合わさっています。
「う」と「り」と「ば」の三つの表音が固定的に「パターン化」されている、というようにです。
これは、「視覚のクローズ・アップ」の形象が「右脳ウェルニッケ言語野」で触覚の認知で記憶されて、さらに「左脳」の触覚の認識でも記憶されるというように高次化し、この記憶の高次化が進んで「耳の聴覚」でも認知(右脳)と「認識」の記憶となり、「視覚の対象」の「クローズアップの形象」を目で見たときに「う」「り」「ば」と連続した「パターン」となり、これを発声すると「うりば」と連続した発声(発語)になったものです。発声の発語は「右脳のブローカー言語野の3分の1のゾーン」に表象(ひょうしょう)されます。この「うりば」という連続した発声(発語)は、この段階では「記号」でしかありません。
「うりば」という「パターン認知」「物の動き」や「物の動きのパターン」に相当する内容がないからです。「物の動き」や「物の動きのパターン」に相当する「パターン認知」とは「うりば」とは「売り場」のことだという「イメージ」(意味)のことです。「うりば」と発語した時、「売り場」という「意味のイメージ」が「右脳のブローカー言語野の3分の1のゾーン」に表象される時に、「うりば」というひらがなを組み合わせた表音文字は、「記号」ではなくて「概念」と呼ばれます。
川島隆太の「ドリル」は、記号としての表音文字とその組み合わせの「コトバ」を暗記するというものです。これは、「二・五次元の認知や認識」の表象(ひょうしょう)や表現(ひょうげん)ですらもありません。「記号としての言葉」が憶えられて、表現されるだけです。「右脳」での表象(ひょうしょう)は、「う」や「り」や「ば」の形象的な図形が思い浮べられるだけになります。「売り場」という商品を並べたり、お客に商品を渡してお金を受け取るという「交換の空間」という光景や状況は思い浮ばないということです。
すると、このような「記号としてのコトバ」のみを「2分間で何語暗記できるか?」ということを「脳トレ」とか「脳のウォーミングアップ」「脳の活性化」として実行すれば、どのような「脳の働き方」になるのでしょうか。 |
「記号としての言葉」を「脳トレ」で憶えた人は、言葉のとおりの行動ができなくなる |
「うりば」という表音の言葉を「記号として暗記した人」が、パンの店に行ったとしましょう。
「うさぎパンはないかな?」と探すでしょうか?「うさぎパン、ありますか?」とお店の人に尋ねることができるでしょうか。何も出来ないのです。なぜならば、「うりば」とは「商品を並べて、販売する空間のことだ」という「パターン認知」の右脳の認知も左脳の認識も記憶されていないからです。「パンの店」に行っても、「ここは、パンを買い求めることができる場所だ」ということも分かりません。
一緒についている人が「パンを買ってください」と命じるか、指示しないと「パンを買う」という「行動」も起こせません。これを「半行動停止」といいます。
「半行動停止」とは、「見よう見マネ」で手足を動かすことは可能である、という「行動」のことです。しかし、「ここでは、パンが買えますよ」と指示されなければ「パンを買うことはできない」という「行動停止」になるでしょう。 |
川島隆太が「脳トレの効果」と言っているものは「てんかんと同じ非効率的な脳の働きの状態」のこと |
「半行動停止」や「行動停止」は、「行動が止まる」ことなので「負の行動のイメージ」が「右脳」に思い浮びます。「負の行動のイメージ」とは「自分は楽しくない」「自分は損をしている」という不安のイメージのことです。それでも無理に「行動」すると、「不安のエピソード記憶」が表象(ひょうしょう)されるでしょう。ここで「手が震える」「声が震える」「心臓がドキドキする」「その場を逃げ出したい」という神経症の症状があらわれます。元・首相の安倍晋三のような自律神経の交感神経の過緊張にともなう「胃腸障害」が発生して、「仕事を辞める」という「全般性不安障害」になるかもしれません。「不安のエピソード」が「親からの虐待」であれば「池田小学校事件の宅間守型の全般性不安障害」があらわされることもありえます。
すると、ここで川島隆太本人も主張していることの「前頭葉が働いている」(MRIで血流の動きを調べた)、「実験の結果では、70歳の老人がヤル気が出たと言っている」などは、どのように評価されるものなのでしょうか。初めにご紹介したロルフ・デーゲンの批判の中に、「効率の悪い脳の働かせ方をすると、脳は、大量のエネルギーを消費する」とのべています。「記号としてのコトバ」を暗記して前頭葉が働くということがありうるとすれば、「うりば?どういうことだ?」「さんぽ?散歩のことか?」「やすみ?休みのこと?自分は、毎日、休みだ。暇で無気力になっているよ」といった混乱や不安の状況のリアルなイメージが思考の葛藤として生じていることが考えられます。そのために効率の悪い脳の働き方と同じ働き方になっていて、前頭葉に血流が集まって「fMRI」でも測定が可能になっているのです。効率のいい「脳の働き方」は、エネルギーの消費が少なく、血流の測定も難しくなるので、単に「丸暗記」するくらいのことで「前頭葉」が働くということはありえないのです。
「他人とのコミュニケーションが向上する」の効果はどうでしょうか。これは「号令をかけられれば動く」「命令されれば行動する」という範囲のコミュニケーションのことだと考えられます。「複数のことを同時におこなう」という効果は「指示されて、ひらがなの暗記と暗算をおこなった」という事実を指しているのでしょう。「指示されず、命じられないのに社会的な行動をおこなったか?どうか」の行動が起こらないことは、元・首相の安倍晋三のケースがよく証明しています。「創造性が向上した」という効果は、「命じたり指示する人間があらわれたので、積極的になった」という現象を拡大解釈したものだとしか考えられません。 |
正しい「読み聞かせ」は「場面、状況のイメージを思い浮べる」という方法です |
ここまでのご説明は、川島隆太の「脳を鍛える大人のドリル」の中の2分間でいくつ憶えられるか?を問う「ひらがなの語の暗記」で、「では、計算ドリルはどうなる?」という疑問をもつ人がいるかもしれません。「暗算は、ソロバンの勉強の中でもやっているし、日常的に役に立つ場合があるのでは?」という考え方です。「暗算」そのものとか、「丸暗記」が問題であるのではありません。「読むこと」「音読すること」も同様です。
「右脳・Y経路のパターン認知」とは、「いつ」「どこで」「何が」「どのように」という「言葉」に相当する「説明」のための「言葉」も含まれます。「意味のイメージ」に相当します。
「読み聞かせ」が有効性をもつのは『どのように』の言葉に相当する「意味のイメージ」を「右脳に表象させる」という方法の場合です。
川島隆太が「寝たきり老人」などにおこなった「老人の耳」に他者が、「本を読み聞かせた」という方法は「物語の場面」や「人物の光景」「人物の気持ちの表現の情景」といった「Y経路のパターン認知」が表象されました。これは必ずしも「クローズ・アップ」ばかりではないことに注目しましょう。
「暗算」の場合も同じことがいえます。「スピードで暗算して、いくつ正解だったか?」だけという「視覚のクローズ・アップ化を強化する方法」が、「記号としての数字」を憶えることになるでしょう。これは、「ソロバンで暗算の力を訓練すること」とは、似ているようで異なります。「ソロバン」では、「教師」が「伝票の数字」を読み上げ、これを耳で聴いて、イメージの中で「ソロバンの玉を動かす」という「パターン認知」の中での「暗算」です。「数字」だけのクローズ・アップという「記号化」ではありません。また、「伝票」という仕事の現実(Y経路のパターン認知)に還元することを目的にした「暗算」です。
「見積りを計算する」「コストを計算する」という現実の「Y経路のパターン認知」の中でおこなわれる「暗算」です。ここでは、「クローズアップ」させて数字だけを憶えて、「行動が止まる」「半行動停止状態になる」といったことは起こっていないことはよくお分りでしょう。
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